名門!坂本5丁目子供会ソフトボール部改・前編 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 それは父親のすすめっちゅうよりも、英才教育とでも呼べそうな・・。

 Iと一緒に、当時は実際に〝名門〟だった坂本5丁目子供会ソフトボール部に入団・・、おっと、無理矢理入団〝させられた〟のは小学校4年・・、昭和46年(1971年)の初夏だった。

 それまでの私は臆病で独り善がりで、IとかHといったごくごく僅かな友だちがいたとしてもまだ戸惑っていて、しかも父親がその子供会の役員を務めていたため、実際には何の贔屓も特典もなかったものの、虎の威を借る狐みたいな不遜な態度などなど、イジメられる素質や素養を既に充分に持ち合わせていた。
それでもソフトボールの技能が、父親方の同イ歳の従兄弟で自宅近辺のガキ大将だったサトくんや神童のみちるのように高ければまだましだったのかも知れないんだけど、それがヘタときちゃーもう、やつらのチャンス到来!!!

 練習は通っていた小学校よりもやや遠く、自宅から約1.5kmほど歩いたところにある現在の桜小学校のグラウンドで毎日毎日行われていて、そんな遠いところまで毎日毎日わざわざイジメられに出掛けて行くのは当然あほらしいと思い、夏休みのある日、母親に「行きたくない。」と訴えた。
 母親は仕方がないっちゅう感じで「なら、行かなくていい。」と云ってくれた。

 だれにでもあるのかどうか、あいにく私は私以外のだれでもないために解らないんだけど、私には自分でもよく解らない感情として、例えば弟が転んで泣いていたりすると、弟よりもその母親・・、つまり自分の母親の心情を先ず案じてしまうところがある。
もちろん私だって母親の息子なんだから、私がイジメられていたりすれば、先ず母親が気の毒みたいな・・。
もっと年齢を増してからは、勉強ができなかったり、女の子にフラれたり、カネを稼げなかったり、最近なら、こんな意味がない生命の使いかたしかしていなくて、どーしよーもなく情け無い息子を持った母親が一層不憫に思われて仕方がない。

 それでいて・・、或いはそれ故に、イジメられてもフラれてもカネがなくても本人はそれほど堪えていることはなく、タフっちゅうよりもやっぱし、いい加減な人間なんだろうね・・、だから何の進展も成長も変化すら今だ見込めずにいる・・、つまり意志が弱い人間なのだろう。

 閑話休題・・、母親には屋内の台所かどこかで告げたんだけど、屋外で庭いじりか何かをしていた父親に見つかると、「だめだ!練習に行け!」の一点張りだった。

 そのときほど、父親の職業を恨んだことはなかったね。
小学生だった私が夏休みなら、小学校の教師だった父親も夏休みで在宅していることが多く、「友だちと外で遊べ!」なんちゅう鬱陶しい無理難題を連日の如く吹っ掛けてくるんだからな!

 それが無理難題だったのは、その友だちそのものがいなかったことに依る。
IやHにしたって、基本的にはW幼稚園から連なる従兄弟のサトくんが総大将を務める軍団の構成員だったんだから、その中に入っていくには私の精神力では困難だった。
父親は「通っている幼稚園なんか関係ない!子どもは子ども同士、元々仲良く遊べるように出来ているもんなんだ!」なんちゅう理想を〝押し付け〟ていたけど、それは甚だ現実を知らな過ぎ、しかもその夢みたいな理想と現実の過酷な狭間で悩まなければならなかったのは父親ではなく、私だったのだ。
40過ぎてふと自分の半生を振り返ったときに・・、うんにゃ、この回想録を記し始めたころには、この事件こそ私の生涯で最大のターニング・ポイントと記したけど、よくよく考えてみると、それは実は反対の意味だったような気さえしている。

 母親は私に基本的な肉体ともったいないほどの学歴を与え、また莫大な金銭も費やしてくれたんだけど、それらはすべて、やがて私が直面する現実への対処だった。

 ガキの時分からアルファベットを習わせて、将来は外交官にしたくて選んだややセレブなM幼稚園が正解だったのは、この幼稚園で同期だった連中とはのちに高校で再会することになるほかに、屋内で本を読んだり絵を描いたりすることを好んでいた私自身の資質にも合致していたからだ。
外交官なんちゅう職業がいったいどんなものなのか知る由もないけど、少なくても国家公務員なんちゅう安定した職業こそ生涯の安定した生活力として、それを託そうとした母親の判断はまさに適切だった。

 一方、父親推薦の友だちのほうもまた、神奈川県立横須賀高校辺りの大半を占めていた『ちびまる子』の丸尾くんみたいな連中に較べれば遙かに豊かで、その発端こそ、この名門!坂本5丁目子供会ソフトボール部に起因している。
また、基本的な肉体は強靱な肉体に鍛え上げられ、スポーツに於ける自信は、それもまた私の生涯に渡る現実的な底力になっている。

 この回想録は人類のごくごくほんの一部のくだらない記録だ。
人類がそのくだらない過ちを繰り返すことなく発展していくことを願って記している。
ここで云いたいのは、腕白坊主でも丸尾くんでもどちらでもいいんだけど、親は先ず子どもの資質を見極めてから、その基本的な教育方針を定め、当然のことながら夫婦間の意志を統一しておくことだ。
 それが中途半端だと、私みたいな中途半端な人間がひとり造成される危険性を孕むから。

 ただし!、私はもちろん私であり、両親の造形物ではあっても創造物ではないのだから、果たしてこれでいいのか!?みたいなアイデンティティーのかけらくらいはいちおう持ち合わせている。
母親は確かに現実への対処力を申し分なく取り揃えてくれたが、父親が与えてくれたものは現実を超えた理想の実現っちゅう、果てしなく難解なパズルなのか?

 そして、その謎解きがまた、ごく僅かながらも人類の進歩なのかも知れねーよな。(笑)


 つづくぅ!!!

※初出:2005年09月15日「名門!坂本5丁目町内会ソフトボール部・1」より改ざん
※文中敬称略