James Setouchi

 

2024.6.14アンリ・バルビュス『クラルテ』宮原信 訳 

     Henri Barbusse“Clarté

 

1        アンリ・バルビュス(1873~1935)

 ゾラ(1840~)とマルロー(1901年生まれ)の間にいる作家。1873年パリ郊外に生まれる。父も文学愛好者。母はイギリス系。パリ大学文学部に学ぶ。官長や書店勤務をしながら詩や小説を書く。1908年『地獄』刊行。第1次大戦では志願兵に。1916年『砲火』でゴンクール賞。1919年『クラルテ』刊行。「クラルテ」運動始まる。「クラルテ」とは明るさの意味。「クラルテ」運動とはクーチュリエやルフェーヴル、またロマン・ロランらと始めた平和・幸福・正義の社会を建設する運動。1927年評伝『イエス』刊行。ここではイエスが労働者の子だったことに注目。同年ソヴィエト旅行。1932年アムステルダムの反戦・反ファシズム世界大会に出席。1935年パリの文化擁護国際作家会議で議長。8月急死。ナチスの政権掌握に対しては危機感を持って社会活動を行ったが、ソ連(スターリン)の暗部については明確に知らなかったのか、計4度のソ連訪問を行った。スペイン内戦や独ソ不可侵条約を目にする前に死去。この意味でも、ゾラ(労働組合を描く)とマルロー(ソ連に期待したが失望)の間にいる作家と言える。(集英社世界文学全集の菅野昭正の解説を参照した。)

 

2 『クラルテ』1918年完成。今回は集英社世界文学全集の宮原信による縮訳本で読んだ。

 「クラルテ」(Clarté)とは、「明るさ、光」の意味で、「真実と希望」の意味(解説の菅野昭正による。)もとは「叫ぶひと」という題名をつけることを考えていた。

 

(登場人物)(ややネタバレ)

「わたし」:シモン・ポーラン。24歳。ある街の事務を執る。伯母に育てられた。

ジョセフィーヌ伯母さん:親のない「わたし」に母親のような愛情を注ぎ育ててくれた。やせている。

マリー:「わたし」の従妹。「わたし」と結婚する。

クリヨン:手仕事をする何でも屋。人のいい大男だが・・

プリスビーユ:鍛冶屋。飲んだくれ。無政府主義者または共産主義者らしく、街の人から嫌われている。

ジョセフ・ボネアスさん:富裕で上品な青年。愛国者協会を作る。「わたし」はボネアスさんを最初尊敬していた。

ポカール氏:事業欲のある人物。やがて破産する。

フォンタン:酒屋でカフェを営業。金を集めていると噂。

ミエルヴァル:「わたし」の後継で事務をする男。

ゴズラン:金持ち。会社社長。

マルカッサン:ランプの手入れを仕事にしている男。愛国者同盟のメンバーで、軍隊では曹長。対独報復を正義と考える。戦場でも働くが、妻を残して戦死してしまう。

中尉殿:副官。兵たちに人気があったが、戦死。

テルミット:義勇兵。インターナショナルの一人。

農家の女:前線近くにいた。爆死。

ドイツ兵:前線で「わたし」と格闘し戦死。「わたし」に死体がのしかかる。

別のドイツ兵:前線で「わたし」と遭遇。「ドイツ帝国万歳!」と叫ぶ。

アントワネット:街にいる貧しい孤児。眼病で失明。人々は同情するだけで何もしない。

エヴリン・ド・モンチョン嬢:金持ちの娘。アントワネットと対照し貧富の差を示す。

ド・モンチヨン侯爵:街の有力者。

 

(あらすじ)(ネタバレ)

  時代はプロシア・フランス戦争で敗北後、20世紀初頭から第1次世界大戦まで。「わたし」はある都市の事務員だ。伯母に育てられ、従妹のマリーと結婚し、街の人々と交流する。毎日の暮らしが続く。その街には貴族、金持ち、労働者階級がいる。共産主義の思想が入っているようだが、街の人々は共産主義について知らないし毛嫌いしている。説得力を持つのは、対ドイツの報復を訴える偏狭な愛国主義だ。指導者たちは愛国心を唱える。やがて戦争が始まる。「わたし」は徴兵され、前線に送られる。塹壕を進み、砲撃の中、ドイツ兵と白兵戦を行う。そこで「わたし」はまさに地獄を経験した。ドイツ兵も自分も同じ人間なのに、敵味方に分かれて殺し合う。死体の山。「わたし」は気絶する。「わたし」は九死に一生を得て戦線から離脱する。「わたし」は、愛国主義を煽った指導者たちの嘘に気付く。戦争で儲けた奴もいる。人を煽っておいて自分は前線に行かない指導者たち。兵として前線で死んでいくのは貧しい労働者たちだ。「わたし」はそこに正義はない、と悟る。煽られてはならない。自分の頭で考えよう。軍旗も祖国も伝統も、人間を分断するものだ。世界共和国こそが理想だ。植民地も教会(貴族政党となりさがった)も遺産相続も不可だ。未来憲章が構想できる。感傷的な人道主義や兄弟愛ではなく知性による連帯、協働を。「わたし」はそう考える。

 

(コメント)

 バルビュスは実際に第1次大戦に志願し前線で戦闘に加わった。その経験があるので前線の描写にリアリティーがある。『砲火』も読んでみたい。(レマルク『西部戦線異状なし』(ドイツ側から見た第1次大戦の前線)も読んでみよう。)「わたし」は戦闘に参加する前は、共産主義について知らず、従来の伝統や教養などに一定の敬意を払う人間だった。が、戦闘の悲惨を経て、戦争の欺瞞に気付き、愛国主義を批判し、普遍的な人間共通の理想社会を夢見るに至る。それが社会主義や共産主義に近いかどうかはここでは論考しないが、レーニンは、プチブル階級の人間が戦争の影響で革命家に代わってゆく変貌を描いている旨の解釈をバルビュスに対してしているそうだ(解説の菅野昭正による)。ロマン・ロランも、バルビュスは国際的なプロレタリア主義に熱心に奉仕した人だ、とした(同前)。バルビュスは、スペイン内戦や独ソ不可侵条約を経験する前に亡くなったので、いわゆる「スターリンの裏切り」に傷つかないですんだとも言える。愛国心をはじめ世論で煽られた内容に左右されるのではなく、自分の頭でクリアに考えよう、とする主張は、もっともだ。「わたし」は知性の光(「クラルテ」)をてこに未来を開こうとする。

 

 偏狭な愛国主義、「伝統」なるものの捏造、国民を兵士として前線に駆り出す言論、それでいて金持ちや指導者層は人々を煽るだけで実際には前線には行かす、後方で安全に暮らすか、戦時ビジネスで儲ける。バルビュスが本作で書いているこの仕組みは、第1次大戦、第2次大戦だけでなく、現代においても、同じだ。では、どうすればよいか? ここは平和学で真剣に考察すべきところだ。宣戦布告を決定した内閣、国会議員、それで儲ける企業の経営陣や資本家を、開戦から10時間以内に前線に送る、という法律を作ればいい、という意見はどうですか(長谷川如是閑が「戦争絶滅受合法案」で同様のことを言っている)。あらかじめ抑止するには日頃の交流と信頼。(カナダが軍事力を増強してもアメリカ人は不安を感じない。東京と埼玉も互いに武装してにらみ合ったりしない。)根治するには、飢餓や貧困をあらかじめなくし、戦争をしかける必要自体を根絶すればよい。フランスとドイツは積年の恨みを捨てEUとしてつながることができた。フツ族とツチ族も和解した。東西ドイツも壁を壊した。ベトナム戦争すら終結した。戦争はおわるし、防止することもできる。日本はとにもかくにも戦後79年間平和を維持した。(2024年6月現在)