James Setouchi

 

1 ソン・ウォンピョン『アーモンド』祥伝社2019年7月

(1)    作者ソン・ウォンピョン

 1979年ソウル生まれ。(女性。)西江(ソガン)大学校で社会学と哲学を学ぶ。韓国映画アカデミーで映画演出を専攻。『瞬間を信じます』『人間的に情の通じない人間』『あなたの意味』など短編映画の脚本、演出を手がける。小説『アーモンド』はチャンビ青少年文学賞。小説『三十の反撃』は済州4・3平和文学賞。(本書カバーの作者紹介から。)

 

(2)    『アーモンド』2016年。

 主人公「僕」の語りで進む。主人公ソン・ユンジュは韓国の町で暮らす少年。

 生まれつきの失感情症(アレキシサイミア)と診断され、扁桃体(アーモンド)が小さく、大脳辺縁系と前頭葉の間の連絡がうまくいかないので、感情をあまり感じず、人の感情もよく読めない、と医師たちに言われる。通り魔に襲われ目の前で祖母が殺され母が寝たきりになっても、恐怖を感じなかったモンスターのような子、として周囲から白眼視される。母親の友達のシム博士の世話になる。ゴニという乱暴者(彼も不幸な生い立ち)と出会う。ドラという少女と出会う。事態は急展開し、悲劇が訪れる。だが…感情を失った「僕」が異常なのか、それとも「僕」は異常でも何でもなく、周囲で見ていて何もしない一般の人々こそ正常な感情を失っているのではないか、と問いが反転する

 この本は非常に売れた。日本でも2020年本屋大賞翻訳小説部門1位となった。面白く一気に読める。但しこの病気(症状)について医学的にどこまで正確か、私は知らない。急展開はラノベのようでもある。「一体誰が正常/異常なのか?」の問いは非常に重要だと私は感じた。

 

2 チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』筑摩書房2018年12月

(1)     作者チョ・ナムジュ 

 1978年ソウル生まれ。(女性。)梨花女子大社会学科卒、放送作家として「PD手帳」「生放送・今日の朝」などを担当。小説『耳をすませば』『コマネチのために』『ヒョンナムオッパへ』『82年生まれ、キム・ジヨン』『彼女の名前は』など。(本書の著者紹介から。)

 

(2)     『82年生まれ、キム・ジヨン』韓国で2016年出版。邦訳は2018年。

 語り手は精神科医。カウンセリングに来た客であるキム・ジヨン氏(女性)の人生を聞き取る。

 話の中心はキム・ジヨン氏が人生をどう生きてきたかの具体的な描写である。キム・ジヨン氏は1982年生まれで、2015年にほかの人になりきるという奇妙な病を発病し、カウンセリングにやってきた。

 キム・ジヨン氏の生涯をたどる中で、韓国の男性優位社会の実態が浮き彫りになる。キム・ジヨン氏の母親の世代は、完全に男性上位で、女子は生まれてくること自体が歓迎されなかった。キム・ジヨン氏の世代は、社会が少し変わり理解者も現れたとは言え、現実には男性優位の実態が続き、キム・ジヨン氏はその中で苦闘し、ついに発病した、と言うべきか。家庭で、学校で、進路選択で、就職で、会社で、結婚で、出産で、再就職で、年収で、…と様々な場面で女性は差別されている。その実態を描きこみ、これでいいのか、これでいいはずはない、何とか変えよう、と主張しているフェミニズム小説である。多数の読者を得た

 世界で起こった#MeToo運動とあいまって韓国社会の女性の意識は高まり、社会は変わりつつある。同じ問題が日本にも(多少違うが)ある。世界にもある。気づいて改善していくべきだ。

 少し付け加えると、女性解放だけ言っていればいいのではない。色々な事情で困っている人は沢山いる。誰もが生きやすい社会にすべきだろう。

 小説末尾で精神科医(男性)の妻と子も困っていることが明らかにされる。誰もが当事者なのだ。だが本作の精神科医は、妻や患者に対し同情するが社会を変えることはしない。「自分の病院の女性スタッフは、子供のいる人はだめで、未婚の人を探そう」と独白して終わる。シニカルな終わり方で読者に問いを突き付けている。多くの女性が共感して読んだだろう。が、まずは男性が読むべき本といえる。

 

 

(3)     『82年生まれ、キム・ジヨン』の補足

ア 少女たちにとっては、これから出会うかもしれない内容。ジウン氏と同年の女性にとっては、いままさに遭遇している内容、大人になった女性たちにとっては、確かにそうだった、私もこれで苦労してきた、と共感する内容だろう。だが、こんなひどいことには、これから出会わなくてもいいように社会を変えていくべきだ。北欧や西欧のシステムは参考になる

 

イ 女性差別だけがmatterではない。BLACK LIVESもMATTERだ。黒人だけでなく、肌の色の黄色い人や赤い人も。以下のどの問題もトータルに考えつつ、一つ一つ解決(せめて改善、改良)していくべきだろう。

 

ウ ジヨン氏は貧困ではない。父親が公務員、夫もまずまずの会社員なので暮らしていける。ジヨン氏を苦しめるのは貧困ではなく男女差別だと明確化するためにこう設定したのだろう。が、貧困に苦しむ人もある。ジヨン氏の父親も韓国の経済危機でリストラされ厳しい状況になりかかった。

 

エ ジヨン氏は首都ソウルに家がある。だから大学も会社も家から通える。家賃で苦しまない。だが、地方出身者は大学でも会社勤めでも高額な家賃に苦しむことになる。ジヨン氏の友人で地方出身で家賃や学費を払うためにアルバイトを掛け持ちして苦しんでいる子が出てくる。

 

オ ジヨン氏はしょうがい者ではない。難病の持ち主でもない。しょうがいや病気故に苦労する人は多い。だが、ジヨン氏は精神疾患を発症したのでこれからは苦労すると予想できる。しょうがいや病気があっても苦労しなくてすむ社会がいい社会だ。それは部分的にはもう来ている。視力が弱ければ眼鏡をかけて前の席に座る。聴覚が大変なら補聴器をつける。病気なら病休を取りあるいは手当をもらう。その他その他。

 

カ ジヨン氏は能力が高い。会社ではいい仕事をする。もちろん努力しているが、それを結果につなげる力がある。だが、世の中には結果を出しにくい人もいる。能力があって結果を出す人が偉いのだろうか? 不器用だけど心が優しい人、一見何もできないように見える人も、幸せになるべきだ。宮沢賢治は『虔十公園林』で、一見世の中の役に立ちそうにない虔十が、実は最も尊い仕事をしていた、とする話を書く。賢治自身が家業の宮沢商会(当地では非常に「成功」した商店だった)を継がず「ミンナニデクノボートヨバレ」「ホメラレモセズクニモサレズ」生きる生き方を志向した。韓国は過酷な競争社会で能力を示し結果を出さないといけないのだろう。(芸能界の悲劇を見よ。)日本も明治の『舞姫』の相沢は「親友」太田に向かい「お前をかばうことはしない」「能力を示して上の人の信頼を勝ち得よ」と言い放つ。現代の日本はどうか。ジヨン氏は精神疾患になり、今から能力を発揮できるかわからない瀬戸際に立たされている、とも言える。

 

キ ジヨン氏は夫と幼い娘が一人いる。娘を育てるにあたり、夫と夫婦の両親は多少なりとも力になってくれそうだ。だが、そのような助けのないケースもある。シングルマザーの場合(シングルファーザーの場合も)や「実家力」が期待できない場合がそうだ。それどころか、家族にしょうがいや難病がある、高齢で寝たきりや認知症だからその世話をしているケースもある。どんなケースでも幸せになる社会であるべきだ。大熊由紀子の『寝たきり老人のいる国いない国』『福祉が変わる医療が変わる』は参考になる。

 

ク ジヨン氏は韓国人、つまり国籍を有する国民で韓国語を話す。だが、国籍を有しない外国人(いわゆる移民、難民なども含め)で言葉も通じない人は、幸せがどう保証されるのか? みんなで話し合うべきだ。

 

ケ 国境を越えて人は移動する。グローバルエリートだけでなく非エリート(英語とITを使えず現地語を使い所得も低い人々、つまりあなたや私)も幸せになるには? その他その他。

 

→以上すべてについて、みなさんは、どうお考えになりますか?             (2020.9.1記)