デイヴィッド・カヴァーデイル・その2 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 ジャズの世界では往年の名プレイヤーの演奏をレコードで聴くことはできる
だが悲しいことに、それが古ければ古いほど、音がわるい・・
 LED ZEPPELINの多くの演奏もCDで聴くことはできる
その中には(たまに・笑)音がいいものもあるし、変わった楽曲や変わったアレンジも、
ふんだんにあることはある
 だが、それでも所詮、録音物であることには変わりがない

 それは、クラシックでもジャズでもロックでも演歌でも能楽でもまた然り、
目の前で演奏されている生の音は何ものにも代え難く、それを同格にはできないだろう
ぼくが体験してみたいのは、'70年代のLED ZEPPELINの(楽曲の)“生演奏”であり、
そのきっかけこそが、COVERDALE PAGEの日本公演だったのだ

 いま思うと、日本武道館に一緒に出掛けたメンツからしてスゴイ

 先ずいちばん率先していたのが、当時は『GOLD WAX』誌の編集長で、
いまは月刊『beatleg』誌の編集長である横関 清高氏・・
さらに『GOLD WAX』誌からはボブ・ディランとSMAP担当のセバスチャン夏樹氏・・
あと、ぼくを含む月刊『YMM Player MAGAZINE』誌から若干名・・

 当時、『GOLD WAX』誌と、
月刊『YMM Player MAGAZINE』誌の両編集部は同じ新宿区西新宿7丁目にあり、
『GOLD WAX』誌のほうが早くMacintoshのDTP環境を導入していたため、
ぼくなどはそれを拝見させて頂きに何度かお邪魔させて頂いたものだった
 それはもちろん、月刊『YMM Player MAGAZINE』誌に在籍しながらも、
同誌を高く評価していた上での行動でもある

 横関氏(g.)とセバスチャン氏(b./kb.)は一時期、
LED ZEPPELINの“研究”バンドを結成していて、ぼくも一度だけ観たことがある
横関氏のその執拗なまでの研究熱心さには、現在でもやはり一目を置かざるを得ない

 ともあれ、COVERDALE PAGEの武道館公演で、
ぼくたちはジミー・ペイジ以外は他者に依るLED ZEPPELINの楽曲の生演奏を体感した 
 そして何を隠そう、それにもっとも驚喜していたのはぼくだった(笑)

“だったらMr. JIMMYも観てやってよ”と示唆してくれたのはセバスチャン氏だった

 それはその『GOLD WAX』誌のLED ZEPPELINの“研究”バンドのドラマーが、
当時、Mr. JIMMYに在籍していてた打楽斉 戴斗氏であったことにも依る
 打楽斉氏は故ジョン・ボーナムが使用していたLUDWIG社製の4種類のドラムセットと、
同型のセットを4セットともすべて保有し、ドラミング面まで研究していた強者で、
のちに月刊『YMM Player MAGAZINE』誌や『GOLD WAX』誌でも執筆して頂いている

 Mr. JIMMYは、コピー・バンドなどと一概に呼び捨ててしまうには、
余りにもその姿勢が真摯なLED ZEPPELINの“研究”集団だ
 リーダーのJimmy 桜井氏は400万円もするGibson社製のレス・ポール・モデルを、
“ペイジはどのように改造していたのだろうか?”などと、
改造に改造に重ねていじくり廻しているような凝り様だ

 その彼らの目的もまた、往年のLED ZEPPELINの楽曲の忠実な再現であり、
また、その凝り性こそ如何にも日本人的な特技であり習性でもあるように思える
 Jimmy 桜井氏は云う
“ぼくたちはコピー・バンドじゃないから、
ジミー・ペイジが間違えた部分をそっくりそのまま間違えたりはしない”・・
ここが名古屋の雄、CINNAMONと大きく異なる点でもある
 裏を返せば、楽曲が持っている、その創作者本人でさえ、
もはや再現不可能な可能性まで追求していく、極めて厳しい活動姿勢だ
はっきし云って、こんなバンドを演っていくくらいだったら、
オリジナル・バンドを演っていくほうが数倍ラクだよ(笑)

 LED ZEPPELINご本家の生演奏は、遂に一度も体感できなかった世代故、
次世代とも代替とも呼ぶべきMr. JIMMYの生演奏を既にもう何度も観ている
そこには常にJimmy 桜井氏とかMr. JIMMYではなく、LED ZEPPELINがあった
 特にご本家の演奏能力が格段に落ちた中後期以降の「Kashmir」などは、
“こんなにすげー曲だったのか!”と、新たな驚嘆を発見するほどだった
あの極端に長い曲の緊張感の持続を、現在の本人たちに課することこそ無意味に等しく、
ご本家は当然、ご本家なりの表現を観せてくれたのが、PAGE / PLANTに於ける、
エスニックな醍醐味に溢れた1990年代版の「Kashmir」だろう

 ロックは転がり続ける音楽だ

 ミック・ジャガーが過去に云っていた、
“30歳を過ぎて「Satisfaction」なんか唄っていたらバカだぜ”は、正確に訳すと、
“むかしと同じように”唄っていたらバカだぜ、だと思う
現に30歳どころか、60歳を過ぎたTHE ROLLING STONESは、
いまでも「Satisfaction」を演奏している
そこには'60年代とは当然また違った40年来の歴史の重みを感じさせる、
我々がいまだかつて体感したことがない、究極のロックンロールが確かに存在している

 だが、逆に云えば、それが一瞬の瞬発芸に近い芸当故に、
THE ROLLING STONESも、もはや'60年代版の「Satisfaction」は演奏できないのだ
 わかりやすく説明すれば、
いまのキミやアナタが、新入社員当時のキミやアナタに戻れるのか?
そこには体力的や肉体的な不可能はもちろん、プライド的な側面だって当然あるだろう

 つまり、'70年代のLED ZEPPELINの生演奏を疑似体験してみたかったら、
結局、それを再現できる能力を持った演奏家たちに委ねなければならない
ロックという、鮮度が極めて重要な意味を持つ音楽に対して、
時代は既にそこまで経てきてしまっているのだ

 LED ZEPPELINの楽曲は、創作したその本人たちでさえ滅多に再現不可能な、
あまりにも高い理想(アイデア)が凝縮されてはいるものの、
基本的には4ピースのロック・ミュージックであり、技法的に至極困難というわけではない
各演奏者が音を出したり止めたりするタイミングやその組み合わせの妙みたいな?
従って、ある程度熟知したミュージシャンとその息が合えば、その再演は可能と思われる

 その演奏家として、ギターはMr. JIMMYのJimmy桜井氏、
そしてヴォーカルはDC以外に、いまのところぼくは知らない

 サミー・ヘイガーの声質や唄の上手さもいいな、と思ったこともある
だが彼はやっぱし青い空の下で、真っ赤なギターなんか持って、
大きくジャンプしていることのほうが似合っている、ちゃきちゃきのアメリカ人だ
残念ながらLED ZEPPELINのヴォーカル・パートに青い空や赤いギターは似合わナイ・・

 DEEP PURPLEに加入する以前は、ブティックの店員として苦労していたのか、
DCの眉間には、いまでも2本の深いタテじわが際立っている
それはロバート・プラント同様、英国のワーキング・クラス特有の翳りなのか、
通じる育ちが感じとれよう

 LED ZEPPLEINのコピーだ(どこが?)とされたKINGDOM COMの、
レニー・ウルフは“ロバート・プラント歌手”とは大いにかけ離れている
ロック・バンドがモノホンのバカの集まりだったのはGUS'N ROSESが最後で、
最新の創造集団はMETALLICAで終わっている、とぼくは断定している

 L.A.メタルが飽き捨てられ、バッド・ボーイズ・ロックだの何だのにすり代わった頃、
それらの時代に活躍していたジェイク・E・リー、ウォーレン・デ・マルティーニ、
それに今回のダグ・アルドリッチだのが、月刊『BURRN!』や月刊『YMM Player』誌上で、
バカのように口にしていた言葉が“ブルーズ”だった
“ブルース”じゃないのよ、“ブルーズ”・・、“ス”じゃなくて“ズ”・・
ぼくはこの言葉が大嫌いである
 だって、ブルースじゃないんだもの、全然・・

 どこがどう“ブルーズ”じゃなくて“ブルース”なのか?
こればっかしは結局、感覚で判断するしかないんだから、
説明を求められても、説明のしようがナイ
 ただね、んじゃー、ブルースを聴いてみようと思ったときに、
キミやアナタはB.B.キングを聴く? それともウォーレン・デ・マルティーニを聴く?
両方聴いてみて、ああ、こっちのほうがブルースだなー、と思えるほうがブルースだ

 意外かも知れないけど、その根底から見渡せば、実はジョン・レノンも、
ミック・ジャガーも、ロバート・プラントも、イアン・ギランも皆兄弟みたいなもんなのだ
(反対に云うと、違う血を感じるのがキース・エマーソンとかジョン・アンダーソン・笑)
 これらのアーティストがそれぞれ、もっとも偉大なアーティストである所以は、
彼らが“かっこいい”と思ったブルースを、“かっこよく”表現するための、
それぞれ独自の才能に長けていたところにある

 そんなことでいいんかいっ!?との反論を承りそうだけど、
ぼくはもう面倒臭いから、1986年以降に知ったミュージシャンの大半は記憶から消したい
その代わり、主にそれ以前に“すげえな!”と思わせてくれた、
ミュージシャンたちに関する仕事には、生涯手を抜かないつもりなので、
それで勘弁してくりえ・・

 レニー・ウルフなんか、その消したい大代表的なひとりであり、
ダグ・アルドリッチもトミー・アルドリッチ(このひとは1986年以前からだが)も、
今回のWHITESNAKEで、ぼくの見解があながち的外れではなかったことを、
見事に証明してくれていた
 ふたりとも実力がある仕事人ではあっても、少なくても魅力的な創作者ではない
トミー・アルドリッチなんて、スティーヴ・ヴァイが在籍していた頃と、
まったく変わっていないんだもの・・
人間、こんなに進歩しないものかと呆れ返る反面、
反対に云えば、16年前と同じ仕事の質をキープしているんだから、
そーいう意味では確かに偉いのかも知れないけどね、ぷ(笑)


 つづく

※本文中、その名まえで生計を立てていられる公人の敬称は略させて頂いております