それのどこが楽しいの? | 谷口礼子オフィシャルブログ「じゃこのおもしろいこと」
ちょっとした怒涛の日々をすごしていました、じゃこです。

帰ってきたキューピッドガールズは、3日間のうちに、ラジオの収録に行き、公開リハーサルをし、朝市で清掃活動をしました。
活動開始早々、ターボ全開です。
びっくりしてついていけないくらいでした(笑)

でも、やってみたら、いろいろできるものだなあ。

マネージャーのいない私たち。自分たちがマネージャーである私たち。
自分たちで荷物を運び、ステージ直前に近隣のお店にご挨拶をし、自分たちでMCをして、チラシを配って、街を掃除して、そうしながら、ふと、「それのどこが楽しいの?」という言葉が頭をよぎりました。
自分の中の誰かに、訊かれました。

「それのどこが楽しいの?」

少し前の私だったら、その言葉に勝手にひるんでしまったと思います。

今私がやってるこのこと。
お芝居がだいすきで、舞台に立ちたくて、そんな自分とかけ離れているように、傍から見たら、見えるでしょうか?
俳優って、役者って、何?
お金をもらって舞台に立つ。マネージメントをしてもらう。舞台に、芝居に集中する。そして人を感動させる作品を作る。
芝居で、食う。
それが、ゴールなのか?
それが、やりたいこと?

今の私は、それだけではありません。
商店街の、青空の下の、コンクリートのステージで、芸術性なんて何もないけど、楽しいと思うお芝居をして、歌って踊って、15分でも30分でも、毎週見てもらえること。
冬の朝7時からミニスカートをはいて、ゴミ袋を持ってニコニコして街を歩くこと。
知らない人とお話しして、興味を持ってもらうこと。
ぎりぎりまでお客さんと和やかにお話ししても、ステージは本気で歌って踊ってお芝居できるようになりたい。

私は、これ、楽しいと思うのです。

劇場でやるお芝居は、青空より質の高いものが作れる、かもしれない。
でも、劇場のお芝居は、体が元気で、お金があって、時間がある人しか、観に来ることができません。
演劇って、体が元気で、お金も時間もある人にしか、楽しめないものなの?
それってなにか、違う気がするのです。

劇場でのお芝居に引っ張りだこな、実力も名声もある俳優さんは、そこからたくさん夢を与えてほしい。
でも、私たちのように、小劇場からお芝居を始めたひとがよくやっている、小さな劇場で自分たちが満足する作品を作って、いつかそれが認められてたくさんの人が観に来てくれるのを待っていることって、すこし、世界が小さすぎると思うのです。
その小さな劇場と、その小さなコミュニティの中で、どれだけ満足できる、どれだけ質の高いものができたとしても、私がやりたいことって、何か違う気がするのです。

じゃあ、私がしっくりくるものって何なんだ。
私にとって、お芝居って何なんだ。なんでお芝居が必要なんだ。
そんな問いを、お芝居始めてからずっと繰り返してきました。

「たくさんの人の、思いや生き方を知ることができる場所」

今の私の、ちょっとした答えはこれです。
私にとって、お芝居はそういうもので、世の中の人にも、お芝居のそういう一面を知ってほしい。
お芝居をそうとらえることで、ちょっとやさしくなれたり、ちょっと寛容になれたり、ゆるせたり、ほっとしたり、すきだと伝えられたり、ありがとうといえたり、そんなことが増えたらいいと、ほんとうに思っています。
自分も、そうなりたいですから。

小さな劇場のステージとロビーで、知り合いのお客さんに「よかったよ」「おもしろかったよ」と言ってもらって知ることができる世界よりも、商店街を歩いて、地元の人と話して知れる人生や、歴史のほうが、どれだけ演劇なのかと言うと、今の私にはもう計りきれない差がある気がします。

じゃあ、もう劇場での舞台はやらないのか?というと、そんなことは全然なくて、商店街で毎週ステージをやるライブ感を、劇場公演に持ち込めたら絶対に面白いし、商店街からお客さんを劇場に呼べたら面白いし、劇場という密閉空間で、音響や照明の力を存分に借りて、作り物の、でも本物より濃くてリアルな時間を過ごす魅力は、身体の隅々まで行き渡っています。

商店街を劇場にしたいし、劇場を商店街にしたい。
知らない人同士が行き交って、人生が交錯する。お芝居の魅力ってそういうことだと思うのです。

私は、お芝居が好きだし、街が好きで、人が好きです。
お芝居も、街も、人も、地続きだったら、もっと簡単に生きられると思います。

だから、人がなんと言おうが、商店街でアイドルだと言い張って、曲を流して歌ったり踊ったり芝居したりしている今のこの状況が、未来の自分たちにむかう通過点なんだと思います。

・・・

先日、第三舞台の封印解除&解散公演を観てきました。
第三舞台というのは、少し前に一世を風靡した劇団で、10年前に活動を封印しましたが、劇団員メンバーのたくさんの人が、テレビや舞台でそれぞれ活躍中です。
筧利夫さん、長野里美さん、小須田康人さん、・・・。それぞれ魅力的な役者さんたちが、10年前は、同じ劇団のメンバーとして、多くの時間を一緒に過ごしていたことを、舞台を観ながら改めて思うと、なんだか変な感じで鼻の奥がつんとしました。
もちろん、封印前の作品をたくさん、ビデオやDVDで見てきました。
私が一番大好きな舞台女優さんは、長野さんです。

このひとたちが、この人たちしか知らない時間をすごしてきて、10年ぶりに集まって舞台を作るのは、いったいどんな感じなのでしょう。
プロの仕事として?
同窓会として?
楽しい?
切ない?
とくに感慨はない?
それは、劇団員の人にしか分からないんだと思いました。

自分が50歳になったとき、いま一緒にいるメンバーはいったいどこで何をしているんだろうか。
だれか死んでしまうんだろうか。
早く走れなくなるんだろうか。踊れなくなるんだろうか。
お芝居をしているんだろうか。
意外と何も変わらずにのほほんとしているんだろうか。
それとも世界が終わってしまって誰もいないんだろうか。

そのとき、今の自分や、今のみんなを思い出して、私は何を考えるんだろうか。

そう考えると、泣いてしまいました。

ぜんぜんわからない。
今を、できるだけやるしかないし、それで失敗かもしれないけど、結局どうしたらいいかなんて、わからない。
どうしたらよかったかなんてわからない。
死ぬまで分からない。いや、死んでもわからないかもしれない。

それが分からないことは、ほんとうに不安なのですけれど、世の中に生きている人間はみんなその点では不安で、その不安があるからこそ、お芝居を観たりドラマを見たり物語を読んだりするのかもしれないな、とも思ったりしました。

世の中に何かを残そうだなんて大それたことは考えていません。
自分が不安だから、不安を癒してほしいし、他の不安な人をちょっとでも安心させたい。
そのために、私が選ぶのはお芝居だし、これからもそれは変わらない。
・・・少なくともこれからしばらくは。

そんな確信が持てるようになっただけ、以前と比べてちょっと変わったかもしれないな、と、思いました。



ひさしぶりにつれづれの日記を書いてしまいましたが。
帰ってきたキューピッドガールズの活動予定は、17日にラジオ放送、24日にデビューイベント、27日に歳末大出血イベントです。

キューブリック緑川さん演出の関ケ原東西武将隊は23日に関東遠征で行田に来ます。25日がミニ合戦劇の最終回、28日で活動終了だそうです。

師走。思いっきり走りたいです。