James Setouchi
フェンテス『アルテミオ・クルスの死』 木村榮一訳、岩波文庫、
Carlos Fuentes『La Muerte de Artemio Cruz』
1 作者 カルロス・フェンテス(1928~2012)
メキシコの作家。1928年パナマに生まれる。父が外交官だったので、ワシントン、メキシコ市、サンチアゴ・デ・チレ、ブエノスアイレスなどで暮らす。外交官を目指しジュネーヴへ。パリのメキシコ大使館に勤務。メキシコ自治大学法学部に学ぶ。外務省勤務。多くの作家と交わり、作品を出した。やがてパリに住み作家活動に専念。一時メキシコのフランス大使にも。1977年ロムロ・ガリェーゴス賞(中南米で最も重要な文学賞とされる)。代表作『仮面の日々』『澄みわたる大地』『アルテミオ・クルスの死』『脱皮』『テラ・ノストラ』、評論『イスパノアメリカの新しい小説』『ドアのふたつある家』など。彼はセルバンテス、バルザック、フォークナーを尊敬していた。(岩波文庫の木村榮一の解説から)
2 『アルテミオ・クルスの死』
1962年発表。作者34歳。アルテミオ・クルスという富裕な実業家の死のシーンから、彼の人生の回想がなされる。思いは絶えず現在(1959年頃か)と過去を往還する。アルテミオ・クルスは世俗的には成功した稀代の人物であるのだが、回想の語りの中で彼の過去が次第に明らかにされ、同時に彼の人生の意味、彼の愛への渇望が明らかにされる。彼が生きた時代のメキシコは革命と内戦が続く混乱の時代でもあった。その同時代の証言にもなっている。メキシコの読者は、確かにあの時代はこうであった、と想起しながら読むのではないか。
ただの一代記にとどまらない。不思議な形而上学が書き込んである。宇宙から光が来る、生命が進化(複雑化)する、木に登り、木から下りる。人類の歩みがあり、先住民インディオをスペイン人が侵略し、メキシコは独立するが、ナポレオン3世の干渉を受け、その後も革命、独裁、政権闘争が繰り返される。その中でアルテミオ・クルスの父祖たちの生活があり、アルテミオ・クルスは生を享ける。それらの歴史と記憶が重層的に折り重なって、現在を形成している。ひいては未来を予言している。語りは一人称(「わしは…」)、三人称(「彼は…」)に加え二人称(「お前は…」)を使い分ける、独特の語りだ。特に二人称の部分では「お前は…するだろう」と予言めいた言い方がなされる。これは一体誰が予言しているのか? 解説の木村氏は、『澄みわたる大地』で出てきたアステカ族の末裔イスカ・シエンフエゴスが肉体を失ってつぶやき声になることとの関連を指摘している(518頁)。それは中南米大陸になお生きているマヤやアステカの神々の声であるのか? あるいは、宇宙生成以前からおられる至尊の方の声であるのか?
この作品には多くのインディオや混血が出てくる。概ね差別され下位にあるが、彼らにも家族の歴史があり、愛と怒りがあり、それぞれに生きている。(ネタバレだが)混血のルネーロは幼いアルテミオ・クルスを育ててくれた(489頁)。ヤキ族のトビーアスはアルテミオ・クルスを逃してくれようとし(271頁)、連邦軍に迫害されたので反乱軍に加わったと辛い過去を語る(292頁)。巡礼の一行はインディオの言葉で祈りを唱える(159頁)。アルテミオ・クルス自身が実は混血の子なのだ(489頁)。
アルテミオ・クルスは死ぬ。死に際して過去を想起する。彼を取り巻く妻や娘とは心が通じない。医師や神父は彼の意思とは無関係に彼の身体を取り扱う。しばしば危険な淵をわたりながら生き抜き莫大な財産を残したアルテミオ・クルスは、こうして死んでいった。
(中南米の文学)フェンテス『アルテミオ・クルスの死』、ルルフォ『ペドロ・パラモ』(メキシコ)、ナイポール『ミゲル・ストリート』(カリブ海)、カブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』『族長の秋』(コロンビア、カリブ海)、バルガス=リョサ『緑の家』『密林の語り部』『ラ・カテドラルでの対話』(ペルー)、アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』(キューバ、ベネズエラ)、イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』(チリ)、コルタサル『追い求める男』(アルゼンチン)