月曜日 理想と現実と | 202GO

本日の夜のお便り便は、やはり妹の事であった。胸がざわざわし後ろから突き飛ばされたように目が覚める。
頭の中で、私がどれだけ大変かを少し盛って説明する。
一通り頭で喚き散らし、
「こんなに分かってもらえない気持ち、隔たりを感じていたんだね」と呪いの魔太郎から少し距離を置く。
この距離を置くタイミングがもう少し早くなればと思ったところまで覚えている。
自分と対話しようとする頃にはまた眠くなり、でもちょっとでも考えないと、と意識を起こしてしまった為に
寝れなくなり、今日はいつもと違うおやつを作ってみようかなどとレシピを考えだし、
とにかく朝が眠く、どんな答えが出かけたのか、自分との対話の内容も記憶がない。
ああ、もっと私の時間が欲しい。
子育てや介護をしている人の目、そういう第三者の価値観で私自身を監視し、これがなかなか、頭の中ですら言葉にしづらい。
自分軸に戻そうと、アレン様やかまたくさんマインドを心に呼んで憑依させ、
「私は私で良い!私は疲れているの!」と叫んでみるが、いや、彼女等は私よりずっと多忙だ烏滸がましい、などと思う。

結果、私の心は私の理想(キャリアウーマンや忙しい人達)でいっぱいになり、部屋で例えるならスペースが狭くなり、
そこに現実の私の居場所が無くなる。誰かに誇れる私になりたいと思っている、私自身(根底)は、疲弊しているのに。
 

コスパの良い稼働し続ける機械のような身体や心になりたかった、と何十年も生き続けてまだ、諦められない。
ホルモン治療で体力が落ちてから、よりこの気持ちは顕著になった。
自分を説得させる事は、世間を納得させる事になっている時、私は少し視野が狭い。

「無力を認めたくない時が休み時」と書かれたスマホケースに貼ってあるビニルテープの文字は、
絵の額縁、あるいは関心領域の収容所のように、存在はするが意識をされないものになっている。
そう。いつも気づくだけ。その言葉を思うだけ。
休んで甘やかされたら、もう一人で生きられないような気がしている。

ここまで地下鉄で書いていた。
今日は朝は実家へ行き、伯父とタクシーで施設→母や看護師と一緒に病院へいき 
結果を聞いてから施設へ戻り、私と伯父はそこからタクシーで実家→その後私はアパートへ帰宅した。
鶏むね肉とレタスとチーズを買いに行き、帰ったら家で支度をして洗濯、シャンプー、
おやつとアクセサリー分解、リメイクをした。

母の検査結果は異常がなかった。

疲れていると休みかたまで分からなくなり、多動でより疲弊する。
今日は休めますように。