「船の旅リポート」(34)その1 | JBジャムのダンスブログ

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「船の旅リポート」(34)   From huck



2月28日 (日) 晴時々曇夕方雨


 今日で2月もおしまい。昨夜のホテルではインターネットの設備なく、航海記を送ることができなかった。日本ではチリの大地震で大騒ぎしているらしい。添乗員が東京のジャパングレイス本社にオーバーランドツアー一行31名の無事を連絡したところ、2,3家族から問い合わせがあったとのこと。本船が予定通り明日バルパライソ港に入港できるかどうか、パイネ国立公園へ6日間のオーバーランドツアーに行っている一行が、本船に戻れるかどうかは現時点では不明とのこと。


 それはさておき、僕たち一行は、今朝はボリビア国に向けて昨日と同じバスでホテルを8時半に出発した。チリ国の出国税関はすぐ近くで簡単に済んだ。そこからボリビア国の入国税関までは何と小1時間バスに揺られて山を登って行く。着いてみると税関とは名ばかりで道に遮断機があるだけ。入国書類をバスの中で書いて入国審査官に提出するとポンと判をついてそれでおしまい。あっけないことおびただしい。


 そこでチリ側の旅行社からボリビア側の旅行社にスウィッチされて新しい旅が始まった。

その旅は、この31名と添乗員2名が3名から4名に分かれて、9台のトヨタ・ランドクルーザーに分乗して始まった。最初は、なんでバスではないのかと不思議に思ったがすぐにバスでは無理でトヨタランクルのような四輪駆動の車でないと通行は無理なことが判った。道路は山中の車1台がやっと通れる様な曲がりくねった道で、まるでインカ道を車が通れるように一寸拡げたというような感じだ。こんな道路はバスでは絶対に無理だ。写真を撮りたくても車のバウンドが激しくてうまくシャッターが押せないほどだ。その上、いたる所に水溜りができている。聞けばボリビアは現在夏の終わりから秋の初めに向かっており、と言うことは雨期に入ろうとしているそうだ。ボリビアを観光するなら、9月から12月頃がベストとガイドが言っていた。


 ところで、ボリビアはチリから見て1時間時差があり、時計を1時間戻した。即ち。日本との時差は13時間となった。今からはだんだん日本に近づいて行くのだ。


 ボリビアに入って悪路と闘いながら改めてトヨタ・ランドクルーザーの威力を感じた。この9台のコンボイと言うかキャラバンには、9台目にメカニックが乗っており何か車に問題があれば車の間の無線ですぐかけつけてその場で修理する。必要ならすぐツナギに着替えて車の下にもぐりこみ修理する。それはすばらしいチームを組んで僕たちの旅をサポートしてくれた。なぜかこの旅行社の名前はAir Teamだったけれど。クルーの隊長はボリビア人のマルコで、9人の運転手や僕たちの添乗員を巧みに誘導しながら旅程をこなしてくれた。今回の僕たちのオーバーランドツアーは既に述べた通り主として高地での観光が主体となっている。そこは酸素は薄いし、高山病の恐れもある。従って、各車に乗っている僕たち添乗員も含めて33名の状態をチェックしながら旅程を進めるのは大変な作業だ。

これまでの大型バスか中型バスでの旅とは全く違った旅だった。


 僕たちは日頃仲良くしているS氏、J子さん、Y子さんと僕の4名で乗車した。J子さんとはアフリカのサファリで一緒だったし、S氏とは南米のイグアスの滝で一緒したので顔見知りだった。


 ボリビアに入国して最初の観光地は、山中にある湖だ。こちらでは小規模の湖をラグーナと呼んでおり、太陽光線の加減と水中に溶けだしたミネラル成分の関係で水面がエメラルドグリーンに輝くラグーナ・ベルデを車から降りて見た。デジカメで沢山写真を撮ったが、果たしてその感じを写し取れたか心もとない。その後も大小様々なラグーンを見た。中にはフラミンゴが沢山いるラグーンもあった。また、途中で温泉が湧いている場所もあり、降りて足湯につかったりした。また、途中今回の旅で最高地点となる標高5,200mの地点を通過した。毎日、指示された通りの高山病予防薬を服用しているので、多少息苦しい程度で過ごすことができた。


 周囲の山々には木は全く生えておらず、丈の低い草が生えている。そこに野生のビクーニャ、グアナコ、リャマ、アルパカなどが棲息している。リャマとアルパカは家畜化されており、放牧されていると言って良い。4種類とも首が長く、ラクダ科の動物だ。ビクーニャやそれよりやや大型のグアナコは人に慣れないそうだ。


 そんなこんなで今日は非常に長時間の移動になり、ようやく宿屋に着いたのは夜の10時で、とても夕食など食べる元気が無かったが、熱い野菜スープだけ飲んで寝た。この山中の宿屋と言うかホテルは夜は電気を落としてしまうので、ロウソクでの生活となる。デジカメの充電もできないし困った。幸い翌朝6時半に電気が戻り、出発までに充電できたので事なきを得た。このホテルは小さいので、僕たち一行は2班に分かれて分宿したが、他のホテルの連中も似たりよったりだったそうだ。ともかくそんな状態だから、リポートを書いたり、ましてや日本にメールを送ったりすることなどは全く出来ない状態だった。部屋の温度は低かったし暖房設備も無かったので、靴下をはいたままベッドにもぐりこんで寝た。





3月1日 (月) 晴時々曇、雨


昨夜は寒くてなかなか寝付けなかったし、高度が高いので夜中に頭痛で目が覚めることがあった。これも高山で起こる現象なのであろう。今朝は他のホテルに宿泊した班も僕たちのホテルに集まってきて、9時過ぎにまた9台の四駆によるコンボイを組んで、最終目的地のウユニ塩湖に向けて出発した。高山病にかかって苦しんでいるKさんが同乗してきた。彼女はあまりお酒も飲まないのに気持ちが悪くなり、何を飲んでも吐いたりするそうで、車に乗ると同時に吐いていた。


僕たちは、昨日と同じようながたがた道や道路全体が水没しているような場所をのろのろと進んだ。現在は雨期が続いており、その地域全体の道路がぬかるみになっていた。一寸大げさに言うと「道なき道」を選んで進むと言った状況だった。それでもウユニの街に3時半に到着してレストランで昼食を摂った。


それからが今回のオーバーランドツアーの目的のウユニ塩湖の観光だ。ウユニ塩湖は僕たちの眼前に広がっていた。まず、ここで作られている食塩の製造過程の見学があった。その後、いよいよウユニ塩湖への四駆での乗り入れだ。四駆が入れるくらいなので、水深は約5cm程度で、下は固い塩の層だ。裸足になって車から降りた。風は弱く、水面にさざ波はたっていない。水温もそれほど低くなく、裸足に心地よい。NHKのワンダー・ワンダーでウユニ塩湖を放映したのは昨年だったろうか。まさにテレビで見たのと同じ光景が眼前に広がっていた。空の雲が水面に映るのだ。水平線を境にして全く対称的な景色が湖面に映っていた。これを見て体験するために、遠路はるばるここまでやって来たのだと感慨無量の心境だった。9台の四駆がずらりと並んで、皆が車から降りて、この素晴らしい光景を楽しんだ。お互いに湖面に映った自分の姿を写真に撮り合った。


その夜は、ウユニ塩湖の堆積した塩のブロックで作った「塩のホテル」に投宿した。このホテルはウユニ塩湖の中にあり、建築に使用した構造材が塩のブロックなのだ。構造材だけでなく、なんとベッドまで塩のブロックでできていたし、部屋の装飾品、壁材、床など全て塩だった。舐めてみると塩辛かった。このホテルも日本のテレビで紹介されたそうだが僕は見ていなかったので、こんなホテルに泊まれるなんて感激だった。浴室はシャワーだけだったが、さすがに塩壁だけではだんだん水に溶けてしまうのでプラスティックシートでカバーしてあった。室内も廊下も全部塩なので、真っ白だ。一寸寒々とした感じがした。いろいろな家具類は、木製だった。ベッドの台が塩なので、ベッドから出る時に、足のふくらはぎがすりむけそうになった。部屋には、テレビや電話は置いてなかった。ここまで来て、テレビを観たり、電話をしたりするな、自然を楽しめと言うことなのだろう。本当に貴重な経験をした一日だった。


3月2日 (火) 晴時々曇雷雨

今日はチチカカ湖への四輪駆動ランクルでの移動の日だ。塩のホテルを出発してチチカカ湖に向かった。当初、今夜はラパスのラディソンホテルに一泊して、明日3日に観光する予定であったが、3日にラパス市内の運転手の組合が早朝からストライキをする可能性があるとのことで、急遽予定を変更し、今夜中にチチカカ湖まで行って、旅行社の経営している双胴船(カタマラン)のホテルに宿泊することになった。事情が事情だけに反対する根拠もなく、ラパスへ向かった。

9台の四駆は相変わらず悪路を進み、時には雨期の洪水で川が氾濫しどこか川を渡れる場所を求めて道無き道を進んでようやく浅瀬を探して渡ったり、時には道が水没している場所で泥にはまって動けなくなっている数台のトラックを横目で見ながら安全そうな場所を探して渡河したり、本当にワイルドな旅だった。昼前に舗装道路に出会った時には、車内で歓声があがるほどだった。

今日の同乗者は、J子さんとY子さんだった。さらに旅行会社のガブリエラとマリアという女性が交代で乗車してきた。運転手はギドというボリビア人だった。ギドはコカの葉を噛みながら運転していた。このコカの葉はお茶にして飲んだり、直接口の中で唾液で噛みながら成分を吸い出しながら使用する。コカインの原料にもなるので、日本では使用禁止だ。コカ茶はティーバッグでも売っているし、葉を日本の緑茶と同じように使って熱いお湯を注いで成分を抽出して飲む。高山病予防にもなるとのことで、僕はコカ茶をよく飲んだ。

旅行社のマリアは19歳で独身。日本に興味を持っており、日本語を勉強したいと言うので、日本大使館に行って日本語を勉強するための奨学金制度があるかどうかチェックすることを勧めた。今夜のラパスでのお別れの挨拶を日本語でやりたいと言うので、彼女に英語で作文させ、それを日本語に直し、それをローマ字表記にして発音を教えた。スペイン語と日本語は発音が近いので、覚えるのも早かった。J子さんもY子さんも一緒に教えたので、最後にきちんと日本語で挨拶出来た時には僕も嬉しかった。

道中は長く、トイレが完備されているわけではないので、適当な時間に青空トイレで用をたした。何日も何回も青空トイレをしていると皆さん、特に女性はうまく隠れ場所を探すのが上手になってきていた。

車外の景色は次第にリャマから牛や羊の放牧に変わって行った。リャマ文化圏から牛羊文化圏へ、キヌアという粟に似た雑穀の畑に変わっていった。このキヌアは、ボリビア人の穀類の代表的主食、強いて言えば米と言える。

ラパス市内には午後時に入り、ラディソンホテルで、この9台の四駆ランクルキャラバンとの解団を行った。その時にマリアが日本語で挨拶したのだ。午後11時には夕食を終えて、今度は1台のバスでチチカカ湖に向かい、双胴船に着いたのは午前1時だった。雨が降っていた。デジカメの電源探しに苦労したが、ようやく見つけてセットし、何もせずに狭い船室でぶっ倒れるように寝た。長い1日だった。