できないのに笑うな | 谷口礼子オフィシャルブログ「じゃこのおもしろいこと」

むかし、といっても10年くらい前ですが、

役者になりたい、と、通った俳優教室で、

講師から「なんで、できないのに笑っているのか!」と言われたことがありました。

 

生徒同士で何かをやって、できないね、という時、

失敗した恥ずかしさとか、「できるわけないじゃんね」とか、「できないあなたのこと別に否定してないよ」とか、「できない私のこと否定しないでね」とか、いろいろあったんだろうけど、

それが、ごまかしの笑顔という表現になって、出てきたんだろうと思います。

 

わたしは子供のころからお調子者で、

プライドが高くて、「できない」と思われたくなくて、

ごまかして笑うことが、本当によくあって。

その自分を自覚していたから、「なんで、できないのに笑っているのか!」という言葉は胸に突き刺さりました。

 

できない時、失敗したときに、でも笑わない人を見かけると、自分の中の調子に乗った精神がしゅーんとしぼんでいくんです。

不器用だから、一発で何でもできることなんてそんなにないし、できちゃうと逆に全然定着しなくてすぐに忘れちゃうし、自分本当に大したことない、って、だんだん年を追うごとにわかってきても、癖って恐ろしいです。つい笑ってごまかそうとする自分がいたんです。

 

でも、こないだちょっとしたことで、自分が全然何もついていけない現場にポンと入ってしまったことがあって、気づいたら、私ほとんど笑わずに、目だけ見開いて必死に追いかけていた、ということがありました。

あれ、この数年で何か少し変わったのかな、と感じた瞬間でした。

わたしができようとできまいと、他の人はそこまでわたしに興味持ってないし。

ごまかして笑うことって、他の人に対してすごく気を遣っていないとできなくて、その気遣いをしているうちに、自分がやるべきことはどんどん後ろに流れていってしまう。

他の人に「できなくてすみません、でもほんとはわたしはそうじゃないんです」と気を遣う(=弁解して自分を守る)よりも、あとで何を言われるかわからないけど、100個のうち一つでも拾えるように目を凝らす方がいい、と、いつの間にか、腑に落ちたのかも。

 

物事は前からやってきて、あっという間に後ろへ流れ去っていきます。

一個も拾えない本番だってあります。本当はだめなんだけれども。

自分どれだけ不器用なんだと、がっかりもしますけれども。

でも、そんなとき、言い訳したり逃げずに前を向けるようになったらいいなと、そう思ってきました。

ほんの少しずつでもね、人というのは変わっていけるのかもしれません。

 

時間を重ねるというのは尊いこと。

自分が心からなりたい自分が、どこか未来に待っているように思えてきました。