18~22歳までの間、私は汗だくになりながら、介護の仕事をしていた。
元々、この仕事に従事したいと考えていた訳ではなく、当時、プー太郎だった私は母に急かされて、仕方なく求人広告を見て仕事を探していたら、たまたま家の近くにあった長期療養型の病院の介護助手の募集が出ていたので、それを見て「じいちゃん、ばあちゃん好きだし…んじゃ、ちょっくら行ってくるか。」と軽い気持ちで履歴書を書いて持って行ったのが最初だった。
「絶対に人と接しない仕事が良い。」とずっと考えていた私は、何の因果か、こうして人と密着する仕事を始めることになったのだった。
これが、対人恐怖症であまり人の目を見て話をすることも出来ず、昔から母に「あんたは、蚊の鳴くような声だねぇ。」と言われ、自分の小さな声にコンプレックスを持っていて、人と話をすることが苦痛だった私が迎えた、人生最大の転機だった。
長期療養型の病院でする仕事と言えば、排泄介助に清拭と入浴介助と食事介助と、シーツ交換と環境整備と、吸引ビンの洗浄や、ポータブルトイレの洗浄、トランスに(患者さんを抱っこして車椅子やベッドに移動させること)、リハビリ室や検査室への患者さんの送迎や、洗濯やその他諸々の雑用だった。
仕事はハードで、一階から三階までの階段を日に何度も往復する事もあり、体はしんどかったが、じいちゃん、ばあちゃんは可愛いし、結構楽しく過ごしていた。
どこにでもいるとは思うが、職場にはやっぱり良い人ばかりがいる訳でもなく、私も嫌な事をされたりもした。
最初は何も言わずに黙って我慢していたのだが、ある時、熱湯消毒をしてから洗濯をしたものを、屋上に干していたら、干し方が悪いと全部床に放り投げられてしまった事があった。
そこで堪忍袋の緒が切れてしまった私は、そのまま何も言わずに病棟へ戻り、皆に「あの人、頭おかしいんじゃないのっ!?」と興奮しながら訴えた。
わざわざ熱湯消毒した洗濯物をバイ菌だらけの床にぶちまけられ、怒りを抑えられなくなった私は、その日からその人とは口を聞かなくなった。
向こうはどうして私が、口を聞いてくれないのだろうかと、他の人に相談をしていたようだったが、事情を知っている人は、笑いを堪えながら、「さぁ、どうしてなのかしらねぇ。」と答えていたと言う。鈍感な人なので、自分が人にした事を全然悪いことだとは、思っていなかったのだ。
それまでは大人しく温厚な高校生で通していた私だが、それを境に毒づく様になり、嫌な人に対してはとことん冷たくなった。
患者さんに手を上げたり、「汚いねぇ。」と言いながらオムツ交換をしたり、仕事はしないのに、口ばかり達者な人間に優しくする必要はないと判断したからだ。
介護の仕事をしているからといっても、その人が必ずしも良い人だとは限らない。他の職場にはない独特の雰囲気があったりするから、かえって陰湿な世界だったりもする。(他の所はどうだか知らないが、私がいた病院ではそうだった。)
仕事中にイライラする事も多かったが、そんな時はある病室へ行き、心を和ませてもらった。
「ねぇ、とうちゃん。あんぱんと私、どっちが好き?」
「う~ん、オレはねぇちゃんが好きだぁ。」
「ホント?ウソでも嬉しいよ。」
明治生まれのじいちゃんは、御飯はなかなか食べなかったが、甘いものは大好きでよく食べていた。
たまに、私よりもあんぱんが好きだとも言われたが、それでも憎めず、愛おしくて仕方がなかった。
白内障で目も見えず、ガリガリで体の自由も利かず、寝たきりだったけれど、それでも皆、そのじいちゃんが好きだった。
高校卒業と同時に、市外の老健に就職が決まった私は病院を退職して家を出た。
その後、じいちゃんが亡くなったと一緒に仕事をしていた人から教えてもらった。
今でもそのじいちゃんを思い出すと、心が癒される。もう一度、あの可愛い声を聞きたいな。