チャックは浅川マキなんて聞いていないよな。
チャックからのリポート3通目。
「船の旅リポート」(16) From chuck
今日は横浜を出港して20日目だ。いよいよ未知の国セイシェルにやってきた。予定通り朝6時に接岸ということで、明け方には既にエンジン音もスローになっていた。今朝は全員5時に起床。デッキに出て接岸を見守った。眼前に花崗岩でできた岩山がそびえており、サンゴ礁でできた低い島を想像していた僕には、新鮮な感じがした。セイシェル諸島は、アフリカ大陸やインド、オーストラリアなどの地質から独立しており、花崗岩がベースとなった島でサンゴ礁からできた島ではないそうだ。もっとも、シンガポールを7日に出港して9日目に見る久し振りの上陸地なので、その期待もあって高い山に驚いたのかも知れない。バスの中の現地ガイドによれば我々が上陸したセイシェルで一番大きな島で首都のポートビクトリアのあるマヘ島の最高点が海抜905mだそうだ。ポートビクトリアの国の中枢組織が全て集まっており、国民総人口は85,000人、たったの85,000人だ。100数十の島からなっており、半分以上が無人島で、総人口の70%が首都に集まっている。人種もアフリカ東岸からの黒人文化と旧宗主国のヨーロッパのフランス文化の融合によるクレオール文化が主流である。
今日は朝6時に接岸して夜7時には出港するという極めて短い寄港である。従って寄港地プログラムも限られており、僕は「マヘ島1日観光」というプログラムを選んでいた。朝8時半に20名ずつが6台の小型バスに分乗して出発。ものの5分でポートビクトリアの街の中心に到着。もう観光客目当てのお土産品屋が開店していた。貝がら細工などをうっているが、特に買いたいものは無かった。その足で、中心街を散策したが、端から端まで歩いても10分とかからない。ロンドンのビッグベンを模して造られたミニチュアの時計台が交差点の中心に建っていたが、自動車の数自体が最初から少ないので、交通の障害にはならない。
そこから数分でビクトリア・マーケットへ行った。今日は土曜日だが、非常に混んでいて野菜、果物、魚、花卉など生鮮食料品を縁台の上に拡げて売っている。魚に興味があったが、氷を使わずそのまま縁台の上に拡げて客の要請に従って切って売るか、小型の魚は丸のまま売っていた。魚の種類は、太平洋で取れる暖流系のものと同じで、大型はロウニンアジ、サワラ、カツオ、ソーダカツオ、オニカマスなどに加えて、底性のクエなども売っていた。他にはいかにも熱帯を思わせる赤い色のフエフキダイとか名前はしらない魚が縁台に所狭しと並べられていた。船客の一人がホンガツオ2本とアジ(モドキ)5本を購入して本船に持ち込んで、本船の日本人コックに刺身にしてくれと頼んだが、本船の衛生管理上それは出来ないと断られたと後でボヤいていた。ともかく安かったらしいが、氷で冷やさずに売っているものを購入しては、下手に料理して腹でもこわされたら大変な責任問題になりかねず、本船側の対応は当然だと思われた。
その後、セイシェルの絶滅危惧種でありマヘ島ともう1ヶ所の島にしか自生していないという「ココデミア」と言う椰子の実のなる木を植物園に観に行った。和名では「二子ヤシ」と言うそうだが、この椰子の実は、雌雄異株で当然メスの木になる。実の中身が女性のお尻を後ろから観た形に似ている。それで有名な椰子だ。まあ、女性が見るとその卑猥とも言える姿形に嫌悪感を催すかも知れないが、男性が見ると淫らな妄想に取りつかれて思わずニヤニヤしそうだ。しかし、これのオブジェがセイシェル財務省の入り口に堂々と飾ってあったし、お土産品屋でも大小取り混ぜて売っていたので、僕が思うほど卑猥ではないのかも知れない。
さらにこの植物園には植物以外に生きたゾウガメを展示していた。ゾウガメは、太平洋のガラパゴス諸島のみに生息する陸ガメだと勝手に認識していたが、セイシェル諸島にもいたのだ。10数頭が飼われていた。勿論、写真を沢山撮った。
セイシェル諸島は植物の宝庫のようで、山地を段々畑にしたお茶の木の栽培などもしていた。お茶はもともとインドのアッサム地方から来たとの説明であった。また、セイシェルでは、お茶は所謂お茶の木の葉を蒸したり乾燥したりしてお湯を加えて出すもの以外に、レモングラスというイネ科に似た草を醸して出すお茶を飲んでいた。昼食時間に僕も飲んでみたが、さっぱりしていて、きらいな味ではなかった。
ところで今日は暑かったので短パンで行ったところ植物園やその後訪問した山の展望台あたりで、蚊に随分刺された。マラリアの薬を飲んでいなかったので心配だったが、セイシェルの蚊はマラリアに感染していないのでマラリアを媒介しないと聞いて安心した。
今日の昼食はビーチ沿いのレストランでビュッフェ形式のクレオール料理だった。同行したT氏は一本5US$の瓶ビールを2本も飲んでいたが、僕は目の前のビーチで泳ぐためにビールは飲まなかった。食事もそこそこに着替えて、ビーチに行き海に入ったが、波打ち際からものの5mも入ると、底がサンゴのかけらや岩で足の裏が痛くてそれ以上前に進めない。一方、波は大きく打ち寄せてきて、立っていても波の力でバランスを失い倒れて怪我をしかねない。これ以上沖に出るのは危険と判断し、波打ち際でパシャパシャ水遊びをする程度しかできず、とても泳ぐと言った状態ではなかった。このビーチは泳いでいる人は少なく、家族連れの女性がトップレスで泳いでいたそうだが、僕は生憎メガネをかけていなかったので、何も見えず残念なことをした。波のある日にメガネをかけて海に入ることはしないのでまあ仕方がなかろう。例によって、T氏がしっかり望遠レンズでカメラに収めていたので、あとでメガネをかけて見せてもらった。
観光の途中で、持参していた小型ラジオを出して、FMの局を探していたら、92.6メガで「パラダイスFM」という音楽局が入った。これで英語のローカル・ニュースが聞けると期待したが音楽ばかりなのと山の影などでは電波が弱くなってよく聞き取れなかった。特に、最近ハイチで大地震があって沢山の人が死んだとか、日本でも民主党の閣僚が辞めたか更迭されたか、人づてに漏れ聞くがはっきりしたことは判らない。インターネットでいくらでも検索できるのだが、1分42円となるとついケチになってそのままになっている。ピースボート側も、ニュースを印刷して貼りだせば良いのに、その作業をしない。今回、セイシェルでも新しい日本語の新聞などは積み込んでいないので、当分何も知らないままに過ごしそうだ。
観光の途中で、本船出港が午後7時から午前0時に5時間遅れるとの連絡が入り、帰船リミットが午後6時から午後11時に変更になった。しかし、今日は土曜日でお土産品屋まで午後は閉めており、街中を歩いても特に見るべきものは無いようだし、午後4時過ぎには本船に戻り、そのまま2度目の下船はしなかった。本来、セイシェルなんて国には、こんな短時間の訪問ではなく、せめて1週間くらいは滞在して、のんびりとアイランド・ライフを楽しむべきであろう。これでは、来た、観た、帰ったでせわしなさすぎる。
夜は、洋上シネマで、「名もなきアフリカの地で」という2001年度外国映画グランプリを取ったユダヤ人一家のドイツ映画を観た。ナチに追われたドイツのユダヤ人一家がケニヤに政治亡命するが、紆余曲折の末、戦後にドイツに戻るという粗筋の物語だった。
10時半の就寝時、本船はまだ接岸停泊して燃料油を積み込んでいた。この5時間の遅れを明日以降、本船のスピードをあげてキャッチアップし、ケニヤのモンバサには当初の予定通り1月19日(火)午前8時に接岸すると発表された。
セイシェルは世界で一番素敵なところという話もある。
行ってみたいな。