James Setouchi
ボルヘス『伝奇集』(鼓 直・訳) 岩波文庫 (中南米文学)
1 『伝奇集』Ficciones
1944年、ボルヘス45歳の時の作。『八岐(やまた)の園』(1941)と『工匠集』(1944)を合わせたもの。短編集。いずれも、作者自身によるプロローグのあとに九つの短編が載っている。合計十八の短編が読める。いくつか特徴を挙げる。
・きわめて衒学的(ペダンチック)で古今東西の人名・書名を出して語る。ブッキッシュ(書物に凝った、学者臭い)であり、それが好きな人には楽しい。しかもその知識たるや、どこまでが真実でどこからが嘘がわからない。この人類の文明史のまさに「迷宮」に迷い込んだ感じが楽しさの秘密の一つだろう。
・ラスト2行で逆転する話も多い。ショート・ショートの原型か。
・人生は誰かの見ている夢なのか、何が真実で何が仮想なのか、死が終わりではなくどこかへ続いているのか、世界(宇宙)は平板・単純ではなく、迷宮のように入り組んでいるのか、という問いがある。
・この謎に満ちた世界に、人間はそれでも言葉で肉薄しようとし、ついに届き得ない。この愚かしくも健気な人間の姿と、それを含む世界のワンダーを描く。そこで人は崇高なものに出会うこともある。他方、暴力的な世界の果てに端的で単純な死が待っていることもある。
いくつか紹介する。
「バベルの図書館」
『八岐の園』所収。ボルヘスは図書館長だった。巨大な図書館をミステリアスに描写する。この図書館は迷宮であり、世界あるいは宇宙そのもののようだ。「図書館は、その厳密な中心が任意の六角形であり、その円周は到達の不可能な球体である」「図書館は永遠を越えて存在する」「正書法の記号の数は二十五である」「広大な図書館に、おなじ本は二冊ない」「人類の根源的な神秘、つまり図書館と時間の起源の解明」のために「公的な捜索係、調査官がいる」「他のすべての本の鍵であり完全な要約である、一冊の本が存在していなければならない」・・「図書館は無限であり周期的である」などなど。
「ユダについての三つの考察」
『工匠集』所収。これは一種のキリスト教文学だ。ニールス・ルーネベルクは1904年『キリストかユダか』で、従来ユダになされてきた解釈はすべて虚偽である、ユダの裏切りは予定された行為だった、ユダはイエスの神性と意図を直観したからこそあえて密告者となった、として、神学者たちに攻撃された。ルーネベルクはやや教義を修正し1909年『秘密の救世主』を出版した。禁欲主義者は神の栄光を高めるために肉を卑しめ苦しめる。同様にユダは名誉、善、平和、天国を捨てた。誇る者は神によりて誇る。主の至福で十分だからこそ、ユダは地獄を求めた。神は人間となり汚辱を経験する。神がユダになられたのだ。ルーネベルクはそう書いた。世間は黙殺し、ルーネベルクは病に死んだ。これは、ボルヘスの創作だろう。ルーネベルクなる人が実在したかどうか知らない。ボルヘスは、あえてユダについて独特の解釈をして見せたのだろう。
「南部」
『工匠集』所収。南部とはここではアルゼンチン南部のこと。偶発的な暴力、端的な死がそこには待っている。
2 ホルヘ・ルイス・ボルヘスJorge Luis Borges1899~1986
アルゼンチン生れ。詩人、作家。日本で言えば夏目漱石クラスの、中南米では最も有名な人。1914年からヨーロッパで過ごす。1921年帰国。『論議』『汚辱の世界史』『永遠の歴史』などで有名になっていく。市立図書館に勤務、『伝奇集』を出すも戦後ペロン政権により左遷され退職。のち『アレフ』『続・審問』を出す。ペロンが失脚すると国立国会図書館長に任命される。国民文学賞受賞、ブエノスアイレス大学文学部教授となる。1961年ベケットとともに国際出版社賞受賞。作品が海外でも翻訳され始める。失明したので詩集『他者、自身』から『陰謀者たち』までは口述筆記で創作。『砂の本』は1975年。(集英社世界文学事典ほかを参照した。)
(中南米の文学)
フェンテス『アルテミオ・クルスの死』、ファン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』(メキシコ)、カブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』『族長の秋』(コロンビア、カリブ海)、バルガス=リョサ『緑の家』『密林の語り部』『ラ・カテドラルでの対話』(ペルー)、アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』(キューバ、ベネズエラ)、イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』(チリ)、コルタサル『追い求める男』(アルゼンチン)、ボルヘス『伝奇集』『アレフ』『七つの夜』(アルゼンチン)など。