わたしの部屋。 | 谷口礼子オフィシャルブログ「じゃこのおもしろいこと」
ゆうべは朝まで眠れなかった。

久しぶりに実家の自分のベッドの上で寝た。
昼間、6年前に家を出た頃からずっとベッドの上に載せていたものを片づけ、
ついでに部屋にあるものを少し片づけたのだけれど、
それだって部屋の中にある全部のものからしたら氷山の一角だとはいえ、
当時の思い出がどんどん出てくることになんだか気が遠くなって、
端からゴミ袋に詰めて捨ててしまったのだった。

夜、少しうとうとしてからふと目を開けると、
見慣れたカーテンの隙間から少しだけ外の明かりが漏れ入ってきて、
それもまた見慣れた夜の私の部屋だということから、
芋づる式で記憶が蘇ってきた。

この部屋に住んだのは、わたしが17歳の時。
高校2年生で、初めてできた自分の部屋だった。
新しいマンションに住むことになって、カーテンも床も照明も自分で選べた。
もちろん両親の決めた範囲の中でだけれど。
畳の部屋に川の字で布団を敷いていた前のマンションを出て、
自分の部屋ができるなら、ベッドで寝たいといったのもわたし。
父のお下がりの机をやめて、新しい机がほしいといったのもわたし。
ベッドも机も、新しく買ってもらった。
ピアノが入ると狭いから嫌と言ってみたけど、
結局ピアノはわたしの部屋に入った。
ベッドに横になると、壁際のピアノに自分の顔が映る。

大学の受験勉強もこの部屋でした。
入試の前の日も、このベッドで寝た。
成人式の日も、
大学を卒業した日も、
劇団の旗揚げ公演の夜も、
シアターキューブリックに出会った夜も、ここで寝た。
はじめて恋した日も、
入りたかった劇団のオーディションに落ちた日も、
自分で始めた劇団を辞めた日も。

たぶん、ここで寝た。
それで、たまに眠れなくて、この同じ天井とカーテンと、
カーテンから漏れてくる光を見ていた。

自分には何にもできないと思っていた。
早くこの部屋から出たいとも思った。
ベランダから飛び降りてしまいたいとさえ思った。
親に守られなければ何もできない自分が嫌だった。
自信がないわたしはちっぽけで、部屋は温かかった。





わたしは26歳までここに住んだ。
たまたま降ってわいたように、友達のシェアハウスのメンバーが足りないという話が舞い込み、
それを口実に、わたしは逃げるようにこの部屋から出た。
やっと出られたと思ったかもしれないし、
でもちょっと寂しいと思ったかもしれないけれど、
あまりよく覚えていない。

今から考えるとそのタイミングは、
シアターキューブリックの劇団員になったのとほぼ同じタイミングで、
ちょっとした人生のターニングポイントのような出来事が重なり合った時期だった。

でもその当時はもちろんそんなことには気づかず、
どうしたらいいかわからないことだらけの自分と闘っていた。




暗い天井とカーテンの隙間から漏れる光を見ながら、
わたしはなんだかすごく、自信がなくなった。
自分がとってもちっぽけで、何もできないような気がしてきた。
ああ、あの時と同じ。

守ってくれる人がいなければ、
死んでしまうかもしれない。
一人では、
生きていけない。

時計は5時だった。
外はまだまだ暗かった。

部屋はなんだか生きているようで、
わたしに「おまえはまだまだこどもなんだぞ」と言っているみたいだった。



わたしは、今がいつかを思い出そうと、自分の歳と西暦を何度も数え直した。
この部屋に住んでいたのは、9年間。
そして、部屋を出てから6年が経っている。

わたしは今も、一人では生きていけない。
できないことだらけで、知らないことだらけだ。
だけど、なんか、なんか、6年前とは、違う。
はっきり言葉にすることはできないけど、
今は、何かが違う。

ベランダから飛び降りなくたっていい。
想像の中では何度も何度も飛び降りた、このベランダから。

朝になって、部屋を出ればいい。
両親にありがとうと言えばいい。

せっかく買ってもらったベッドをあまり大切にしなかったこと。
せっかく買ってもらった机であまり勉強しなかったこと。
せっかく買ってもらったピアノをあまり練習しなかったこと。


でも、おとなになれた。
だから、ありがとう。




そして、わたしはやっと眠った。
なんだか、長い夜だった。

わたしはこの夜を、たぶんずっと忘れないと思う。

忘れてしまいそうなくらいなら、
また、このベッドで寝た方がいい。
そう思った。