James Setouchi

 

 夏目漱石『こころ』 各種文庫で読める。最も読まれている本。

 

[1] 作者 夏目漱石(1867~1916)。作家。江戸に生まれる。帝国大学卒業、地方の学校教師、ロンドン留学などを経て東京帝大の教師になるが辞し、朝日新聞に入社、文芸欄を担当。多くの作品を発表。代表作『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こころ』『道草』『明暗』など。

 

[2]『こころ』大正3年(1914年)朝日新聞連載。漱石は当時48才。上中下三部からなる。ネタバレします。

 上は「先生と私」で、若い「私」が明治45年頃のことを回想した手記。そのころ若い「私」(東京帝大の学生)は「先生」という謎の人物と知り合い、惹かれる。「先生」は東京帝大出の山の手の知識人だが、仕事をせず、美しい妻・静子と暮らしている。「先生」の談話は若い「私」には大学の講義よりも有益だ。「先生」は何かしら人生を背負っていて、「私」の人生にとって有益な話をしてくれそうな気がする。かつ、当時の帝大出エリートたち(同級生は出世している)を「先生」は激越に批判する。西洋化・近代化を表面的に推進するだけの体制知識人たちよりも、「先生」の方が学問・識見が遥かに高く深いのだ。

 

 中は「両親と私」。「私」は田舎の父が病気なので帰省する。田舎がどこかは書いていない。実家は大きな農家のようだ。「兄」も帝大出で九州で活躍している。当時九州は韓国併合(1910)直後で、朝鮮半島への帝国の進出の窓口だ。東京の「先生」のことを「父」は、高学歴なのに仕事をしていないのは「やくざ」(のら、と言うほどの意味)と否定する。「兄」も同様に「イゴイスト」だと否定する。「私」はそれに納得できない。「父」は「私」の卒業証書を床の間に飾る。近所の作さんが「父」のことを「子ども二人大学にやって」とうらやむ。「父」も「兄」も作さんも、帝国主義システムの価値観の中にあって、それを相対化できない。対して「先生」と「私」は帝国主義システムの価値観から自由だ。「母」のお光も、その意味では当時の「良妻賢母」主義の枠内の女性だ。(対して「先生」の妻の静子は、子どもがいないのだから、「良妻賢母」失格だ。漱石は恐らく意図的に対照させている。)「先生」から自死をほのめかす長文の手紙が来る。「私」は思わず東京行きの列車に飛び乗り、手紙を読む。

 

 「下」は「先生の遺書」だ。そこには「先生」の生育歴と明治30年頃の学生時代のことが書いてあった。「先生」は新潟の出身だが、叔父に財産を奪われ、人間不信になった。東京で下宿のお嬢さん(静子)と出会うが、同宿の親友・K(親を欺いてまで宗教的真理の探究・実践に生きようとしたが、静子への恋に落ちた)を欺き静子を奪い、そのため(かどうか不明だが)Kが自死してしまう。「先生」は自分をも信じられなくなる。世間と関わらず「死んだ気で生きていこう」とする。明治末年を迎えた頃、若い「私」に出会う。「先生」は「自由と独立と己れに充ちた現代に生きる我々は、その代償として淋しみを味わわざるをえない」と同時代批評をする。明治天皇が崩御し、乃木希典夫妻が自殺したのを見て、「先生」はこの世から去ることを決意。但し乃木夫妻とは異なり、血を見せず、静子を残して。以上の内容を長い長い手紙に記して、若い「私」に送る。「先生」は最も大切な「こころ」を「私」に残した。

 

 「上」を再読すると、若い「私」が手記を書いている語りの現在、「先生」はすでに亡く、静子は生きていることが分かる。「先生」から大切なものを継承して「私」は新しい時代を生きようとしている。「先生」の叔父は金のために家族を裏切り、Kは自己の信念のために家族を裏切り、「先生」は恋情のために親友を裏切った。彼らは自己の欲望のために他者を犠牲にする、同じ明治近代の申し子だ。まことに明治人は「自由と独立と己れに充ちた」時代にあって、孤独で淋しい存在なのだった。その「淋しみ」に帝国がつけ込む。そういう時代を終わらせ、新しい大正新時代においては、人と人とがこころとこころで繋がりあう関係を築いてほしい、と「先生」は「私」に伝えたのだろう。「私」は今でも「先生」を尊敬し、「よそよそしい頭文字」などでは呼ばず、冷徹に観察などしなかった。「先生」は「愛」(注1)の人だった、と「私」は改めて感じつつこの手記を書いている。(「先生」がKを頭文字で記し、冷徹に観察して攻撃したのとは違う関係を、すでに「私」は「先生」と結んでいた。)

 

 漱石は、乃木夫妻殉死を賛美する世間(森鴎外を含む)の風潮に対し、この書で批判を加えている。鴎外は古き良き武士道を歴史小説で書き続けるが、漱石は新しい時代の新しいモラルを現代小説で探り続ける。漱石の継承者が和辻哲郎安倍能成だ。和辻は和辻倫理学を作り、安倍は戦後文部大臣となり戦後の人格主義的な教育の土台を築き、日本に光明を灯した。 (注1:「愛」は漱石文学のキーワード。『虞美人草』『それから』等を見よ。)

 

(参考になる本)

石原千秋『漱石はどう読まれてきたか』、小森陽一『「こころ」を生成する心臓(ハート)』、小森陽一『世紀末の預言者夏目漱石』など 

                       

(補足)

『こころ』読者は三つの遺書を読む。一つは作中にあるKの遺書、もう一つは「先生」の長い長い遺書、残る一つは、乃木希典の遺書で、乃木殉死当時新聞に載ったので、読者は誰でも知っている。この三つの遺書の異同に注目すると、

乃木の遺書は、事務的事項は書いているが、なぜ死ぬかの内面は書いていない。

Kの遺書も、事務的事項は書いているが、なぜ死ぬかの内面は書いていない。

「先生」の遺書は、事務的事項は書かず、内面生活が非常に長く書いてある。

すなわち、乃木の遺書はKの遺書と同様で、形式ばかりで内面がない。「先生」の遺書だけがそれらとは違う。

 

 同じように、自死の仕方も異同を見ることができる。

 乃木は、黙って死に、流血して残した。当時の人びとは死の形式をそこで学んだ。(軍部の宣伝で集団自決への道が開かれた。)

 Kは、黙って死に、流血して死んだ。

 「先生」は、内面を残して去る。流血は見せない。

 

 すなわち、乃木とKは死の形式を残したが内面は残さず黙って死んだ。「先生」だけが形式ではなく内面(「こころ」)を書いて残した

 以上のように漱石は意図的に組み立てた、と読める。