James Setouchi

 

ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』     

(江川卓訳、集英社ギャラリー世界の文学15で読んだが、各種文庫にある。)

 

1 作者 アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン

     Александр Исаевич Солженицын

  1918~2008。ソ連のモスクワ近郊に生まれる。第2次大戦時ソ連軍兵士として戦う。スターリン批判の疑いで収容所(ラーゲル)に入れられる。1956年のスターリン批判のあと釈放される。数学の教師をしていたが1962年『イワン・デニーソヴィチの一日』で有名となる。『クレチェトフカ駅の出来事』『マトリョーナの駅』。その後『ガン病棟』『煉獄のなかで』『収容所群島』は国外で発表。1970年ノーベル文学賞。1974年国外追放、スイスを経てアメリカに住む。1994年ロシアに帰国。(ブリタニカ国際大百科事典ほかを参照した。)

 

2 『イワン・デニーソヴィチの一日』“Один  день  Ивана  Денисовича” 

 1962年、作者44歳の発表。イワン・デニーソヴィチは収容所(ラーゲル)の囚人。そのある一日を描いている。時代設定はスターリン時代、朝鮮戦争の頃。場所は不明だがマイナス40度近くになる酷寒の地。

 

 午前5時に起床、看守や護衛兵に監視されあれこれと命令されながら労働をし、生活をする。成果が要求され査定される。楽しみは食事により多くありつけるかどうか。仲間に差し入れがあればそのおこぼれにあずかりたい。点呼が厳しく、酷寒の中で震える。今日は余分に食事にありつけた。営倉に入れられることも無かった。「ほとんど幸福とさえ言える一日」だった。そう思いながら眠りにつく。このような一日が、主人公イワン・デニーソヴィチ・シューホフには、懲役10年=3653日続く。

 

 この「幸福とさえ言える一日」とは、強烈な皮肉であろう。そこには精神の自由は無く、自分の時間も無く、監視と命令と労働と酷寒があるばかり。この作品はスターリン時代の圧政を批判した書、フルシチョフ時代の雪溶けによるロシア文学の復活を象徴する作品として読まれた。

 

 ラーゲルに入れられた理由もひどい。例えば、シューホフ:冤罪のスパイ容疑で懲役10年/班長チューリン:革命前に富農だったというだけで収監/アリョ-シカ:エストニア人で敬虔なバプテスト。信仰ゆえに懲役25年。/ブチック:16才の心優しい若者。ナチスとソ連の戦争に参加しない人々にミルクを差し入れしたというだけで収監。などなど。スターリン時代の圧政がひどい、とまずは読める。

 

 だが、見方によれば、文字通り「幸福」な面もある。主人公シューホフは、周囲の人と多少なりとも心を通わせるところがある。班長チューリンは仲間をかばい、頼りになる。ツェーザリは映画監督で差し入れが多い。シューホフは彼と少しだけだが心の交流をする。プチックという16才の若者はシューホフにとって息子のように見える。元海軍中佐ブイノフスキーは刑務所での生活に慣れず失敗ばかりで、憎めない。ここは確かにラーゲルで、受刑者の人権もろくに尊重されないひどいところだが、それでも周囲の人との共同生活の中で多少以上の生きる喜びはあるのだ。ドストエフスキー『死の家の記録』も同様で、男子校の寮のようでもある。

 

 私たちの毎日も、つまるところ同じようなものであるのか、いや、それは違うと言うべきか…

 

 物語の終盤、敬虔なバプテストのアリョーシカと主人公シューホフが対話をする場面がある。アリョーシカは言う、なぜ自由がほしいのか、自由の身になれば信仰は雑草に枯らされてしまう、牢獄に入れられたおかげで魂のことを考える時間ができた、と。シューホフは思う、自分はもう自由を望んでいるかどうかも分からない、だが家には帰りたい、だが家には帰されそうにない…と。この場面は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章のアリョーシャと無神論者イワンの対決を想起させる。(アリョ-シカとはアリョ-シャのこと、シューホフの名前はイワンだ。)ソルジェニーツィンは「大審問官」の一種のパロディ、あるいは同じ問いの問い直しを試みているのだろう。この問いについて、あなたはどうお考えになりますか?

 

 (ロシア文学)プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキー、ソルジェニーツィンら多数の作家がいる。日本でも二葉亭四迷、芥川龍之介、小林秀雄、椎名麟三、埴谷雄高、加賀乙彦、大江健三郎、平野啓一郎、金原ひとみ、などなど多くの人がロシア文学から学んでいる。