「船の旅リポート」(34)その2
3月3日 (水) 晴時々スコール
狭い船室で6時には目が覚めた。僕たちは昨夜ボリビア側のチチカカ湖に面したChua港に到着して、そこに停泊していた双胴船(カタマラン)ホテルに泊まったのだ。その船の反対側にやや小型の双胴船が停泊しており、今日はこの双胴船でチチカカ湖の遊覧観光をしたのだ。7時に荷物を全部載せて出港した。途中狭い場所を通過してチチカカ湖本体に出て行った。
その間、船内で朝食が始まった。ビュッフェスタイルだった。僕はコカ茶を飲んだ。この湖の標高は3,810mだから富士山より高い所にある湖なのだ。そこで朝日を浴びながら朝食を摂るなんて、なんと素晴らしいことだ。船はインカ帝国の宗教的聖地であった太陽の島(ISLA DEL SOL)のInti Wata港を目指した。上陸してガイドのマリさんによる説明で博物館などを見学した。その博物館へは200段の石段を登った。その登山道のすぐ横に清流が流れており、野生のセリ(クレソン)が沢山自生していたので、思わず摘んで食べてしまった。日本で食べるのと全く同じ味がした。この清流は200段を登り切った所の3つの穴から湧きだしていた。左から健康(元気)、お金、愛情の3つを
表す泉なので、飲めばその3つを成就させるとのことだった。当然僕は3つとも手にすくって飲んできた。また、インカ末裔のシャーマンが、僕たちの旅の安全を願ってお祈りをしてくれて、有難い聖水を頭からふりかけてくれた。ご利益を期待したい。
そこから今度は葦船(トトラと言う葦を束ねて作った船)に乗ってPilkokaina港まで行った。途中で皆に櫂で漕がしてくれたので僕も実際に漕いでみた。この葦船は有名なハイエルダールのコンティキ号でも使われていた。今はこのような観光船にしか利用されていないが、実際に人が棲んでいる浮島も同じ葦で作られているそうだ。Pilkokaina港で双胴船に戻り、太陽の島を後にして、今度は本土側の何とその名もCopacabana港を目指した。そこで上陸して街中を散歩した。その後船に戻り、昼食もビュッフェスタイルで摂った。従い、この船で朝食、昼食を摂ったわけだ。それからが凄い経験をした。
実は当初Copacabana港からバスでペルーに入る予定を立てていたが、急遽この船での移動となり、ペルー側へは徒歩で入国することになった。この双胴船が入れるような港がなく通船に乗り換えて上陸し、ボリビア側の出国手続き、ペルー側の入国手続きを行った。船着き場から税関事務所まで徒歩で行ったが山を登る形になったので、まるで難民が密出国するようだと皆で笑い合った。ともかく徒歩で国境をまたぐ経験は今回は殆ど無かったのでとても印象的だった。道路の真ん中に真鍮製の直径10cm程度の標識が打ち込んでありボリビア側とペルー側を分けていた。記念に写真を撮った。
そこからは、今夜の宿泊地Puno(プーノ)へ向けて高原地帯をひた走った。右側にチチカカ湖が見えて、長閑な田園地帯が続いていた。主として牛や羊を飼って、農業も営んでいるようだった。その内、暗くなり雨も降りだして、Punoに着いてホテルにチェックインできたのは9時を過ぎていた。このところ毎晩遅い夕食が続いており、胃にもたれるので食事の量はできるだけ少なくして残すようにしているが、今夜もそうした。ビールを飲みたかったが、ここで高山病になったら元も子も無いと思い我慢して、水のみにした。明日はクスコへの移動日だが、プーノ近辺でのデモ隊による道路封鎖が予想されるので、早目に出発ということになり、4時起き5時半出発と発表された。Punoのホテルは、新設の立派なホテルだったのでゆっくりしたかったが、明日のことも考えて夕食後は何もせずに寝た。全く今回のオーバーランドツアーは体力勝負のツアーである。
そう言えば、今回既に2名の女性とその内1名の女性のご主人の合計3名が途中でこのオーバーランドツアーを離脱した。1人の女性は四駆で僕たちの車に同乗したKさんで、本日現在ラパスの病院に入院している。様子を見て僕たちより先にリマに下りるかどうか決めるとのこと。あとのご夫婦は奥さんの方が高山病になったのでご主人と一緒に昨日飛行機でリマに行き、病院に入院したとのことであった。この奥さんは最初の頃は下車地でいつも人より先に動きまわっていたので元気だなと思っていたが、結局高山病にかかってこんなことになってしまったのだ。従ってご夫婦ともこのオーバーランドツアーの目的であるウユニ塩湖やチチカカ湖を観ることもなく離脱せざるを得なくなり、さぞかし残念に思っていることであろう。体力勝負的な面もあるが、やはり高山病にならないように、医師や先達の予防策をよく聞いて、それに従うことが重要だ。僕がビールやワインを飲まずに摂生に努めている訳もこれで読者の皆様はお判りいただけるのではないかと思う。せっかく高いお金を払ってツアーに参加しても病気で途中離脱では意味が無いばかりでなく、他の参加者にも迷惑がかかる。それと教訓としては、やはりきちんと保険に入っておくことであろう。今回、彼らにどのような費用がかかったか、どこまで保険で回収できるのか知らないが、余分な飛行機運賃が発生していることだけは確かである。
3月4日 (木) 晴時々曇時々スコール
今日はクスコへの移動日だった。昨夜から今朝の農民によるダム建設反対のデモと彼らによる道路の通行妨害、道路封鎖などが予測されると言うことで、4時には起床し、5時半にはホテルを出発して、今夜の宿泊地クスコへ向かった。案の定、プーノ市内を出たところでデモ隊による道路通行妨害に遭った。彼らのやり方は、幹線道路に大きな石を撒き散らして、車が通れないようにするやり方だった。上下線とも車は動きが取れなくなり、僕たちのバスも停まらざるを得ない。7~8名のヘルメットにプラスティックの楯を持った警官隊が車の運転手達と協力して、道路上の置き石を左右に動かして車の通り道を確保して行った。その間、デモ隊はその動きを遠巻きにして見守っていた。自動車が少しずつ動き出すと、そのデモ隊は僕たちの進行方向とは反対方向に動き、せっかく取り除いた石を再度道路に撒き散らしていた。これでは警官隊とデモ隊の道路妨害のいたちごっこである。僕たちは、傍を通りすぎるデモ隊の連中を刺激しないように車内で静かにしていた。下手に写真を撮ったりして投石などをされたらかなわないからである。
夕方のテレビで今日のプーノ市内での警官隊とデモ隊との間の小競り合いを伝えていた。今日午前中にプーノ市内から脱出できた観光バスは僕たちだけだったと後で聞いた。早起きして出発したのが正解だったわけだ。
今日はクスコへの移動日ということで、途中での観光はシュスタニ遺跡見学のみだった。この遺跡は前インカ帝国時代からの貴人たちを葬ったお墓の遺跡だ。やや息が切れたが約30分間の徒歩での観光を終えてクスコへ向かった。道は舗装されており3,500m前後の高原地帯を順調に走行した。周囲のなだらかな山々は麓から山頂近くまで人の手が入っていることを示す等高線の石垣が組まれており、よくぞあんな高いところまでと驚くほどであった。
途中のLa Raya峠がプーノとクスコの分水嶺となっており、クスコ側の川の水は最終的にはアマゾン河に合流してゆくそうである。周囲の山々からの雪解け水が流れていたが、これがアマゾン河の源流の一つかと思うと感慨深かった。また、周囲の景色も一変し、これまでのプーノ側のパンパス状態から緑豊かな田園風景に変わり、栽培植物もキヌアは完全に消えて、トウモロコシ畑一色になった。家畜ももうリャマはおらず、牛と羊ばかりになった。峠の向こうとこちらでこうも植生が違うのかと驚くばかりだった。
今日は目的地への到着は予定より早く出発したお陰でその分早く5時過ぎにはクスコ市内のノボテル・ホテルにチェックインできた。やっと文明の地に戻ってきた感じがした。早速、シャワーを浴びて溜まっていた洗濯をした。また、室内のテレビにNHKが入っていたので本当に久し振りにニュースを観ることができた。日本では今日はとても暖かかったと伝えていた。インターネットのシステムも使えたので、メールを開くと先日のチリ大地震で心配して下さった方々からのメールが入っていた。早速、航海記リポート(33)を添付しながら最近のご無沙汰をお詫びした。ともかく、インターネットからは程遠い世界にいたのと、早朝出発の上に夜遅い到着で旅行記を書く暇も無かったのが実情だった。
今夜は、ホテルの外のレストランシアターで民族舞踊を観ながらのディナーだった。民族舞踊よりも民族楽器での演奏が良かった。とくに「コンドルは翔んで行く」は圧巻だった。
ホテルに戻ったのは10時前だった。ホテルの部屋は4階だった。窓の外にはクスコ市内の灯りの一部が見えた。明後日の本船への合流を前にぐちゃぐちゃになっているスーツケースの中を整理していたら12時近くになってしまったが、クスコは連泊だし明日の出発は8時45分なので目覚まし時計を7時にセットして寝た。
3月5日 (金) 曇時々晴
今日は午前中から昼食にかけてのクスコ市内観光の日で、午後は自由行動の日となった。
朝は7時前に起きてしまい、NHKテレビを観た。寺島しのぶさんがベルリン映画祭で主演女優賞をもらったと午後9時からのニュースが伝えていた。あとは普天間基地の代替地をどうするかでごたごたしているとのことだったが、2ヶ月も日本からはなれていると政治家の話が遠い外国の話のように聞こえた。為替が89円台になっていたのは驚いたが、日経ダウが10,000円以上だったのには安心した。
今朝は2台のマイクロバスに分乗して、サクサイマワン、ケンコー、コリカンチャなどのインカ帝国の素晴らしい石組み遺跡をみてまわった。インカ帝国がなぜ滅びてしまったのか、その原因には諸説あるようだが、巨石を使った石組み技術には目を見張るものがある。特にコリカンチャ(太陽の神殿)の南半球の冬至の日(6月21日頃)に太陽の光が差し込む窓などはとても興味深かった。また、12角の石を利用した石組みも観たが、よくぞここまで計算して他の石を組み合わせたものだと感心した。日本でもお城の石垣には素晴らしい曲線を持った石組みがあるので、これは何もクスコのインカ文明だけではないのだろう。剃刀の刃一枚の隙間も無いのは本当だった。大体が石と石の間に目地を入れて石を接着するのが普通だが、いきなり巨石を目地無しで組むのだから、相当進んだ技術を持っていたわけだ。現在のペルーの人たちが、自分達の祖先が素晴らしい建築技術、石組み技術を持っていたことを誇りにして、世界に冠たる土木・建築技術の進展に貢献してほしいものだと思った。
午後からの自由時間は、ホテルの部屋でこの航海記リポートを書くことに専念した。お陰で今日までの分を全てキャッチアップできた。
明日は7時20分発のLAN航空でリマへ下りる。3,400mのクスコからリマを経由して海抜5mの本船に戻る。モーニングコールは午前4時半、ホテル出発は午前6時とのことだ。今夜のディナーはホテル内で午後7時からとのこと。高地での最後の夜をゆっくり過ごそうと思う。