James Setouchi

 

パウロ・コエーリョ『ピエドラ川のほとりで私は泣いた

           (山川夫妻訳)角川文庫1998年

 Paulo Coelho“Na margem do rio Piedra eu sentei e chorei” (ブラジル)

 

1 パウロ・コエーリョPaulo Coelho

 ブラジルの作家。1947年リオデジャネイロ生まれ。世界各地を放浪、一時流行歌の作詞家となる。霊的な関心を持ちRAM教団(スペインのキリスト教秘密結社)の一員となる。1987年『星の巡礼』(1986年スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラに至る巡礼の道を歩いた体験による)、1988年『アルケミスト』、1990年『ブリーダ』、1992年『ヴァルキリーズ』、1996年『第五の山』などを発表。ブラジル国内、欧米諸国に多数の読者がいる。敬虔なカトリック信者。(文庫巻末の訳者によるあとがきなどから)

 

2 『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』

 “Na margem do rio Piedra eu sentei e chorei”

 小説。1994年にポルトガル語で書かれた。語り手ピラール(女)の1993年12月の数日の手記の体裁を取る。ピラールはスペインのソリアという田舎の出身で、今はサラゴーサで仕事をし、勉強して資格を取ろうとしている。幼なじみとマドリードで再会した。幼なじみは修道士になり、独自の信仰を深め、病気を癒やす特別な能力を持ち、カリスマ派の人びとから熱心に支持されていた。彼の独自な信仰とは、神に女性性を認め、マリア信仰を重視するものだった。ピラールははじめ戸惑い、しかし彼と共に新しい信仰の道に入っていこう、そのためには過去を捨てよう、と決意するに至る。だが…

 

 彼にも迷いがあった。新しい信仰の道は、神が与えたものではあるが、あまりに厳しく、多くの人からは理解されず迫害される苦難の道だ。そこに彼女を巻き込みたくない。だが彼女を愛している。彼女と別れて新しい信仰の道に生きるか、または新しい信仰の道を捨てて彼女と暮らすか。彼の選択は?

 

 ここから先はネタバレになるので書かない。

 

 結末、ピラールはこの手記を書き、ピエドラ川のほとりで泣いている。その意味は、最後まで読めば分かる。宗教的な内容が散りばめられている。「読書メーター」などでは賛否両論ある。フランス・スペインを旅した気分になれるかも

 

いくつか注をつける

スペイン王国:2021年3月の外務省のデータによれば、面積50万平方キロメートル(日本の1.3倍)、人口4700万人(うち485万人は外国人)、首都マドリードの人口は333万人、言語はスペイン語だが、バスク語、カタルーニャ語、ガリシア語、バレンシア語、アラン語も各自治州の公用語。宗教は信教の自由が認められている。

サラゴーサ:スペインの東部アラゴン州にある。人口70万人弱(2010年)

マドリード:スペインの首都。人口325万人。都市圏人口は680万人で、EU圏内でパリに次ぐ大都市圏。

ビルバオ:スペイン北部バスク州の町。人口35万人。都市圏人口は100万人。

サン・サヴァン:フランス西部の村。有名な修道院付属教会があり、世界遺産になっている。

ルルド:フランスのスペインに近いピレネー山の麓にある。1858年に聖母マリア少女ベルナデッドに出現した。そこから湧く水は病気を癒やす力があると信じられた。カトリックの巡礼地となっている。

無原罪のマリア:イエスの母マリアが神の恵みによりその母アンナの胎内に宿った時から原罪を免れていたとする信仰。ローマ教皇ピオ9世により1854年にカトリックの教義とされた。「マリアの永遠の処女性、無原罪、昇天などの教義は聖書に根拠のあるものではない」と日基教団『聖書事典』はしている。

カリスマ派:カリスマとは神の恩寵。カリスマ派は、聖霊の働きを重視し、神の恩寵によって預言や病気治しの力を与えられたとするグループ。非常に熱心な人びとがいる一方で、異端視される場合もある。

ピエドラ:スペインのアラゴン地方のサラゴーサ県にある。修道院があり、川と滝と湖がある。

アビラの聖テレサ:16世紀の神秘家。多くの修道院を作った。

「バビロンの川のほとりに座り、私たちは…」:旧約聖書詩編の詩137の冒頭。バビロン捕囚のつらさと約束の地を思う詩。