てづくりのあじ。りょうり0619 | 谷口礼子オフィシャルブログ「じゃこのおもしろいこと」
今日は、きのう稽古場近くのお豆腐やさんでみつけた、5個170円のがんもどきと厚揚げを、煮物にしました。

じゃこは、お豆腐やさんに、思い入れがあります。

子どものころ住んでいたマンションのそばには、商店街があって、ちいさなアーケードの中に、いろいろなお店が入っていました。
和菓子屋さん。手芸やさん。中華料理店。文房具屋さん。クリーニング屋さん。花屋さん、薬局。ブティック。総菜屋さん。八百屋さん。肉屋さん。焼き鳥屋さん。パブ。居酒屋。電気屋さん。写真屋さん。
みんな、私のことを小さいころから知っている大人の人ばかり。

そのなかに、お豆腐やさんがありました。
おばさんと、おじさんが二人で切り盛りしているお店で、商店街の中のどのお店より、朝早くから働くお店でした。
お豆腐が浮かんでいる水槽。ガラスケースの中の厚揚げやがんもどき。
店の奥にある、すごい音がするガスバーナーは、焼き豆腐を作るのに使います。
おじさんもおばさんも、長靴姿。冬はおばさんが真っ赤な手をして、水の中からお豆腐をすくい上げてくれるのです。

おじさんは、ユーモア人。
かならず、「はい、140万円。」といって、お客さんを笑わせて、おつりを、「はい、60万円。」と返してくれました。

私が覚えている最初のおつかいは、このお豆腐やさん。
豆腐を買わなきゃいけないのに、前のお客さんが揚げを買って、おばさんに
「れいこちゃんは?同じの?」ときかれて、なぜか「うん。」と言ってしまい、
お豆腐じゃなくて揚げを買ってしまって、母と一緒にもう一度取り替えに行った覚えがあります。

中学生になって、電車通学を始めて、朝6時台に家を出るようになって、商店街を通っていくとき、いつも、「おはよう!」といってくれた、おじさんおばさん。
でも、ちょうど中学生くらいの時に、おじさんとおばさんは、豆腐屋さんを、やめました。
後継ぎもいないし、体力的に、大変になってきたからって。

閉店のお知らせが貼りだされて、しばらくの営業期間、だからといって豆腐屋に通いつめるわけでもなく、いつもと同じようにお店の前を通っていたけど、閉店の日が迫るにつれて、なんだかとてもさみしくなって、
お店が終わる前の日くらいに、私はお豆腐やさんに、手紙を書きました。

内容は、詳しく覚えてないけど、子どものころの思い出と、豆腐屋さんがなくなるのがとてもさみしいこと。たぶん。

手紙を、朝、お店の前を通る時、おじさんとおばさんに気づかれないように、どきどきしながらそっとお店のガラスケースに置きました。

そのあと、しばらくしておばさんにあったときに、手紙のこと、ありがとうといってもらった覚えがあるけど。

豆腐屋さんがなくなってから、母がスーパーのがんもどきや、スーパーのこんにゃくを買って料理をした時は、衝撃的でした。
がんもどきは、中に味がぜんぜんしみなくておいしくないし、こんにゃくなんて、ゴムみたいな味!
私はこんにゃくが嫌いになりました。

でも、でも、いつの間にか、ちょっとずつ、おいしいこんにゃくの味も、わすれちゃって、
今は、スーパーのこんにゃくだって、ぜんぜんおいしくいただけます。

慣れって、すごい。


そんなことがあったから、わたしはお豆腐やさんを見かけると必ず立ち止まってしまいます。
稽古場の近くのこのお豆腐やさんは、前から目をつけていたお豆腐やさん。
卯の花(おから)がうっているお豆腐やさんが、わたしはすきです。
ここは、ひとふくろ40円でした。
卯の花を買おうかどうか迷ってガラスケースを見ていたら、奥さんが出てきました。
別の段に、がんもどきがありました。
私のいた街の豆腐屋さんのがんもみたいに、こぶりのが。
5個170円。

「がんもは5個で170円ですか?」
「そう、ちいさいのね。厚揚げもそうよ。がんもと混ぜても5個170円よ。」
「じゃあ、がんもを3つと、厚揚げ2つにしてください!」

というわけで、手に入れたがんもと厚揚げ。
煮物にしたら、味がとってもよくしみて、厚揚げは煮崩れしないしっかりしたお豆腐で。
やっぱり、お豆腐やさんの仕事は、すばらしい。

こどものころ、お豆腐やさんが近くにあって、よかった。

と、今になって感じる、しあわせです。