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「船の旅リポート」(13) From Chuck
1月13日(水)横浜出港後17日目。昨夜真夜中の12時に時差を1時間調整した。本日の日本との時差は4時間である。と言うことは、日本のお昼12時は、こちらではまだ朝の8時だ。このくらいのゆっくりした時差調整ならなんとかついて行ける。
本日の本船の正午の位置は、北緯でも南緯でも0度0分0秒、即ち赤道上にいた。東経は70度49分、従ってこのポイントで赤道を越えたということ。今や全世界の位置を人工衛星を利用したGPSで、瞬時にかつピンポイントに調べることができる。従って、この位置は正しい位置の筈である。信じて下さいネ。その他のデータとしては、本船のスピード16.08ノット、気温32℃、海水温27℃、波高3フィート、気圧1,019hPa、深さ3,906m、方向262度(これは海図から僕が推測したもの、真西なら270度)。今日も終日波穏やかで、インド洋ってこんな海だったの?と改めて感心した。学生時代にタンカーで通った時はもっと激しく揺れたような気がする。朝日も水平線から目玉焼きの目玉のような太陽が昇って、それはそれはきれいだった。ラジオ体操の時間帯と重なっていて写真は撮れなかったが、まさに旭日という感じだった。そう言えば、夕日もきれいだった。現在夕日は、船の進行方向に沈むが、残念ながら本船は、船客が船首に出られる構造になっておらず、きれいな夕日を真正面から撮影する場所が無い。それで、多くの船客が船首に行かせろと本船側と交渉したとかで、夕日が沈む10分くらい前から本船が洋上でコンパスの作動試験を行うとして理由を作り、くるりと360度の旋回をしてくれた。それで、沈む夕日を船首以外の全ての側で見ることができ、船客の多くがそれを写真におさめていた。キャプテンの粋な計らいだった。
それはさておき、今日は赤道を東北東から西南西に斜めに横切って南半球に入る記念すべき日ということで赤道通過記念イベントが開催された。丁度横切った時間に本船が汽笛を吹鳴し、船客がプールデッキの記念イベント海上に集まってお祝いすると同時に、全員で記念集合写真を撮った。どの位の船客が集まったか判らないが、僕は比較的前の方にいたので、ムシメガネで見れば判るかもしれない。その会場で、重力以外の何も力が加わらなければ、落下する水流は、北半球では右回り(時計回り)、南半球では左回り(反時計回り)になるという説があるので、それを確かめるための実験が行われた。1リットル入りのペットボトルの底を取り去って、口の部分を下にし、水を底の方から満たし上に発泡スチロールの小片を浮かしたものを用意した。北半球に居る時に下にした口金を開くと中の水が落下し始めるが、その時の発泡スチロールの小片の動きが右回りに回り、南半球では同じものが左回りに回るということで確かめようとした。これは、洗面台に溜めた水を流す時に、北半球では右回りに渦を巻きながら流れ出し、南半球では左回りに渦をまくことでも確かめられるとのご託宣であった。本当かな?北半球の台風は、左回りだが、南半球の台風は右回りなのだろうか?読者の皆さん、本当のところをインターネットで調べてみて下さい。
ところで、同室の3人の同室生活(同棲と言うと男女の感じがするので、敢えて同室とする)も17日も経過してほぼ各自の生活パターンが定着してきた。僕が一番年長ということで、室長を拝命しているので、何か決める時には一応仕切り役をやっている。T氏は2歳若いが、写真が趣味で運動関係のイベントやプログラムには一切参加せず、朝は朝日の昇る前から、夜は夕日が沈むまでの間、デッキに出て、イルカなど海生生物の写真を撮りまくっている。先日のイルカの出現時の写真を早速プリントしてくれた。彼は独身で、現在
生活している上で生活が落ち着いて来たなと一番感じるのは、生理現象の時間帯である。最初はお互い遠慮もあってトイレタイムをどうするかだったが、ここにきてすっかり落ち着いた。僕のような大地(痔)主は、日本にいれば大概の場所にはウォッシュレットの設備があるので、いつも清潔に保てて地主問題は発生しないが、本船は外国の船だしそのような「お尻に優しい文明の機器」は付いていないので、困ってしまう。ハンディ・タイプのウォッシュレットも旅行用品屋で売っていて試してみたが、使用に慣れるには相当の練習が必要だ。従って、それは万が一の時のために取っておいて、通常はシャワーを浴びて清潔を保つようにしている。船室の構造は、居間兼ベッドルームとトイレ兼シャワールーム兼洗面台との間は鍵のかかるドアで仕切られている。そのドアが閉まっている時は、3人の内の誰かが、中でトイレを使っているか、シャワーを浴びているか、ヒゲを剃ったり顔を洗ったりしていると言うことだという暗黙の了解事項が成立するようになった。従って、トイレで用を足す前にドアをきちんと閉めて置けば、内部が静かでも、ははーん、誰かが中にいるのだなと推察できるわけだ。それで、僕は安心して、別に危険を感じているわけではないが、お尻を清潔に保つ作業に入ることができる。幸い、シャワー設備がすぐ隣にあるので、シャワー・ノズルの先をお尻に向けてお湯を出し、ゆっくりと心ゆくまで、清潔保持作業をすることができる。妙な格好での作業だが、最近は大分上手になってきて、お陰で痔に悩むことも無く快適な生活を送っている。同室のあとの二人、T氏とT2氏は地主問題をかかえているかどうかは、現時点では不明であり、いくら親しくなり男同士でも、その話題は出てきていない。それ程、僕達の生活はスムースに流れていると解釈してほしい。
食事も朝、昼、晩とも各自に特別な行動予定が無い限り一緒に行動して同じテーブルで食べている。まあ、仲の良いグループの一つであろう。それは、お互いがお互いの行動を束縛しないからであろう。僕は、暇さえあればパソコンに向かって航海記を書いているし、T氏はデッキから海生生物の写真に撮るために出っぱなしだし、T2氏も手品だ謡曲だと習い事をやっている。と言うわけで、今のところ平穏無事に暮らしており、今後もぜひこの関係を続けて行きたいと念願している。
さて、今日は赤道通過記念イベント以外に、ピースボートらしい講演が3つあった。最初が「カラシニコフ-AK47-の正しい使い方」との演題で朝日新聞論説委員の松本仁一氏の講演、内容はアフリカ諸国の内戦で子供兵がこのカラシニコフ-AK47-を使っている背景についておぞましい報告、続いて「アフリカの貧困とどう向き合うのか?」と言うケニアでケニア人と結婚して社会福祉活動を行っている早川千晶さんの講演、そして夜は、先日のマニラ寄港地からカンボジアに飛んだ「カンボジア地雷問題検証ツアー報告会」があった。ピースボートはNGOとして、カンボジアの地雷除去活動や現地での学校建設や井戸掘りなどの活動も精力的に行っており、今回もその一環でカンボジアのシェムリアップに出かけて地雷除去活動を行いその報告会が開催されたわけだ。地雷は恐ろしい。僕もアンコールワットへ行った時に旅行社のツアーの中で地雷を踏んで片足、両足を失った大人や子供達が働く作業所を見学したことがあるが、戦争が終わっても今でも地雷原で生活せざるを得ない人々が世界には沢山住んでおり、その犠牲者となっていると聞いて、本当に恐ろしいことだと思った。地雷除去活動をピースボートが行っていることを知って、ピースボートの活動を応援したいと思う一日になった。
考えさせられてしまう。
そんな現実を忘れて、今を生きているのだと思うと……。
手に銃を持ち,撃ち合って殺しあっている現実がある。爆弾を抱え自爆テロを行う若者がいる。難民キャンプでは腹をすかして、傷ついて死んでいく人がいる。
先日の児童売買、今回の自動小銃。
ピースボートであるので、あって当然の講演内容なのだが、「エッ、何それ!」と思ってしまう。平和ボケしているためなのか。確かに、自分の手が直接血に触れることはない。
チャックのリポートにはときどき、ドキッとさせられる。