James Setouchi
アンドレ・ジッド『法王庁の抜け穴』André Gide “Les Caves du Vatican”
1 アンドレ・ジッド 1869~1951
フランスの作家。ノーベル文学賞(1947年)。パリ生まれ。父はパリ大学の法学部教授。家庭は厳格なプロテスタントだった。幼児は病弱だった。従姉妹マドレーヌに恋し結婚。同性愛者でもあった。ローマ・カトリック、ナチズム、ソ連などに批判的な言説を行った。周囲にはポール・クローデル、ジャック・コポー、ジャン・シュランペルジェ、ロジェ・マルタン・デュ・ガールらがいた。代表作『背徳者』『狭き門』『法王庁の抜け穴』『田園交響楽』『贋金(にせがね)使い』など。(新潮文庫の解説などを参照した。)
2 『法王庁の抜け穴』(1914年出版)(ネタバレあり)
「ローマ法王が幽閉され偽物が玉座に座っている、救出しなければならない、資金援助を頼む」というアイデアで詐欺を働く男たちの話。信心深さにつけ込まれ詐欺師に振り回される男たちの話でもある。ラフカディオという若者が思いつきで理由もなく殺人を犯すので、「理由なき殺人」をテーマにした先駆的作品(つまりカミュの『異邦人』の先駆)とも言われるし、ローマ・カトリックから禁書にされたいきさつもあるので、どれほどすごい深淵な形而上学が展開されているのかと思ったが、そうではなかった。ドタバタ活劇の要素が多い、と感じた。それでも面白いところはある。英仏の寒々とした風景に慣れ親しんだ人には、イタリアの景物は異国情緒があり興味を引くだろう。
全体は五部構成になっている。巻一~三に出てくるアンティーム、ジュリウス、アメデは、同じ3姉妹の夫で、義兄弟である。巻一:アンティームはフリーメイソン(キリスト教に対立するグループ)の幹部の一人で奇妙な動物実験を繰り返す無神論者だったが、聖母マリアが夢に出てきて病を治してくれたのを機にキリスト教信仰に戻りひたすら聖母に仕えることを誓う。 巻二:ジュリウスは伯爵で作家でもある。父親が外国で生ませた私生児のラフカディオ(ジュリウスにとって母違いの弟)について調査することになる。ラフカディオは奇妙な若者だ。夫を次々と換える母親と共に遍歴を重ねてきた。遭遇した火事で見知らぬ子供を助けたりもする。かれは気まぐれで行動しているのか、それともほんとうはいいやつなのか? 巻三:アメデは実業家。法王幽閉の詐欺に騙され、法王を救出すべくローマへ乗り込もうとする。その道中は面白く痛々しい。 巻四:その続き。アメデを騙す百足組という悪者たち(その中心はプロトスという、ラフカディオの連れの男。変装の名人)はローマで詐欺師に振り回され、小切手を換金する。 巻五:結末。アメデはたまたま列車で同席したラフカディオに何の理由もなく列車から突き落とされ死亡。プロトスもこれにからみ、そして…事態は急展開するがここでは割愛。
本作では「無償の行為」が問われていると言われる。ラフカディオが思いつきでアメデを殺害するのは、衝動的な理由なき殺人だ。金を奪うためでもない。これこそ報酬や結果のためでもなく信仰心や善意からでもない「無償の行為」として描いてみせたのか。ラフカディオの内面の空虚は深刻だ。
対して、アンティームはキリスト教に回心し聖母マリアのために尽くすことを誓う。アメデはひたすらローマ法王救出のため十字軍を気取りローマへ向かうが空しく死ぬ。ジュリウスはアメデの死を法王の敵対者による陰謀と思い込む。彼らはそれぞれに純なところのある人物だ。ラフカディオやプロトスの恋人だったローマの女・カロラも、生来の悪人ではなく、アメデやジュリウスに警告しプロトスを告発しようとする。これらも何か報酬を求めてではなく、純粋にそれ自体が尊いから行う、「無償の行為」ではないのか? ジッドはこれらとラフカディオとを対比しているのか? (ではラフカディオが巻二でゆきずりの子供を火事から救った件はどうか?)
ラスト、ジュリウスは母違いの弟ラフカディオに愛情を見せる。「わたしはね、きみを好きになりはじめていたのに!…」この言葉にラフカディオは涙を流す。衝動的に人を殺すラフカディオに、人間の心がよみがえった瞬間かもしれない。ジュリウスの娘・ジュヌヴィエーブは、ラフカディオがかつて火事から子供を救った時からラフディオを愛していた。二人はどうなるのか? 最後は人間の優しさが勝つ、という喜劇に仕立てたのか。
だが、後味が悪い。不意に殺害されたアメデやカロラが浮かばれない。殺人を犯したラフカディオが放免されるのも後味が悪い。ジッドはもっと深く掘り下げるべきだった。ドストエフスキーのラスコーリニコフはソーニャと出会い魂は救済されたのか? 救済されないままなのか? を議論する余地があるほど書き込んでいる。ジッドはそうではない。ジッドはドストエフスキーにヒントを得たのかもしれないが、少なくともこの作品は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を超えるものではない。
(補足)
どうして教会はこの本を禁書にしたのか、私は知らない。法王が偽物というアイデア自体が当時としてはとんでもないことであったのか。ジッドが同性愛者でもあることも含めてけしからんとされたのか。あるいは、プロトスたち百足組は純な人々につけ込みうまく利用し騙そうとする、教会も人々の純粋な信仰心につけこんでずるをする、百足組と教会は相似形だ、とジッドは言っていると解釈し、禁書にしたのだろうか? だが、アンティームがフリーメイソンにつぎ込んで失ったお金は、もともと教会には責任はないはず。あるいは、「大丈夫財産は保証する」と空手形を出した教会への批判と読めるのか?
(フランス文学)ラブレー、モンテーニュ、モリエール、ユゴー、スタンダール、バルザック、フローベール、ゾラ、ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ、カミュ、サルトル、マルロー、テグジュペリ、ベケット、イヨネスコ、プルースト、ジッド、サガンなどなど多くの作家・詩人がいる。中江兆民、永井荷風、小林秀雄、遠藤周作、大江健三郎らはフランス文学科に学び多くを得た。