サンモールスタジオ

 

Voyantroupe(ヴァイヤントループ)

 

『Paranoia Papers ~偏執狂短編集IVΣ~』

【橡(つるばみ)の章】

【聴(ゆるし)の章】観劇。

 

 

最近悪化している腰痛をおして

マチソワのハシゴを敢行。

 

R-18。異端の狂乱。

 

両章あわせて

7時間超え(8時間弱?)の問題作。

 

おかげさまでこれを書いている今も

腰は死んだままだが後悔はない。。

 

 

肌の露出や性表現は想像以上で

正直、ビビった。

 

観ていない人に勝手な憶測や

誤解を与えてもしょうがないので

誰がどんなことをしていたか

いちいち書くことは避けるが、

まぁ、テレビでは放送できないレベル、

ここに書くことも

自粛したくなるレベルの表現も

含まれていた、とだけ書いておこう。

この書き方だと余計に憶測を生む気もするが

 

 

ただ、ここまでいろいろ見えてしまうと

見えないのが逆にストレスで、

本当ならあんなところやこんなところが

見えるはずだが角度的に

前の席のおっさんの頭しか見えない

というお客さんも少なからずいたはずで、

 

死角があるのは小劇場の宿命だが、

いつにも増して

そのストレスが強かったことは

強調しておきたい。

 

マチネで座った席は

一段下の中央部、奥まったスペースが

ほとんど見えなかった。

 

もっとも、あの高さ、あの場所、あのスペースなら

見えないお客さんもいることは

創る側も分かっていたはずで、

見え方に不公平や格差を出すことも

演出の一部だったかもしれない。

はっきりとした意図までは分かりかねるが。。

 

 

過激な露出に関しての

評価は難しい。

自分の中でも半分半分といったところ。

 

話題作りや単純な集客目的といった

浮ついたものではなかったことだけは

はっきりと書いておく。

 

覚悟を決めた出演者やスタッフ、

この表現方法を受け入れた劇場の

責任者らをねぎらいたい。

 

(私が観たのは日程の終盤だったが

あの阿鼻叫喚の世界で

喉をつぶしている役者が

一人もいなかったことからも

意識の高さがうかがえる。)

 

しかし、この見せ方が絶対に必要だったか?

と問われれば、私は、そうは思わない。

演技、芝居でどうにでもなったはずである。

 

この作品に限った話ではないが作者は

出演者のその後(作品が終わった後)に

どこまで責任を持つべきなのか

興味のあるところだが、

私は創る側に回ったことがないからよく分からない。

どこまでいっても素人発想でしかないが、

引っかかりがあったのは確かだ。

 

まあ、「どうにでもなったはず」の部分に関しても

創る側は百も承知の上で

あえてこの表現方法をとっているわけだから、

余計な口出しはするまい。

 

この短編シリーズが

いつもこうした表現を用いているのか、

それとも今回が4.5ということで

(4の時、一騒動あったからね)

やや勢い勇んだ結果こうなったのか

私には判断できないが、

ここでは、支持も不支持もしないと濁しておこう。

 

ただ、観ているこちらが

オロオロするほど(実際にはガン見

エロ表現が強かった分、

拷問や処刑といったグロ表現が

弱く見えた感は否めない。

 

実際に四肢を切断するわけにもいかないから

そこが演技になるのは当たり前なのだが、

イメージする余地もないエロと、

若干イメージで補わないといけないグロの

バランス取りが脳内で必要となり、

上演時間の長さと重なって

疲労の原因のひとつになった気はする。

 

もっとも、グロの描写まで

超リアルにしてしまったら

直視に耐えられないものが

出来上がるだろうから、

グロのチープさも計算済みだったかもしれない。

 

単純に話を追いかけるという意味では

腰布を巻いているくらいの方が

ちょうどいい気もしたが、

 

(どうしても「見ちゃう」からね。

そうした観客への揺さぶり、よこしまな気持ち、

心のかき乱しもまた演出なのかも)

 

繰り返しになるが、

今回の表現方法について否定する気はない。

 

 

総評としてはこんなところか。

 

記事をかえて
個別の感想をちょこっと書きます。

 

 

その2へつづく。。