こんにちは。大阪南船場の「お節介税理士」@野口たかしです。

所得税の確定申告については、2年間続いた申告期限の延長がなく、原則、3月15日が期限となりましたが、その前日からe-Taxの接続障害が(+_+)

確かに、受信確認ができないなど、接続が悪く、多くの納税者、税理士の方も、ヒヤヒヤされたのではないでしょうか⁉

 

さて、ブログの更新が途絶えていてすみません。やはり、確定申告期は、私なりに忙しくしておりまして、ようやく落ち着いたところ。

この「作成コーナー開発秘話」も、中盤を迎え、ようやく私が国税庁に出向。これから、本格的な開発が始まります。

 

今回は、お上りさんである私の、国税庁再デビュー時のお話。作成コーナーの開発とは関係ないですが、お付き合いいただければ幸いです。

 

住まいは新大久保の世帯宿舎

平成14年7月。2年で良いから国税庁に行ってくれ!と頼まれ、お上りさんになった私。

子供も小さく、2年だけなら、単身赴任で東京jにやってきました。

確保してくれた公務員宿舎は、新大久保にある世帯宿舎

鍵を預かり、部屋に入ってみると、えぇっ、広~い!

70㎡はある世帯用の宿舎ではないか!3LDKの間取り。しかも、角部屋で、ルーフバルコニーがあります(ただし、そのバルコニーは使えないように柵がありました。)

一人で住むのに、こんな広い住まいはいらない。。。

 

あとでわかったのですが、「2年」というのは方便で、私を、ずーっと国税庁に居させようというのが大阪国税局の思惑で、世帯用宿舎を確保したらしい。

そのとおり、私は、2年でなく、結局5年も国税庁にいることとなったのでした。

 

国税庁は不夜城・・。

国税局も忙しく、毎日終電まで仕事をしていました。

国税庁に来てみると、やはり、毎日遅くまで仕事をしていますが、国税局と大きな違いは、国税局は、大阪の場合、83署の税務署に対して指示をするのに対して、国税庁は、全国12局に対して指示をするだけなので、国税局のように税務署からジャンジャン電話が架かって来ることはなく、とても静かです。

 

なので、そんなにバタバタすることはなく、出勤してから、ずーっと椅子に座っていることもあって、気が付けばお昼になっていることも。

国税局と違って、時間の流れがゆったり。国税庁の方が、じっくり物事を考えるには良い環境にありますね。

 

ただし、ただし。流石、霞が関です。

国会の会期中は、いつ議員から質問が飛んでくるか分からないので、総務課にある国会担当から解除の連絡(庁内放送)があるまでは、仕事が無くても、勝手に帰ることは許されません。

途中、晩ご飯を食べに行けますが、じーっと、じーっと、解除の連絡があるまで、静かに、静かに、仕事をしているわけで、それなりにストレスが溜まります。

 

最悪のケースは、議員から質問が飛んできた時です。質問に対する回答を考え、財務省文書課からOKを貰うまで帰れません。ほぼ徹夜となるわけです。

現在では、ずいぶん改善されたと言われてますが、しかし、国会の質問は議員さん次第。やはり、国会会期中は、今も「不夜城」状態ではないかと思われます。

 

国税庁で大阪人は珍しい。なのでイジメも経験した。

国税庁の職員は、キャリア採用の方と、私のように国税局から出向した職員(テンプラ)で構成されています。

で、テンプラ職員は、圧倒的に東京局や関東信越局の職員が多く、大阪局から来た職員は少ないです。大阪からだと転居が伴いますから。

 

で、私が着任したポストは、「監理1係長」といって、全国の事務運営の企画を行う要の部署で、若い時から国税庁に出向し苦労してきた人が昇進して、監理1係長になるケースがほとんどで、言わば憧れのポスト

それが、今回、大阪局から「輸入」されてきた私=監理1係長ということで、長~く国税庁にいた人間からすれば、

「オレが監理1係長になる筈だったのに、大阪の人間に取られた」

「得体の知らない大阪の人間に、監理1係長が務まるのか?」

みたいな眼差しがあったようです。

 

ある日、M部長のレクチャー日程を確保するため、M部長の日程管理をしている課税総括課の総務係長のところへ行きました。

その係長は、私を見て「誰?」って感じです。

他の職員は、長ーく国税庁にいる人がほとんど、あるいは同じ東京局税局出身なので、非常にフレンドリーなんです。

でも、私の場合は、「お上りさん」状態で、国税庁の職員も私のことを知らない。しかも、徳川vs豊臣という歴史的背景!?もあって、基本、東京jの人って、大阪人が嫌い!?


私 「来週、部長レクの日程をお願いしたいのですが」、

係長「もっと早く言ってもらわないと困るんだけど」

私 「急ぎなので、すみません」

係長「仕方ないなぁー。じゃぁ、月曜日の10時に取ってやるよ」

 

国税庁に着任して初めての部長レクーのデビューです。以前にも書きましたが、M部長は、とーっても怖い方で、機嫌が悪くなると、いきなり怒り出します。資料を投げ捨てたり。

 

当然、私が全面に立って説明することはなく、課長補佐がメインで説明します。

課長補佐はキャリアの方で、税務署の現場経験がほとんどない。

M部長も、それを承知で、「現場は、どーなってんだ?」と睨みつけて質問

課長補佐「・・・・・・。」 

M部長「答えられないのなら、出て行けー!」
あっという間にレクチャー終了。もう一度、資料を作り直して、部長にレクチャーしないといけなくなってしまいました。。。
 
後でわかったのですが、M部長が怒り出して、あっという間にレクチャーが終わってしまうことを「秒殺」と言ってました。
しかも、週明け月曜日の午前中は、いつもM部長の機嫌が悪く、その時間帯にレクチャーすると必ず「秒殺」になるので、誰も、その時間にレクを入れないのが鉄則だと・・・。
 
大阪人、庁で知ってる人がほとんどいない、周囲からは「大阪の人間が1係長できるのか?」と言われていた私。
そのしっぺ返しとして、日程管理をしている総務係長は、「お手並み拝見」という感じで、M部長が機嫌の悪い月曜日の朝一番を選んでレク日程を組み込んだようです。(泣)
 

(編集後記)

私は、過去(平成3年)に国税庁の勤務経験があったので、今回紹介したようなイジメがあっても、耐えられたのかもしれません。

それも、2年という期限付きの出向だったので、2年我慢すればとの思いもあったのかと。(結局5年もいましたが・・。)

 

上にも書きましたが、国税庁は、国税局と違って、ほんとバタバタすることが少なくて、ずーっと椅子に座っていることが多いです。

お昼は、財務省3階の食堂で食べるのですが、焼き立ての魚、注文してから麺を湯掻いて作ってくれるラーメンなど、とーっても美味しかったです。

 

夜は、1階にある「テドリーナ」や「サボテン」。あと、別館の食堂や、気分転換に、外のお店に行ったり。

 

このように食生活には恵まれていて、単身赴任なのに、太ってしまいましたね。

なので、途中からは、朝早く起きて、新大久保~四谷まで、ウォーキングして出勤していました。

それが健康に良かったのか、これといった病気をすることなく、単身生活5年間を過ごすことがでのかもしれません♪

 

こんにちは。大阪南船場の「お節介税理士」@野口たかしです。

オミクロン株による感染者が先週あたりから減少傾向に。ピークアウトになっていくのでしょうか。

ただ、感染者が高齢化していて、まだまだ予断を許さない状況にあります。

 

さて、「作成コーナー開発秘話」の更新が遅れてすみません。流石に、確定申告期に突入して、私なりに忙しくなってきました。

 

今回は、いよいよ私が「お上りさん」になった経緯をお話いたしますね。

 

功績者表彰という制度がありまして・・・。

確定申告期間中、「自TAX」のアクセス数はうなぎのぼり。

操作方法等の電話の問合せに、職員総出で対応し、無事、確定申告を乗り切ることができました。

確定申告期限である3月15日を過ぎ、ようやく平穏な状況になった頃、局長から「自TAXは、大きな貢献を果たした。功績者表彰を国税庁に上申するように」とのお達しが。

 

私としては、現在いる部署が企画立案する仕事をしていて、今回の自TAXも本来事務として取り組んだもの。功績者として表彰されるものではないと思いました。

しかし、局長のご下問ということで、S筆頭課長補から、上申書を作成せよとの指示。

えぇっ、私が上申書を作成するの⁉

「それって、自分で自分を褒めろということですか。」と抵抗したのですが、「あまえが開発して一番よく知ってるから、当たり前やろ!」と言われ、しぶしぶ上申書を作成することに。

 

上申書を受けた国税庁では・・。

功績者表彰の上申を受けた国税庁。

以前ブログに書きましたが、国税庁では、「計算シミュレーションコーナー」というシステムを提供していたわけですが、アクセスが伸びず大阪の自TAXに完敗。

その完敗した国税庁が、大阪のシステムを表彰するというのは面白くないわけです。

 

国税庁の担当課としては、「大阪のシステムは表彰しない(させない)」との意向で、当時のM課税部長に説明。国税庁が開発したシステムの方が優れていると言いたいわけです。

M部長は、システムに詳しいとは言えない方。なので、担当課が、国税庁のシステムとどう違うのか何度も説明しても、理解してもらえない。

 

そうこうしているうちに4月、局長会議が開催されました。

大阪国税局長が、私のシステム(FD)を持って、国税庁長官にPR。

国税庁の担当課としては、国税庁長官にPRされてしまったため大慌て。

M部長も、「システムはわからないが、そんなに良いものなら表彰しろ!」と。

 

ということで、私は、国税庁で功績者表彰を受けることとなったのでした。

 

4月以降、私に関する動きが怪しくなってきた・・。

国税組織の人事異動時期は、7月初旬です。

そのため、4月以降、人事作業が忙しくなります。

 

ある日、怖い先輩で、他局に出向している副署長2人から電話が立て続けにありました。

M盛岡副署長「もう諦めて、庁に行け!」

N倉敷副署長「断ったら承知せえへんぞ」

私としては「はぁ?」って感じです。なぜ、他局に出向している先輩がそのようなことをわざわざ電話してくるのかと・・。

 

後から聞いた話ですが、国税庁の人事担当のT補佐が、私を「是非国税庁に来ていただきたい」とのオファーをしていたそうで、その背景には、M部長が、

「大阪に負けないシステムを国税庁で作れ。そのために野口を国税庁に呼べ!」とのご下問があったようです。

 

大阪の人事担当のS補佐からは、「野口ちゃん、2年辛抱してくれ。2年でエエから国税庁に行ってくれ」と懇願され、私としては、まだ子供も小さかったのですが、「2年なら仕方ないか」と諦めて、国税庁に行くことを決心したのでした (+_+)

 

(編集後記)

私が最初国税庁に行ったのは平成3年1月。
その契機となったのが、消費税計算システムを開発したこと。
そして、平成14年7月、またまた国税庁へ。その契機となったのも「自TAX」というシステムを開発したこと。
どうも、私は、システムが人生の転機になるようです。
 
さて、次回からは、国税庁奮戦記。
国税庁は、大阪出身者が少なく、私としては、アウェーな職場。いろいろ苦労したお話をしたいと思います。