James Setouchi

 

 村上春樹『風の歌を聴け』講談社文庫で読める

 

1 村上春樹(1949年1月~):作家。京都生れ、兵庫県芦屋の育ち、神戸高校から一浪後早稲田大学第一文学部(演劇学科)に進む。学生結婚をする。ジャズ喫茶を経営。大学卒業後1979年『風の歌を聴け』で群像新人賞。その後次々と作品を発表、日本で最も売れている作家の一人。代表作『風の歌を聴け』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』など。ノンフィクション『アンダーグラウンド』『約束された場所で』、翻訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『グレート・ギャツビー』などもある。

 

2 『風の歌を聴け』:初出は『群像』1979(昭和54)年6月号。群像新人賞受賞。

 

 村上春樹のデビュー作と言われる。語り手「僕」は村上春樹自身と同年で1978年に29才。語られる舞台は8年前の1970年、当時語り手は21才。兵庫県芦屋市(神戸の東隣)が実家で、都会の大学に通っているが、今は夏休みで芦屋に帰省している。芦屋は高級住宅街で金持ちが住んでいる。「僕」が金持ちかどうかは書いていない。「僕」は友人の「鼠」とジェイズ・バーで交遊する。「鼠」は金持ちの子で、金持ちを嫌い、作家になろうとしている。

 

 この小説は、紹介しにくい。いくつもの要素が出てくるが、それらが十分説明されないまま終わるからだ。説明をあえて拒否しているのかもしれない。だが、面白い。非常に魅力のある世界が展開されている。

 

 冒頭で「僕」の、言葉では十分なことが語り得ない、という絶望感がまず述べられる。「僕」は8年間沈黙してきた、と。だが、今、「僕」は語り始める。言葉で語ることに安易に期待は出来ないにせよ、それでも語ろう。「うまくいけばずっと先に、・・救済された自分を発見することが出来るかもしれない。・・その時、・・僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。」この小説は村上春樹の文学世界の言わば出発点だ。村上春樹は、その後、十分な言葉を紡ぎ、「救済された自分を発見」し「より美しい言葉で世界を語り始める」ことができたのだろうか

 

3 登場人物

「僕」:芦屋出身、都会の大学生。生物学専攻。夏休みで芦屋に帰省し、「鼠」たちと交流している。

「鼠」:芦屋の金持ちの子。金持ちを嫌っている。作家になろうとしている。何かで悩んでいる。(「鼠」というキャラクターは、『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』にも出てくる。)

「ジェイ」:ジェイズ・バーの男性。中国系。

「左手が四本指の女の子」:ジェイズ・バーで「僕」が出会った女の子。レコード店店員。「僕」と仲良くなるが・・「みんな大嫌いよ」と泣く。

「僕」の回想に出てくる女の子たち:(1)高校時代の彼女。別れた。(2)新宿のヒッピーの女の子。街で拾ってきたが、出ていった。(3)大学の仏文科の学生。自死した。

デレク・ハートフィールド:アメリカの作家。「僕」が多くを学んだ相手。NYで飛び降り自殺。(実はこの人物は架空の存在。)

 

4 コメント:「僕」の叔父の一人は中国大陸で死んだ。「僕」はデモやストライキで機動隊員に前歯を折られた。題名『風の歌を聴け』も、ボブ・ディランの歌「風に吹かれて」の含みがあるとすれば、公民権運動や核時代を読者に連想させる。この小説には、戦争や学生運動が影を落としている。だが、それらはほとんど語られない。中国系のジェイは言う「でもみんな兄弟さ。」「僕」も言う「もうみんな終わったことさ。」「僕」は生物学専攻で、2ヶ月で36匹の猫を殺す。「僕」は残酷な背景を持っている。「僕」は大学仏文科の彼女を失う。これについては「もう終わったことさ」とは言わない。大きな痛みを持ちながら「僕」は暮らしていると思われる。何らかの事情で傷ついた「左手が四本指の女の子」を「僕」は介抱する。結局彼女は街に消えていく。「僕」は無力だ。

 

 後日談で「僕」は結婚し東京で暮らしていることが語られる。失われた過去の上に辛うじて現在がある。過去と現在のあやういバランスの上に今がある、と言うべきか。過去を完全に忘却してはいない。こうして語り出しているのだから。だが、これからどう語りどう格闘していくのか。それは次作からのお楽しみ、ということだろう。(注1)

 

(注1)後年の村上文学全般については、様々な要素を配置し読者の想像力を喚起するのが巧みだと絶賛する人もある。他方、歴史と女性を抹殺するものだ、と厳しく批判する人もある(小森陽一など)。