James Setouchi

 

ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』藤平育子訳、岩波文庫

William Cuthbert Faulkner『ABSALOM,ABSALOM!』

 

1   ウィリアム・フォークナー (1897~1962)

  ノーベル賞作家。代表作『響きと怒り』『サンクチュアリ』『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』など多数。出身はアメリカ南部ミシシッピ州の名家。ミシシッピ州の田舎町オクスフォードで暮らす。高校中退、第一次大戦に参加、戦後ミシシッピ大学で聴講生や郵便局員をしながら創作。ニューオーリンズやパリ滞在を経てオクスフォードに戻り、そこをモデルとしてヨクナパトーファ郡ジェファソンという田舎町を創作、そこを舞台とした悲劇的作品を次々と書いていくことになる。「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる。『響きと怒り』(1929年)は内容はもちろん構成と語りの手法で注目される最高傑作と言われる。『八月の光』(1932年)、『アブサロム、アブサロム!』(1936年)も同様の傑作。1940年代からは、「南部的悲劇の実現から、生きのびる人物たちの現実的、道徳的強靭さを描き出す方向へしだいに比重を移していった」「それは…<誇り>と<忍耐>を求める方向」であった。(平石貴樹)。1950年ノーベル文学賞受賞。1955年来日。1962年死去。(集英社世界文学事典を参考に記述。)

 

2  『アブサロム、アブサロム!』(1936年)

*  アブサロムとは誰か。

 アブサロムは、旧約聖書に出てくる、ダビデ王の第三子。紀元前11世紀の人。サムエル記下13~19章に出てくる。妹タマルが長兄アムノン(同父異母の兄)に辱められた時アブサロムは長兄を憎み遂に殺し逃亡。後召喚されたが王位継承を望み反旗を挙げた。年老いたダビデ王は驚き歎くが、ダビデ王のもとに祭司、精兵が集まり、アブサロムは敗退、殺害された。ダビデ王はその知らせを聞き「わが子アブサロムよ。わが子、アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ。」と泣き叫んだ。(日本基督教団出版局『聖書事典』他による。)

 

* 『アブサロム、アブサロム!』紹介

 アメリカ南部、ヨクナパトーファ郡のサトペンは外からやってきて実力で農場主にのし上がった男。彼は白人の血の永続を願う。しかし、・・・

 池澤夏樹(作家)は、池澤自身が選んだ世界文学全集全30巻の一冊として、フォークナーから『アブサロム、アブサロム!』を選んだ。

 舞台は1800年代、南北戦争をはさむ時代の、南部の田舎町。当時の、黒人差別、白人たちの開拓民気質と誇り、キリスト信者の敬虔さ、南部の田舎町の狭隘さ、家族間の愛憎、プアホワイト(貧しい白人)のルサンチマン、リンチあり、殺人ありの世界が、色濃く凝縮されている。複数の語り手が重層的に語り、しかも時間的前後関係が錯綜するので、事実関係が最初は見えにくい。付録の人物紹介、巻末の年表などを参照してもよいが、最初に見てしまうとネタバレになってしまう。個々の語り手の見落としや粉飾まで読み抜けばさらに面白いだろう。新潮文庫『フォークナー短編集』の『孫むすめ(原題『ウォッシ』)』も参照。                             

 

* 『アブサロム、アブサロム!』の主たる登場人物

 

(1)コンプソン家

コンプソン将軍(1900没):クエンティンの祖父。サトペン大佐の友人。

ミスター・コンプソン(1912年没):クェンティンの父。前半の主要な語り手。

クエンティン・コンプソン(1891~):ミスター・コンプソンの子。ミシシッピ州ヨクナパトーファ郡に生まれ、東部ハーヴァード大学に進む。父及びローザからトマス・サトペン大佐にまつわる一連の話を聞き、その話をハーヴァードの学寮で学友シュリーヴに語る。後半の主要な語り手。(『響きと怒り』ではこのあと間もなく自死を遂げる人物である…)

 

(2)コールドフィールド家

グッドヒュー・コールドフィールド(1864没)ローザとエレンの父。ジェファソンで商店を営む。南北戦争後絶食して死亡。

エレン・コールドフィールド(1817~):グッドヒューの娘。ローザの姉。トマス・サトペンと結婚し、ヘンリーとジュディスを生む。

ローザ・コールドフィールド(1845~):グッドヒュー・コールドフィールドの娘。前半の主要な語り手。

 

(3)サトペン家

トマス・サトペン(1807~1869):ウェスト・ヴァージニアの山村に生まれ、プア・ホワイトとして育つ。一念発起しハイチで財をなし、さらにヨクナパトーファ郡で広大な領地を建設したが…

ヘンリー・サトペン(1839~):トマスとエレンの息子。ミシシッピ大学でチャールズ・ボンという先輩と知り合うが…

ジュディス・サトペン(1841~): トマスとエレンの娘。

 

(4)サトペン家につながる人々(以下ネタバレが含まれています)

クライティ(1834~):サトペンが黒人の女に産ませた女。

ユーレリア:ハイチ生まれ。サトペンの最初の妻。

チャールズ・ボン(1831~):サトペンとユーレリアの子。

チャールズ・エティエンヌ・ド・セント=ヴァレリー・ボン(1859~):チャールズ・ボンと八分の一黒人混血女との息子。ニューオーリンズ生まれ。

ジム・ボンド(1882~):チャールズ・エティエンヌ・ド・セント=ヴァレリー・ボンと名前不詳の純潔の黒人女との子。サトペンの領地で生まれる。

 

(5)ジョーンズ家

ウォッシュ・ジョーンズ(1869没):プア・ホワイト。サトペン領地の片隅に住む。サトペンの留守中ジュディスの面倒を見る。

メリセント・ジョーンズ:ウォッシュの娘。メンフィスの街で死亡したと言われている。

ミリー・ジョーンズ(1853~):ウォッシュの孫娘。メリセントの娘。年老いたサトペンの娘を生む。

赤ん坊(1869~):サトペンとミリーとの娘。だが…

 

(6)その他

シュリーヴ(1890~):後半のクエンティンの話の聞き役。カナダ生まれでハーヴァード大学の学生。

黒人たち:サトペンの領地には多くの黒人が働いていた。

フランス人建築家:サトペンの屋敷を建築する。

弁護士:ユーレリアとチャールズ・ボンの弁護士。

ベンボウ判事:ローザがジュディスの墓石を購入する手伝いをする。

 

* 『アブサロム、アブサロム!』の大きな構成

(1)1909年9月、ミシシッピ州ジェファソンのローザの家。ローザ(64歳)が語り、クエンティン(18歳)が聞く。南北戦争(1861~1865)も重要な時代背景の一つ。

(2)1909年9月、ジェフェソンのコンプソン家。ミスター・コンプソン(クエンティンの父親)が語る。クエンティンが聞く。

(3)1909年9月、ローザの家。(1)の続き。

(4)1910年1月、マサチューセッツ州ハーヴァード大学の寮の一室にて。クエンティンシュリーヴが語り合う。サトペン家の悲劇の真相(?)が浮かび上がる。

(岩波文庫の記述を参考にした。)

 

* トマス・サトペンとその子孫にまつわる年表(ネタバレ)(年齢は概算)

 1807年  サトペン、ウエスト・ヴァージニアに生まれる。プア・ホワイト。

 1821頃14歳 階層格差を実感、金持ちになることを決意して家出。 

 1827年20歳。ハイチの農場でユーレリア・ボンと結婚。子どもはチャール  

          ズ・ボン。

 1831年24歳 妻子を離縁。

 1833年26歳。この町に現われる。黒人たちとサトペン百マイル領地を建設。

 1838年31歳。エレン・コールドフィールドと結婚。息子ヘンリー、娘ジュデ

          ィス。

 1859年52歳 ヘンリー、ミシシッピ大学でチャールズ・ボンと知り合う。

 1861~65年 南北戦争。南軍の将校として参戦するも敗戦して帰還。

 1863年56歳。エレン没。

 1865年58歳。ヘンリーがチャールズ・ボンを殺害。ヘンリーは失踪。

 1869年62歳。サトペン、ワッシ・ジョーンズに殺害される。ワッシの孫の産

          んだ女児も死亡。

 1871年    エティエンヌ・ボン(チャールズの子)、屋敷に同居。変遷を経

          て屋敷に住む。

 1882年    ジム・ボンド(エティエンヌの子)生まれる。

 1884年    ジュディスエティエンヌ・ボンが黄熱病で死去。

 1909年    ローザとミスター・コンプソンがクエンティンに過去を語る。

          クライティが屋敷に放火して死ぬ。屋敷にいたヘンリーも死

          ぬ。ジム・ボンドは生き延びた。

 1910年    ローザの死。東部ハーヴァード大学の寮でクエンティンはシュ

          リーヴと語り合う。

 

* いくつかの視点

・前半で、時間的には午後から日没近くまでにⅠⅤ(ローザが語る)→夕刻にⅡ~Ⅳ(コンプソン氏が語る)となるはずだが、順番を入れ替えたのはなぜか。Ⅴのイタリック体(訳では太字)のローザの叫びが強烈な印象を残すしかけか。

・ローザの知らない真実、ローザの思い込み、ローザが隠蔽していることもある。ローザはサトペンを悪魔のような人と断定しその性格ゆえに滅んだと主張する。名誉ある出自のコールドフィールド家をおのれの欲望のために利用し破滅に追い込んだサトペンの所業への怒りがローザにはあるようだ。チャールズ・ボンの黒い血については知らなかった(藤平育子、岩波文庫上348頁)。

・コンプソン氏は、ヘンリーによるボン殺害の理由をボンの重婚(相手は8分の1黒人混血女性)と考えるが、何かが欠けていると感じる(藤平育子、岩波文庫下10頁)。

・クエンティンとシュリーヴは、チャールズ・ボンがジュディスと異母兄弟だという事実をサトペンがヘンリーに告げたのではないか、と推測し(Ⅶ)、さらに、大詰めでは、ヘンリーは人種混交を許せなかったからではないか、と結論する(Ⅷ)(藤平育子、岩波文庫上347頁)。ローザもクライティやジム・ボンドに対して差別をする。サトペン一家は白人純血主義・黒人差別に染まっている。その観念の犠牲者が彼ら自身であり、チャールズ・ボン以下黒人の血を引く子孫たちだ。

・結局のところ、何が問題だったのか? よそ者・サトペンが一代で財を築く成り上がり方への南部人の偏狭な嫉妬、コールドフィールド家を利用して全てを奪ったそのやりかた、サトペンの重婚、チャールズ・ボンの重婚、近親相姦(兄妹婚)、白人純潔主義(スコットランド系であることに誇りを持ち、一部でも黒人の血が混じることへの忌避感)、さらには? 

・白人は黒人女を性的搾取の対象とみるが人間として尊重はしない。しかし黒人クライティは最後まで屋敷でヘンリーを匿う。ジム・ボンドが生き延びる。作家の心のありかは?

・真相推測の場はなぜ東部ハーヴァード大学でなければならなかったのか? 南部の苦しみを北部・東部で再現する意味は? 南部の悲劇を過去のものとして葬るのではなく、今北部・東部でこそ問うべきだ、ということか? つまり問題(白人純潔主義、黒人差別)は過去に終わったことではなく、今なお(今こそ)問われなければならないことだ、ということか?

・クエンティンはそれからしばらくして自死する(『響きと怒り』)。本作との内容的関連は? ヘンリーは妹のジュディスに近親相姦的な気持ちを抱いている。チャールズ・ボンとジュディスは完全に近親相姦だ。クエンティンは自分の妹に近親相姦的な思いを抱いていて、それゆえにサトペン家の悲劇と重ね合わせて、自死したと読むべきか?

・作り方(構成)が複雑で読みにくい。文体も一文が長く読みにくい。もっと別のスタイルで書いた方が大事なメッセージを伝えやすいのでは? このスタイルでなければならない理由は何だろうか? だが、圧倒的な迫力でたたみかける文体が大事なのかも知れない。