James Setouchi

 

フォークナー『サンクチュアリ』(アメリカ文学)

William Faulkner “SANCTUARY”

 

1 フォークナー1897~1962。アメリカ。

 ノーベル文学賞作家。ミシシッピ州の名門の家に生まれた。17歳で高校中退、空軍勤務、ミシシッピ大学での聴講生、大学内郵便局などでの勤務をしながら、絵や詩の創作を行う。いくつかの作品を発表したが、当初は注目されなかった。1926年から故郷のミシシッピ州オクスフォードをモデルとした架空の小都市ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台とした作品を書いた。『響きと怒り』(1929)、『サンクチュアリ』(1931)、『八月の光』(1932)、『アブサロム、アブサロム!』(1936)などがそうである。1940年ころから、「南部的悲劇の実現から、困難な状況を生きぬき、生きのびる人物たちの現実的、道徳的強靭さを描き出す方向へとしだいに比重を移していった。」(集英社世界文学事典、坂内徳明による。)1950年ノーベル文学書。その後もヨクナパトーファの物語を書き継ぎ、また講演なども行う。(集英社世界文学事典を参考にした。)

 

2 『サンクチュアリ』

(1)題名の「サンクチュアリ」とは「聖域、隠れ家」の意味。人里離れた一軒家で密造酒を作っていた。そこが隠れ家で、密造酒造りの一味にとっては聖域でもある。舞台となるジェファソンの町もプロテスタンティズムの支配する場所で「聖域」であるが、同時に、「聖なる純粋さを保つために異分子を排除していく『排除の論理の支配する場所』という裏の意味がある」と大野真は言う(「『サンクチュアリ』におけるズレと欲望」1993年)。

 

  舞台は禁酒法時代のアメリカ南部、ヨクナパトーファ郡のジェファソンほか。弁護士のホレス・ベンボウは偶然郊外の泉でポパイという無気味な男と出会う。これが二人の対決の始まりだった。

 

 大学生ガウァンは女学生テンプルとドライブ中事故を起こし、悪党ポパイの隠れ家に迷い込む。ガウァンは泥酔し殴られ逃亡、残されたテンプルはポパイに連れ去られる。その過程でテンプルをかばおうとしたトミーはポパイによって射殺され、隠れ家で密造酒を作っていたリー・グッドウィンが殺害犯として誤認逮捕される。

 

 グッドマンはポパイの報復を恐れて口をつぐむが、弁護士ホレス・ベンボウはグッドウィンとその妻ルービーを励まし、ルービーを証言台に立たせてグッドマンの無罪を勝ち取ろうとする。

 

 他方、テンプルを拉致したポパイは、メンフィスの町の売春宿にテンプルを軟禁する。その過程でポパイはさらに一人殺害する。

 

 グッドマンの裁判の日、ルービーが証言し、グッドウィンの無罪は確定したかに見えたが、二日目の裁判に突如テンプルが出現して、・・・

 

 ここから先は書かない。ネタバレになるからである。ここまででも途中を省略しているところがある。あまりにも恐ろしいシーンだからである。ポパイの生育歴はラストで明かされる。

 

 一読して、恐ろしい、酷い、やりきれない思いが残った。人生は不条理でやりきれない、という感覚を読者に与えようとしているのだとすればそれはそれで成功した作品だと言える。禁酒法時代の南部のギャングを登場人物とし凄惨な場面を描こうとした作品なのかもしれない。暴力シーンで有名になった、としばしば言われる。だが、それだけではない。無実の者を罪に落とし込みリンチを加える当時の南部の自称キリスト教社会の欺瞞を暴いた作品と言えるかもしれない。個々のキャラクターの生い立ちも含め悲劇的な状況が確実に書きこめている点でも優れた作品と言える。だが、(新潮文庫解説の加島祥造の言う通り、)それら暗黒の現実に対してなお人間としての正義の戦いを挑もうとする弁護士ホレス・ベンボウ(自らも家庭的な苦悩を抱えつつも)の戦いの物語でもある。密造酒製造の一味にも女学生テンプルを守ろうとしたトミーがおりグッドウィン夫妻がいる。人間の良心はどこかでギリギリ生きている。グッドウィンの妻ルービーは貧困と偏見に苦しみながらも夫グッドマンを愛し続け生き延びてきた。そこに人間の尊厳と希望がある。

 

(2)登場人物(ヤヤネタバレ)

ホレス・ベンボウ:弁護士。妻とその連れ子との関係で苦しんでいる。リー・グッドウィン一家のために尽力するが・・

ベル:ホレスの妻。連れ子がリトル・ベル。もと夫はミッチェル。

ナーシサ:ホレスの妹。サートリス夫人。息子がベンボウ・サートリス(ボリイ)。ガウァン・スティヴンズと結婚しようかと考えているが・・兄ホレスが仕事で知り合った若い女と関係しようとしているのではないかと疑い、世間の噂を気にする。

ミス・ジェニィ:90歳。ナーシサと同居している。車椅子生活。

アイソム:ホレス・ベンボウの運転手。

ガウァン・スティヴッンズ:ヴァージニア大学(地方の名門)出身。ナーシサの結婚相手かと思われたが、女子学生テンプルとデートの途中酒に酔い交通事故を起こしポパイ一味に遭遇、殴られて逃亡した。

テンプル・ドレイク:女子学生。大学生や町の青年たちの人気者。パーティーで華やかに遊ぶ浅はかな女。ガウァンと共にポパイ一味に捕らえられ悲惨な目に遭う。そして・・

ポパイ:悪党。ピストルで人を殺す。密造酒仲間のトミーを殺害し、テンプルを拉致し大都会メンフィスの売春宿に軟禁。さらに悪党仲間のレッドをも殺害。そして・・生育歴は巻末辺りで紹介される。決して幸福な生育歴ではなかった。

トミー:密造酒仲間。テンプルをかばおうとしてポパイに殺害される。

リー・グッドウィン:密造酒を造って生活している。テンプルをかばおうとしたが、トミー殺害の冤罪で逮捕される。そして・・

ルービー:リーの同棲相手。入籍はしていないが長年付き合ってきた。赤ちゃんがいる。テンプルに逃げるよう助言した。その後・・

老人:リー・グッドウィンの父。目が見えない。

ウォーカー夫人:バプティスト教会員。婦人連と連れだって、ルービーを不品行な女と断定しこの町から追放しようとする。

クラレンス・スノープス:議員。テンプルについての情報を金で売ろうとする。

ユースタス・グレーアム:地方検事。トミー殺しの裁判でホレスと対決する。

ミス・リーバ:大都会メンフィスの売春宿のおかみ。ポパイと親しく、テンプルの世話をする。

ミニー:ミス・リーバの店の使用人。

ミス・ローレン、ミス・マートル:ミス・リーバの友人。

ヴァージル・スノープス、フォンゾ:大都会メンフィスに出てきてミス・リーバの宿に宿泊する。

レッド:ポパイの知人。テンプルと恋仲になり、ポパイに殺害される。

ジーン:レッドを大事に思っていた男。レッドの葬式を出す。

テンプルの父:判事。テンプルの兄弟もエスタブリッシュメント。

 

(3)後半のあらすじとコメント(ネタバレ)

 ホレス・ベンボウはリー・グッドウィンの無罪を勝ち取るために努力したが、突如現われたテンプル(父と共に現われた)が、犯人はリーだと証言してしまう。人々は憤激し、リーを火あぶりのリンチにしてしまう。ホレスは挫折感を抱く。この結末は実につらい。ジェファソンの町の人々の偏狭さが浮き彫りになっている。テンプルもその父も卑怯だ。正義が通らない。ホレスはピンチだ。

 

 妹ナーシサは町の噂に負け、兄ホレスがリーの妻ルービーと関係しているのではないかと疑い、兄にそんな裁判の弁護をやめてこの町を出て欲しい、と言う。ホレスはここでもピンチだった。

 

 ホレスは結局は妻の元に戻る。だが、ホレスは世間の噂とは全く違い、冤罪を許さず、正義を貫くために行動していたのだった。彼は良心、正義感のある人物だった。「ぼくには暢気にいていられないんだ、眼の前で不正義がのさばるのをー」(16)、「男というのはね、ときにはそれが正しいと知ったら、ただそれだけのために何かしようとするものなんだ、・・」(27)作者はここが書きたかったに違いないのだが・・・

 

 リーの妻ルービーと赤ちゃんは、その後どうしたか書いていない。リーが殺され、悲惨な人生が待っていると想像できるが、解説の加島祥造は、ルービーは「敗けはしたが」「くじけない」女だ、「襲いかかる怖ろしい悲劇に耐え、赤子をかかえて生きぬいてゆく」と察せられる、としている。それならいいのだが・・?

 

 ポパイは、レッドを殺害し逃亡したが、別件の警官殺しの冤罪で誤認逮捕され、真相を明らかにしないまま死刑になる。ポパイの生育歴は物語の末尾で明かされているが、不幸な生い立ちではある。彼が投げやりな人間であって裁判でも何も言わず死刑を待望するのはそのためかと思わせる。(『八月の光』のクリスマス同様。)だが、もしかしたら、誘拐したテンプルにだけは多少以上の愛着を持っていたかも知れない。テンプルには金を注いでいる。テンプルが(いきさつは書いていないが)その父・判事に奪還されポパイは自暴自棄になった可能性もある。

 

 テンプルは、愚かで軽薄な女学生だったが、事件を経てテンプルに誘拐され売春宿で暮らした。一時レッドと愛し合うがレッドはポパイに殺される。裁判では、突如現われ、リーがトミー殺害犯だと偽りの証言をする。ポパイの報復を恐れていたのだろうか? 検事の策略に乗ったのか? 父親の判事が動いた可能性もある。ラストでは父とテンプルはパリで過ごしている。南部から逃亡し新しい人生を始めようとしたのだろう。馬鹿な女学生だった頃は無知で幸せだった。ルービーから散々悪態をつかれるのも当然と言えば当然だ。だが事件に巻き込まれたときは怖かっただろう。その後のメンフィスの売春宿での暮らしも幸福とは言えないだろう。裁判で偽証し父・判事とパリに逃亡し、悪と偽りを誤魔化しながら人生を生きていくのだろうか。

 

 ガウァンは無責任で全く無力な男だ。泥酔しテンプルを事故と犯罪に巻き込み、自身は逃亡する。彼はダメ人間として描かれている。

 

 リー・グッドウィンは、立派な人生だったとは言えないが、この事件に関しては、テンプルを守ろうとして、かえって冤罪で有罪となる。人々から憎まれ、リンチで火あぶりされる。報われない結末だ。

 

 人々を追い込む、狭い町の人々の偏狭さ、腹黒さも、描き込んでいる。バプティスト教会の婦人連がルービーを追い詰める。議員や検事が腹に一物持って動く。

 

 「良識ある」市民たちから見ればいかがわしい領域に生きている人々、トミーやリーやルービー、またメンフィスの売春宿のミス・リーバ、ミリーたちの方がかえってテンプルに好意的だったりする。

 

 「サンクチュアリ」とは「聖域」「隠れ家」という意味の他に「異分子を排除する場」という意味もあると言う。大野真も言うごとく、密造酒屋敷、メンフィスの売春宿だけでなく、ジェファソンの町(あるいは偏狭な南部社会全体)が何重もの意味で「サンクチュアリ」なのだった。

 

補足1 島貫香代子「“These People Are Not Your People”―『サンクチュアリ』における人種問題と階級問題」(『商学論究』70 (4), 115-132, 2023-03-10西宮 : 関西学院大学商学研究会 ; 1952-)は面白かった。本作には黒人の死刑囚や普通の生活者も出てくるが、白人のエスタブリッシュメントとそこから排除され悲劇的に滅んでいくプア・ホワイトとの対比が前面に出ている。ポパイの対極にある存在は、実はホレス・ベンボウではなく、テンプルの父・ドレイク判事だったのだ。本当のワルはどちらなのか? ホレス・ベンボウはその中で引き裂かれながら、それでもなお人間として正しいことを実現しようとして、敗れ去る。そういう物語だったのだ。