James Setouchi

 

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社

 

1 Jerome David Salinger 1999~2010

 アメリカの作家。ユダヤ系の父とアイルランド人の母の間にニューヨークで生まれた。名門私立校マクバーニー高校中退、ペンシルバニア州の陸軍幼年学校に学ぶ。第二次大戦に志願、ノルマンディー上陸作戦にも参加。戦後『ニューヨーカー』誌にデビュー、1951年の『ライ麦畑でつかまえて』は世界的ベストセラーとなる。のちハンプシャー州に転居し引きこもる。後半生は禅を中心とする東洋思想に傾倒したと言われる。代表作『バナナフィッシュに最良の日』『ライ麦畑でつかまえて』『フラニー』『シーモア・序章』など。寡作である。(集英社世界文学事典を参照。)

 

2 〝The Catcher in the Rye〟 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳

 1951年に発表した。アメリカ国内だけでなく世界各国で翻訳され読まれている。日本でも野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』が出てベストセラーとなっていたが、2006年に村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出て、これもよく読まれている。後者は特に「やれやれ。」など村上春樹らしい文体の訳になっている。私見だが、主人公のホールデンは、ニューヨークに家がありしかもかなりの金持ちのシティー・ボーイでかつエリート学校の生徒であるから、村上春樹訳のちょっと澄ました感じが似合っているのではないか。

 

 主人公ホールデン・コーンフィールドの独白で話は進んでいく。時代設定は戦後のある時期、場所はアメリカ東部、季節は冬のクリスマス前。主人公のホールデンは16歳、ニューヨークに家があり父親が顧問弁護士でかなりの金持ちでペンシルバニア州のペンシー・プレップスクールの生徒だが、怠学と学業不振でいままさに退学しようとするその時を描いている。(その後彼は病気入院していることが冒頭で明かされている。)

 

 プレップスクールとは名門大学への入学準備をする私立学校のことで、アメリカでは全寮制の私立中学・高校を言う。(イギリスでは名門パブリック・スクールに入るための私立小学校。)ペンシー・プレップスクールは架空の学校だろうが、全寮制男子校で、寮の仲間や教師の描写などにリアリティがあり、あるいはサリンジャー自身の経験を踏まえているのではないかという印象がある。

 

 同室のストラドレーターはスポーツマンで自分大好き人間で女たらしでいやな奴(だとホールデンは思っている)。隣室のアックリーは巨人でホールデンのことを気に入っているのかいつも部屋に入って来るがホールデンは彼のことを好いていない。先生も好意的に接してくれようとする人もあるのだがホールデンは迷惑に思っている。ホールデンはペンシー・プレップスクールのことが好きではない。彼は周囲の大人や友人のやっているインチキに我慢がならない。彼は怠学と学業不振で退学になる。彼は一見不良に見えるが多分そう悪人ではなくちょっと生きるのが不器用なだけのいいやつなんだろう。でもこれで退学は4つ目だ。

 

 退学となった彼は寮を出てニューヨークの街をさまよう。映画館、スケート場、サットンプレイスの高級住宅街、夜のセントラル・パーク、博物館、動物園、小学校などで、彼は昔の彼女や先輩や先生を呼び出し話そうとするが、彼は理解されず、あるいは自ら暴言を吐いて別れる。列車内で見知らぬおばさんに適当なことを言って会話し、ホテルのダンス・ホールで見知らぬ女性と踊り、エレベーター係との一件では殴られ金をとられ、タクシー運転手に話しかけても喧嘩。一見悪態ばかりついているように見えるが、金と欲望のうごめくニューヨークの街で、自分の居場所を求めさまようが居場所を見つけられないか弱く純情な16歳の少年の姿がそこに見える気がする。彼は折角名門学校にいるのだからまじめに努力して進学し社会人となれば父親と同じようなエリート階層に所属できたかもしれないのに、今やそこから離れ(ドロップ・アウトし)、金もなく、ニューヨークの人の海の中に消えていってしまいそうだ。親や教師からはそう見えるだろう。本人も強がっているが同時につらいから何度も泣き出す。彼はインチキな大人社会の中で親から貰った小遣いを使って街をさ迷い悪態をつくことしかできない、無力な16歳なのだ。そう考えるとこの話は現代の日本の話でもある。(注1)

 

 ホールデンの家族関係は。父親は顧問弁護士。家はニューヨークにある。母親は子どもをある形で愛しており神経質。兄(D.B.)は作家でハリウッドにいる。ホールデンは兄を尊敬している。弟のアニーは死んだ。ホールデンはしばしばアニーと対話する。妹のフィービーは10歳。ホールデンは妹フィービーと会って…(以下は読んでのお楽しみ)

 

 周囲のやっていることがすべてホールデンにはインチキに見える。十代の反抗期の人には共感しやすい内容も多いはずだ。各種書評を見ると「共感できる」「自分もそうだった」などの感想も多いが他方「何でも人のせいにするのはおかしい」という感想もある。改めて彼の言い分を仔細に見ると案外正鵠を得たことを言っている部分もある。だが、彼の見方は、一面的に過ぎるようでもある。例えば、「学校を出て会社に入って金を稼いでもつまらない」という趣旨をホールデンが女友達に宣言するところがある(17)。たしかに十代の頃は大人社会=管理社会がそう見えて自由がないような気がして憂鬱になることがある。だが、学校で学びあるいは社会人になって仕事をすることは実は結構楽しいしやりがいもある、ということがあるのも事実なのだ。ホールデンは今病んでいるのでそこは見えない。

 

 彼は悪態をつき続けるが、彼が比較的肯定し共感しているものは何か? つつましい修道女たち。昔の同級生で、うぬぼれた男を批判し大勢に囲まれ圧力を掛けられたが撤回せず悲劇的最期を遂げたジェームズ・キャッスル。それから妹。彼は虚飾・偽りが嫌いで嘘偽りのない愛や正義を求める。彼は一見病んでいるように見えるが、実はしごくまっとうな感性の持ち主なのかもしれない。だが、今の彼はそれを実行してはいない。悪態をつくだけだ。

 

 ホールデンはヘミングウェイの『武器よさらば』を否定し、フィッツジェラルドの『偉大なギャツビー』を称賛する。ヘミングウェイのマッチョに見える在り方にホールデンは(サリンジャーは)嫌悪を抱いていたのか。『ライ麦畑』は強烈な反軍・反戦思想を持っていると言われる。実は『武器よさらば』は主人公が軍の規則に反し恋人と戦線離脱する話で、戦争はいやだ、という話なのだが、16歳の未熟なホールデンにはそこまではおそらく理解できなかった、朝鮮戦争もあり、近々徴兵にとられるであろう状況の下でホールデンは毒舌を吐いている、などの点について、野間正二氏に論考がある。(「サリンジャーはなぜホールデンに『武器よさらば』はフォニーだと言わせたのか?」『佛教大学文学部論集』第38号、2014年3月)                     

 

(注1)『羅生門』で途方に暮れていた下人。『こころ』でエリート社会から脱落していくK。『舞姫』でドロップ・アウトしていく豊太郎。『檸檬』の「私」。あるいは、安吾や太宰。ドロップ・アウト者列伝をつなげて見ると共通の何かが見えるかもしれない。

 

(補足1 ニューヨークに関係の深い作家)

①ハーマン・メルヴィル NY生まれ。『白鯨』(1851年)。

②ウォルター・ホイットマン NY州のロングアイランドで生まれブルックリンなどで働いた。アメリカ最初の民主主義詩人などと言われる。詩集『草の葉』(1855年)。

③オー・ヘンリー 1902年からNYに住む。『最後の一葉』(1905年)。

④スコット・フィッツジェラルド 『華麗なるギャツビー』(1925年)は傑作。ギャツビーと同様、フィッツジェラルドはNYで派手なパーティーをして遊んだと言われる。

⑤ヘンリー・ミラー NY生まれ。パリでボヘミアン的な生活を送る。『北回帰線』(1934年)。

⑥J.D.サリンジャー NY生まれ。『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)。主人公のホールデン君は大人の世界のいんちきが嫌いだ。

⑦トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』(1958年)で有名。ティファニーはニューヨーク五番街にある宝石店。

⑧ジョン・アップダイク NY生まれ。『ニューヨーカー誌』のライターをしていた。『同じ一つのドア』(1959年)『走れウサギ』(1960年)など。

⑨村上春樹 『海辺のカフカ』(2002年)の英訳『Kafka on the Shore』は『ニューヨーク・タイムス』で2005年にベスト10に選ばれた。

⑩なお、ロバート・キャンベル先生(東大名誉教授、日本文学)もお生まれはNYのブロンクスで、ヤンキーススタジアムの近くである。亀井俊介『ニューヨーク』(岩波新書2002年)も読んでみよう。

 

(補足2 アメリカ文学)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、エリオット、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、バック、フォークナー、スタインベック、カポーティ、ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、フィリップ・ロス、レイモンド・カーヴァー、ティム・オブライエンなどなどがある。