堂場瞬一 「沈黙の終わり」(ハルキ文庫・上下)
千葉県の野田市内を流れる江戸川の河川敷で発見された、7歳の女児の遺体・・・
東日新聞の埼玉支局の若手記者の古山は、県内でも4年前に8歳の女児が行方不明となる事件が発生したコトを思い出す
調べると、現場は江戸川を挟んで県を跨げど極く近隣であるコトが分かった
今回の事件の担当となる千葉支局・柏支局長の松島は、長年社会部で事件記者として過ごしてきたが、大病を患い本社を離れ、自宅のある柏でただ一人の女性の部下を持ち、来年の定年を迎える状態であった
しかし、古山からの情報提供を受け、改めて調べ直すと、ナンと33年前に同様の女児殺害事件が起き、しかも数年の間隔を空け同じ様な事件が、江戸側周辺で何度も発生していたコトが判明した
コレには警察の・特に縄張りに拘る県警同士のくだらないブライド意識が見え隠れしており、更に調査・追及を深めると、ソコには薄汚れた穢れた圧力が潜んでいたッ
元記者である堂場の、希望と叱責を込めた畢生の・デビュー20周年の記念碑的作
下巻の巻末には版元である角川春樹との特別対談も収録
と、上で書いた様にデビュー作20周年記念と言うコトで、以前から温めていた「新聞記者としての矜持」をテーマに、クライムサスペンスを+した内容となっている
作中で散々堂場が言及している「新聞を含めた既存メディアの凋落と堕落」「斜陽オワコンへの傾斜化」は、正にその通りだと思う
一応建前は「不偏不党」で「公平中立」である筈なのに、まずは自分達のイデオロギーありきの視線と結論・権力の暴走腐敗の監視と言いながら、自分達のコトを「第4の権力」などと宣う姿勢・自分らの間違いや偏向はテキトーにを濁して収める癖に、気に入らない自分らの思考とは違うモノへの些細な揚げ足取りなどなど・・・
現在のマスコミの姿には本当にガッカリさせられるし、コレでは彼らに本来の仕事を期待するコトも出来ないし、現実の市井の人々の想いとは乖離していると言わざるを得ない
ただ、堂場は元記者としてまだホンの僅かの希望と言うか期待を持っており、ソレが今作には込められている
現状に満足しサラリーマン化した記者へのアンチテーゼと檄が、主人公の二人・ベテランの松島と若手の古山に託されている
ストーリー展開などには、各別のトリックもッと云う様なサプライズもなく、ある意味想像通りに展開されているのは不満だし、Edももちっと終わり方ってモンがあったんじゃないのとは思うが・・・ソレでも惹き込まれる様にスラX2っと読めるのは、ファンとしての「贔屓目」なのだろうか
「Killers」(講談社文庫・上下)
’14の渋谷は、来たる東京オリンピックに向けて再開発の真っ只中にあった
そんなある日、古いアパートで老人の他殺体が発見され、額には≪の傷≫が刻まれていたッ
新聞記者の河東・捜査1課の生沢は、残された傷痕から50年以上前から続く連続殺人事件を思い出す
果たして、コノ遺体となった老人とは何者なのか そして関係とは一体
’85の渋谷・刑事の生沢宗太郎は代官山で発生した殺人事件の一報を聞き、現場へ駆けつける
死体の額には≪の傷≫があり・・・
20年前に起きた謎の殺人事件が再び甦ったのは何故なのか
半世紀にも及び殺人者の系譜・人々の生活の波に紛れ潜むキラーと何者だッ
デビュー「100冊目」となる、精魂込めたサイコサスペンス
単行本が’15のコトで、コレが単行本&文庫を含めコノ時点で通算100冊目となった記念碑作
デビューが’00なので、驚異的なスピードで次々と作品を世に産み出して来たコトになる
文庫化は’18
デビュー作は野ののスポーツモノ・も1つもメインジャンルは警察モノで、コチラのミステリは次々とシリーズ化され巻数を重ねていった結果なのだが、記念すべき100冊目がナンとコレまでほぼ書いていなかったサイコサスペンスで、しかも上下巻併せて1000Pを超える大Volの作品となった
舞台は渋谷で、戦前の混沌とした時期から物語が始まり、混乱~繁栄~のソレらの世相を交えながら、「連続殺人鬼・シリアルキラー」の光芒を描いている大河モノだったりする
ホンとだったら、もっと明るいHappyなストーリーもあっただろうに、何故にこんなに暗い内容なのか
コレは堂場のその当時の心境・決意の表れだと思う
2つの異なるジャンルをメインに描き、人気を得てきたが、以降はもっと別の違うジャンルのモノもモノにしていきたい・していくというコトなのだろう
事実、以降は↑でも書いた様に元職業の知見経験をタップリ盛り込み落とし込んだジャーナルものや、冒険譚・評伝などにもチャレンジしていっている
例のよってソノ刊行ペースと人気に衰えは見えず、既に今年だけで私も「6冊目」となっているし、まだまだ今年ももっと出るだろう
継続中のシリーズもあるし、ノンシリーズも出るだろうので、ファンとしては出来る限り追って行きたい・と思っている