James Setouchi

 

『戦争と平和』トルストイ 

    

1 トルストイ;Л.Н.TОЛСTОЙ  1828~1910。ロシアの作家。名門の伯爵(はくしゃく)家に生まれる。カザン大学に学ぶが中退、故郷で農事改革に取り組むがこれも失敗。放蕩(ほうとう)に耽(ふけ)る。24歳で『幼年時代』を書きネクラーソフの「同時代人」に発表。砲兵隊でクリミア戦争に参加、『セヴァストーポリ物語』を書く。1857年欧州旅行でフランスやスイスの社会的自由に出会う。1860年代には農民教育に取り組む。1865~69年『戦争と平和』。75~77年『アンナ・カレーニナ』。70年代に子どもを失ったことなどから聖書の研究に没頭(ぼっとう)、83年『要約福音書』、84年『懺悔(ざんげ)』86年『イワンのばか』、89年『人生論』、91年からの凶作では被害地に対し救援運動を行う。93年の『神の国は汝(なんじ)らのうちにあり』では国民皆兵(かいへい)に疑惑(ぎわく)の目を向けた。99年『復活』で帝政ロシアの司法制度や教会を批判、正教会から破門される。1904年日露戦争では『思い直せ』をロシア皇帝と日本国天皇にあてて書く。私有財産を否定し著作権を放棄(ほうき)しようとし最後は家出して田舎の小駅で没(ぼつ)。超大作『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などの作家としても有名だが、晩年の宗教的・人道的思想(トルストイ主義)でも知られる。(集英社の世界文学全集から)

 

2 『戦争と平和』アレクサンドル1世やナポレオン、クトゥーゾフなど実在の人物・歴史の中にトルストイの創造した人物を配し、1805年と1812年のナポレオン戦争の時代と人間を描く。アンドレイ公爵は、貴族社会を俗悪(ぞくあく)として軽蔑し、自らロシアのナポレオンになろうとするが、アウステルリッツで負傷し、悠久(ゆうきゅう)の空以外はすべてむなしいと自覚するに至る。ピエール伯爵は、美しい妻エレンが不倫(ふりん)し、フリーメイソンに救いを求めるがこれにも幻滅、ボロジノ戦でロシア民衆の巨大なエネルギーに心打たれる。トルストイは作中人物に託(たく)して、自己の世界観や歴史観、民衆観を展開、歴史的事件を決定するのはそれに参加した民衆すべての意志の総和であるという独自の哲学を打ち出している。(集英社世界文学事典から。)

 

3 トルストイの日本への影響明治19年『戦争と平和』冒頭部分が『泣花怨柳北欧血戦余塵(りゅうかおんりゅうほくおうけっせんよじん)』という題で翻訳(ほんやく)される。徳冨蘆花(とくとみろか)はトルストイに会って心酔(しんすい)。日露戦争批判『思い直せ』は平民新聞に掲載(けいさい)され反戦運動の支えとなり与謝野晶子(よさのあきこ)「君死にたまふことなかれ」に影響を与えた。明治末・

大正にはトルストイの著作の紹介が進む。島村抱月(しまむらほうげつ)脚色・松井須磨子主演の演劇『復活』が大ヒット。トルストイの影響下「白樺(しらかば)」派の有島武郎(ありしまたけお)は北海道の土地を解放、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)は「新しき村」運動を展開。文学と思想においてトルストイは日本の近代に大きな影響を与えた。(集英社世界文学事典を参考にした。)

 

4 コメントとにかく尊敬されている人である。その宗教的・道徳的な思想と実践(じっせん)は尊敬に値する。ここでは作品『戦争と平和』について、その内容は司馬遼太郎『坂の上の雲』よりも広く深い、『戦争と平和』は世界文学として有名だが『坂の上の雲』は国民文学ではあっても世界文学にはついにならない、それはなぜか、という問いを提示(ていじ)しておこう。あとは自分で読んで考えること。

 

*ロシア文学では、トルストイ、ドストエフスキー、プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ゴーリキー、ソルジェニーツィンら巨匠が輩出している。中でもトルストイとドストエフスキーは双璧だ。読んでみよう。