James Setouchi
2024.7.14掲示 2025.7.11追記
フォークナー『八月の光』(アメリカ文学) (加島祥造訳、新潮文庫、昭和42年。平成12年1月32刷改版、25年4月35刷で読んだ。頁数はこの本による。)
William Faulkner “LIGHT IN AUGUST”
1 フォークナー1897~1962。アメリカ。
ノーベル文学賞作家。ミシシッピ州の名門の家に生まれた。17歳で高校中退、空軍勤務、ミシシッピ大学での聴講生、大学内郵便局などでの勤務をしながら、絵や詩の創作を行う。いくつかの作品を発表したが、当初は注目されなかった。1926年から故郷のミシシッピ州オクスフォードをモデルとした架空の小都市ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台とした作品を書いた。『響きと怒り』(1929)、『サンクチュアリ』(1931)、『八月の光』(1932)、『アブサロム、アブサロム!』(1936)などがそうである。1940年ころから、「南部的悲劇の実現から、困難な状況を生きぬき、生きのびる人物たちの現実的、道徳的強靭さを描き出す方向へとしだいに比重を移していった。」(集英社世界文学事典、坂内徳明による。)1950年ノーベル文学書。その後もヨクナパトーファの物語を書き継ぎ、また講演なども行う。(集英社世界文学事典を参考にした。)
2 『八月の光』 1932年発表。ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台とする物語。時代は禁酒法時代。
(1)登場人物(ネタバレを含む)
リーナ・グローヴ:アラバマ出身の若い女性。ルーカス・バーチという若い男に言い寄られ妊娠したが、ルーカスはいなくなる。ルーカスの結婚の約束を信じて、リーナは旅に出、ジェファソンの町にやってくる。そこでリーナは郊外の屋敷の火事の煙を見る。またバイロン・バンチと出会う。作者フォークナーは、リーナが主人公と言っている。
バイロン・バンチ:ジェファソンの町の製板工場で働く男。もと牧師のハイタワーと親しい。日曜には田舎町の教会で合唱隊を指揮する。バイロンもこの小説で重要な役割を果たす。
ジョーゼフ・クリスマス:3年前のある日この町にやってきた謎の男。密造酒を作り、郊外の屋敷の小屋で暮らしている。この物語の最重要人物で、その成育歴は(新潮文庫なら154頁から)長く語られる。
ジョー・ブラウン:6か月前のある日この町にやってきた。クリスマスと共に密造酒を作り、郊外の屋敷の小屋で暮らしている。ジョー・ブラウンの正体は実は・・・?
ゲイル・ハイタワー:もと牧師。年収の半分を感化院に寄付している。熱狂的な説教を行い、町の人の支持を失う。妻の不祥事で牧師職を追われるがこの町にとどまる。ハイタワーの成育歴は小説の終わりの方(22。新潮文庫なら603頁以下)で明かされる。
ジョアナ・バーデン:郊外の屋敷の住人。北部出身で名門バーデン家の生き残り。庭の小屋にクリスマスとジョー・ブラウンを住まわせるが・・・? バーデン家については11(新潮文庫なら314頁~)で丁寧に解説される。
(ここからはネタバレ含む)
栄養士の女:幼いクリスマスを誤解し憎む。
マッケカン夫妻:幼い孤児クリスマスを引き取り養育する。マッケカンは厳しく体罰を行い、クリスマスを反抗させてしまう。
給仕女(8。新潮文庫なら224頁~):クリスマス(ここではジョー)が街の食堂で出会って恋に落ちた女。二人は夜中に抜け出してダンスパーティに行く。だが・・・
ハインズ夫妻(15~。新潮文庫なら441頁~):モッタウンの町に30年前にやってきた老夫婦。クリスマスの起こした事件に大騒ぎする。それには理由があった。ハインズ夫妻の歴史は新潮文庫478頁~語られる。ハインズは娘の不品行を憎み、生まれてきた孫を黒人であると確信し、憎んだのだ。
(2)コメント
白人の色をした黒人(と信ぜられている)クリスマスは悲劇的だ。深南部(ディープ・サウス)の黒人差別もひどいが、クリスマスの「自分とは何か?」の問いは深刻だ。(だが、犯人は本当にクリスマスなのか? 作品の中で明示されてはいないのだ。)バーデン家の一族の物語も語られる。北部出身で黒人解放に努力するも、頑迷な南部軍人によりジョアナの祖父と兄は殺害される。バーデン家は近辺では黒人たちにも尊敬されているが、ジョアナにも悲劇が起こる。ハイタワーとその先祖の物語も印象的だ。先祖に誇りを持ち熱狂的で人々に弾かれバイロンの欺瞞を指摘し神の前で自らの生き方を問い直すハイタワーのリアリティは強烈だ。リーナ・グローヴはどうか。冒頭では愚かな少女として出てくる。だが、周囲の人の助けで赤子を出産し、逃亡した夫を探して再び旅に出る姿は、挫けず立ち上がる女性の姿である。「あら、まあ、人ってほんとにあちこち行けるものなのねえ。アラバマを出てから二カ月もたたないのに、もうテネシー州にいるなんてねえ」と彼女は言う。バイロン・バンチも重要だ。バイロンは、リーナ・グローヴに一目惚れし、出産を助け、ハイタワーに欺瞞を指摘されつつも、リーナの夫探しを助ける。バイロンは奔走し疲れるが、屈服しない。「もう僕はあんまり遠くに来すぎちまってるから」(中略)「いまさらやめるわけにゃあいかないよ。」とバイロンは言う。全体に悲劇的な話だが、リーナやバイロンの物語には強く生きる人間の姿がある。
全体に時間が前後して叙述してあり読みにくいが、各要素は一つの悲劇にまとまる。クリスマスが殺害され、リーナの赤子が生まれる。ハインズ老婦人は、娘ミーナの子クリスマスと、リーナの赤子とを混同する。この赤子はクリスマスの生まれ変わり(復活したクリスマス)なのか?全編にキリスト教的なイメージがちりばめられている。(後述)
*以下、2025.7.11追記 以下完全ネタバレ
(3)ジョーゼフ・クリスマスの過去のあらまし(6~12章)
孤児院で育った。色は白いが親のどちらかが黒人だとの噂があり本人もそれを信じる。栄養士の女の情事を目撃したが幼い彼には何も分からなかった。門番の男が彼を連れ出したこともあったが未遂に終わった。やがて幼くしてマッケカン夫妻に引き取られる。マッケカン氏は熱心なキリスト教徒で、ジョーゼフを厳しくしつけ、体罰を行う。夫人は夫に内緒でジョーゼフを溺愛しようとする。ジョーゼフは思春期以降養父母に反発し、いかがわしい食堂の給仕女・ボビーと恋仲になり、深夜にデートしたりダンスに出かけたりする。(当時ダンスは敬虔なキリスト教徒の世界では堕落した人のすることと見做されていた。)ダンス会場に養父のマッケカン氏が乗り込み、ジョーゼフは養父を殺害してしまう。ジョーゼフは逃亡し、北米大陸を放浪する人生となる。自分は何者なのか? ジョーゼフにはわからなかった。
15年間の放浪の後、ジョーゼフはジェファソンの町にやってきた。そこには大きな屋敷にジョアナ・バーデンが暮らしていた。ジョーゼフはその屋敷に転がり込む。やがて二人は男女の関係となる。ジョアナは北部からやってきたクリスチャンの血筋で、黒人たちのために学校を作ったり就学を援助したりしていた。ジョアナの祖父と異母兄は差別主義者のサートリス大佐に殺害された過去を持つ。だがジョアナは黒人たちの世話をするので黒人に人気があった。
ジョーゼフはジョアナの屋敷に住みつつ仕事に行き、さらには密造酒の販売を始めた。よそ者のジョー・ブラウンが相棒だ。やがてジョアナはジョーゼフに黒人の行く大学で学んだ上で自分のしている仕事を後継して欲しいと提案する。ジョーゼフは自分はそろそろ逃げ出す頃合いだ、と感じる。そこに・・・
(3)-2 ジョーゼフ・クリスマスのその後
ジョーゼフはジョアナ・バーデンを惨殺し屋敷に放火して逃亡した、と人々は信じた。相棒のジョー・ブラウンが賞金ほしさにそう証言したのだ。だが、ジョーゼフ自身は殺害はしていないと言っている。やがてジョーゼフは逮捕され収監されるが、逃亡し、ハイタワーのところで軍国主義者のグリムに射殺される。なぜハイタワーのところに行ったのか? ジョーゼフの実の祖父母(ハインズ夫妻)がジョーゼフの犯罪を知り、祖父は娘の私生児として生まれたジョーゼフをリンチにかけることを声高に主張するが、祖母はバイロン・バーチの仲介もあって、もと牧師のハイタワーがジョーゼフの無実を証言してくれる手はずになっていた。だがすべてのもくろみははずれ、ジョーゼフはグリムに射殺されてしまう・・・地方検事のスティーヴンズがまことしやかな解説をする(しかも偏見に満ちている)。
(3)-3 コメント
ジョーゼフ・クリスマスは生まれてすぐ捨てられ孤児院に入った。黒人の血を引いているという証拠はないが黒人の血を引いていると信じられ差別される。養子に行くがそこの教育は敬虔なキリスト教の名を借りた虐待そのものだった。そのためか彼は暴力的な形でしか他者と関わることが出来ない。彼は長年ストリートで暮らした。彼は自分が何ものであるかについても明確でなく、不安だ。彼は自分をキリスト教徒にしようとする周囲(養父、ジョアナ)のもくろみに対して束縛されるまいと強く反発する。彼は色が白く、最初は白人として扱われていたが、黒人だという噂が広まると直ちに差別される。真偽の定かでない噂が田舎町を支配し、人々はスケープ・ゴートを血祭りにしようとする。彼は南部の白人至上主義(黒人差別)と偏狭なキリスト教主義と世間の狭さの、悲劇的な犠牲者だ。全編を読み終わったあとでもう一度幼少期の幼い彼の描写を読み返してみるといい。彼は痛ましい犠牲者だ。このような痛ましい犠牲者を出す南部のシステムを作家は告発しているに違いない。かれを射殺するのが軍国主義者のグリム、まことしやかな解説(偏見に基づく)をするのが地方検事スティヴンズ(名門の家柄、ハーヴァード出身、奴隷制度支持者の子孫)としていることからも、作家の告発の意図を感じ取ることができる。
(4)リーナ・グローヴの歩み
12歳のとき両親を亡くし、ドーンの製材所にいる兄の家族と暮らした。あるときルーカス・バーチという遊び人と関係し妊娠。無責任男ルーカスは出て行ってしまうが、リーナはルーカスの口約束を信じルーカスを探す旅に出る。周囲は、不品行な女、男に騙された愚かな女、と見て憐れみ、親切にしてくれる者もあった。この町にやってきて、バイロン・バンチに出会う。ジョアナ・バーデンの屋敷の火事を見る。バイロンはリーナに恋をし、放っておけず、自分の下宿、さらにはバーデン屋敷の焼け残った小屋にリーナを匿い、世話をする。やがてルーカス・バーチ(ジョー・ブラウンと名乗っていた)と再会するが、ルーカスはまたも逃亡。リーナは赤ちゃんを連れ、バイロンの世話で、ルーカスのあとを追うことになる。アラバマ州からミシシッピ州を経て2か月もたたないうちにテネシー州へ。人間はあちこち行けるものなのだなあ、とリーナは述懐する。これが作品最後の言葉だ。
(4)-2 コメント(リーナ、クリスマス、ルーカス、バイロンの比較)
リーナの最後の言葉は、何を含意しているのだろうか? 狭く窮屈な世間に閉じ込められた生き方ではなく、その気になればあちこちに移動していける、自分で思ったよりも人生はいくれでも開ける、そういう意味だろうか。町の狭さに対して風穴を開ける存在だと言ってもよい。もちろん彼女を支えているのは抜群の体力と周囲の善意だ。それなくしてはリーナはやっていけなかったろう。しかし、とにもかくにも彼女は生き延び、未来へ向かって旅をしている。町の狭さに対して風穴を開けているのは、よそ者ジョー・クリスマス、ルーカス・バーチも同じく風穴を開ける存在とも言える。バイロンも実はよそから来た者だ。ジョー・クリスマスは路上で15年間も過ごしたが周囲と暴力的に関わることしか出来ず辿り着いたこの町が悲劇的な彼の旅の終着点となった。ルーカス・バーチは責任を取らず逃亡するだけの空疎な人生だ。リーナは周囲の善意を信じ周囲に自分の人生を預け感謝の言葉を口にする。バイロンはリーナによりそい、最後まで責任を取ろうとする。これらの対照を作家は書き込んでいる。もちろん、常識的に考えれば、リーナとバイロンが結局は路上で倒れる危険性はつねにあると見るべきかも知れない。それでも、バイロンが他所へ去らず、リーナが人生を肯定する言葉を吐く、という形でこの物語を締めたということは、作家が、ここに最後の希望を込めた、ということではあるまいか。
(5)その他
・この町の人々の心の狭さが強烈だ。人々は真偽を確かめることなく噂で動く。北部出身で黒人に人権を認める運動をするジョアナ・バーデン家の者を、町の人々は憎み、かつては殺害さえした。今回もジョアナ・バーデンを惨殺した真犯人は、ジョー・クリスマスではなく、町の偏狭な連中である可能性がある。だが人々はジョー・クリスマスが犯人だと信じ彼を憎み、果ては殺害した。公的な機関(保安官など)はあるが民間のリンチの暴力が上回った。ハイタワーを排除する時も同様の力が働いている。この町の人々の心の狭さが多くの人を不幸にしている。作家はこの点を告発しているように思う。だがこれは現代(2025年)の我々にも、ないであろうか? 真偽を確かめる(ファクト・チェック)ことなく噂(流言飛語。SNSによくある)に踊らされ一面的な理解(フィルターバブル、エコーチェンバーによる)で誰かを一方的に悪と断定(レッテル貼り)して排除し総攻撃(いわゆる「炎上」)する。よく見る光景のようだが・・?
・題名の『八月の光』とはどういう意味か? 加島祥造の「あとがき」には、「キリスト教以前のギリシア的・異教的な光を暗示していて・・、それは大地の女神的な存在のリーナを表わしている」という作者自身の言葉が紹介されている。
・ジョー・クリスマスの実の祖父(ハインズ老人)は、自分の娘のミリーがサーカスの男(スペイン人という触れ込みだが、黒人だと祖父は思い込む)と関係し妊娠したことで、娘を淫売だ悪魔の所業だと罵った挙げ句、娘は死に、孫(ジョー・クリスマス)を孤児院にやってしまう。ハインズ老人の狂信(彼は黒人教会で白人の優越性を説きたてる445頁)だけではない。養父マッケカンの狂信(彼は長老派191頁)、もと牧師ハイタワー(祖父は監督派=エピスコパル、父は南北戦争で銃を撃たなかった、ハイタワー本人は長老派。604頁)の悲劇、地元の「敬虔な」(?)教会員たちなどなど、南部のキリスト教(新教であろう)の偏狭で不寛容な世界が描き込まれている。(キリスト教が本来不寛容なのではない、本作に描かれた南部のキリスト教(新教)の世界が不寛容なのだ。)(ジョアナ・バーデンの父祖は北部出身の奴隷解放論者で新教。317頁)
・生まれた子ジョー・クリスマスは、その名前といい、父親不在の出生、いわれなき受難、教会での乱暴(イエスもユダヤ教の神殿でここには真の信仰はないと暴れる)、群衆から憎まれ殺害される、ブラウンが官憲に金で売る(ユダはキリストを金で売った)などなど、キリストの悲劇のイメージをなぞっているようでもある。ジョー・クリスマスは非業の死を遂げるが、他方ミリーにはベビーが生まれる。老ハインズ夫人は、ベビーを出産したリーナを自分の娘ミリー、生まれてきたリーナのベビーを娘ミリーの生んだジョー・クリスマスだと錯覚する。これは認知症のなせるわざであろうが、亡くなったジョー・クリスマスがリーナのベビーとして復活した(キリストの復活のように)との含意を読めなくもない。但しそれは正統キリスト教からはややずらしこんだ、異教的な臭いのする何かではある。