デイヴィッド・カヴァーデイル・その1 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 2006年5月21日、WHITESNAKEの東京公演を観て来たぞ!

 実は5月3日付けの『いま信長』以来、更新を怠ってきた最大の原因は、
本稿に苦戦していたためである
 否、否、否、否、否バウアー、苦戦ではない
およそ“ライター”なんて職業を知っている者にとって、
ブログの最大の魅力は、時間(締切)と文字数の無制限にある
 否、時間のほうは無制限でもないか・・
水曜、土曜の週2回更新など、自ら定めた更新頻度は元より、
今回などの場合は、公演の前後に依って、当然、発表できる内容も趣きも異なる
 本稿の大半は公演に向かう以前に、知っている限りを、
また記せる限りを記した“私とデイヴィッド・カヴァーデイル”だが、
その現在のステージ(仕事ぶり)を拝見してから記し直した部分も多々ある

 文字数無制限のほうも考えように依ってはモンダイだ

 WHITESNAKEだけだったらまだいい
あんましよく知っているバンドじゃないので、大して記せることもナイ(笑)
だが、その歴史に於いて、もはやWHITESNAKE=DCであっても過言ではないだろう
 月刊『BURRN!』誌2006年5月号に依ると、
デイヴィッド・カヴァーデイルはDC(でーしー)と呼ばれることを好むらしく、
以降、本稿でもそれに準じて採用させて頂いているものの、
鉄なひとの間では、DCとは“ディーゼル・カー”の略なんですけどね・・
(とまた、余計なことを記すから無意味に文章が膨大化する・笑)

 そして、DCと云えば第3期、第4期DEEP PURPLEはもちろん、
LED ZEPPELINサイドから観たCOVERDALE PAGEまで言及しなければなるまい
となると、文字数無制限故に、記したいことは山々、止めどもなく溢れてくる
文章量は取り留めもなく、どんどんどんどん膨大なものに膨れ上がっていく・・
それを苦と感じないのは、この作業そのものが楽しくて楽しくて仕方がないからだ
 こーいう性分のやつはたぶん、一生金持ちにはなれないんだろうな

 かつて『YMM Player MAGAZINE』在籍時には文字通り、
厭と云うほど観てきた(観に行かされてきた・笑)ロック・コンサートだけれども、
今回のWHITESNAKEは、海外アーティストの来日公演としては、
2002年11月に東京ドームで観たポール・マッカートニー以来じゃないかな・・
3年半もの間、本場の音を生で体感してこなかったのは、
意外にもロックを聴き始めた1974年以来、初めてのこととなる

 どちらかと云えばそっちのほうが本業に近い、THE ROLLING STONESの、
本年度の来日公演を観逃したって云うか、敢えて観に行かなかったのは、
その商品内容に対する販売価格におよそ合点がいかなかったためである
 別に\17,000が高いと云っているわけではナイ
キャパ100人程度のところで演ってくれるんなら、\170,000でも観に行っている
けれども、それが東京ドームみたいなところで\17,000!?
薄利多売ならまだ解らなくもないけど、暴利多売とは何たるこっちゃ!
好きなミュージシャンだったら何でもオッケー!ってなわけではないのだ

 ぼくは記述中、って云うか基本的な考えかたとして、
例えばDCとMr. JIMMYのJimmy桜井氏を同格に扱ってみたり、
もっととんでもねえことに、偉大なるアーティストたちの偉業を分析する際などに、
自分自身のごくごくささやかな音楽体験を臆面もなく引っぱり出したりすることがよくある
 それを非難されることも当然ままあるものの、
仮にそれが世界最大最古のロックンロール・バンド、THE ROLLING STONESでも、
実は日本の高校生のアマチュア・バンドと大して変わらない側面もあることは確かであり、
何よりも同じ音楽であり、同じ人間であることを基本に記したく思っている

 とは云え(だからこそ)、
イギリス人とアメリカ人の違いならまだしも、ロックが欧米からの輸入音楽である限り、
やはり海外アーティストと国内アーティストの違いの認識はごくごく自然的に必要だ
 もちろん国内アーティストを卑下するつもりも毛頭ない
むしろ彼らは、ぼくたちが使ってきた同じ言葉、同じような教育、環境に培われてきた、
世界中のどんな音楽を集めてきても敵わない、唯一絶対的な存在だ

 だが、やはりロックの本場は欧米なのである
DCは田舎もんとは云え、何よりも歴としたイギリス人であり、
英語で唄われるハードロックを長年唄ってきた世界的なヴォーカリストだ
ロック、それも本物のハードロックを3年半もの間、耳にしていないで、
何をエラソーにロックなんか語っていられよう
 繰り返すがロックの母国は欧米にあり、そこで使われている言語は英語なのだ

 今回、WHITESNAKEって云うかDCには、確認しておくべき案件があった
即ち、彼こそがほんとうに世界最強の“ロバート・プラント歌手”なのか?否か?

 何と云っても彼は1993年、御大ジミー・ペイジに抜擢されて、
COVERDALE PAGEのライヴでは数曲のLED ZEPPELINの楽曲を唄い上げた、
現存する“ロバート・プラント歌手”の第1人者なんだからね!
それがいまでもほんとうに現存しているのかどうか?
或いは1993年にぼくが観た“ロバート・プラント歌手”は本物だったのかどうか?

 もちろん、COVERDALE PAGEの再結成を望んでいるわけではナイ
あのバンドのヴォーカルは充分に合格だったけど、ギターがいまいちだった(笑)
ぼくが望んで止まないのは、あくまでも'70年代のLED ZEPPELINの楽曲の再演であり、
その理想的なメンバーにDCは入っていても、誠に失礼千万ながら御大は入ってイナイ

 勘違いしないでほしい
LED ZEPPELINの“再結成”が実現したら、それはもちろん親を質に入れても観に行く!
だが、そこで体感できるのは200X年のLED ZEPPELINだ
あーいう偏屈な、しかも凝り性の創造集団(ペイジ、プラント、ジョーンジィ)故に、
まさか現在のDEEP PURPLEのようなファミリー・コンサートになることもなく、
PAGE-PLANTとともまた違った趣の作品を意地でも観せてくれることだろう
(ぼくはライヴ・パフォーマンスも作品として捉えている)

 LED ZEPPELINというアーティストの素晴らしいというか、まぬけなところは、
自分たちですら満足に再現できないものを創ってしまったところにある
それは1969年~1980年の全盛期ですら、満足に演奏できていなかったのだから、
偉大な創作者のひとりが欠け、首謀者は著しく退化(見かけも・笑)しているいま、
満足に再現できることを期待するほうが酷な話しというものだろう
 繰り返しお断り申し上げておくけど、それほど凄いものを創っているのだ

 むかし、海老原某というサウスポーのボクサーがいた(らしい)
このひとは試合をする度に、自分の左手の指の骨を何本か粉砕してしまうほどの、
もの凄いパンチ力を持っていたことで選手寿命を縮めたと、何かで読んだことがある
 LED ZEPPELINはそーいうバンドだと思う

 いいですかい? LED ZEPPELINだけでなく、その最先端であり、
世界最大最古のロックンロール・バンドであるTHE ROLLING STONESはもちろん、
DEEP PURPLEも、RAINBOWも、WHITESNAKEも、KISSも、AEROSMITHも、
SOUTHERN ALL STARSや、ユーミンや、B'zや、宇多田ヒカルでさえ、
いつかはその創作者自身に依る生演奏が聴けなくなるのは、
ベートーベンやシューベルト同様、自然の摂理に於ける周知の事実なのである
LED ZEPPELINの場合は、ただそれがほかのひとたちよりも、
ほんの2~30年早かっただけのハナシなのだ

 例えば、ベートーベンの「エリーゼのために」を、
ベートーベン本人の演奏で聴かなければ意味がない、などと仰るかたはいないだろう
それらのクラシック・ミュージックは、録音と云う手段がなかった時代の産物故に、
楽譜という媒体に依って伝承されてきた
 つまり、楽譜どおりに弾けばベートーベンになる・・、わけがないだろっ!?(笑)
ベートーベンだってひとの子なんだから、当然手癖や得手不得手もあったはずであり、
どんなことをしたところで、ベートーベン自身の生演奏を聴くことは既に不可能なのだ
それ故に、後世の演奏家はその演奏家なりのセンスでその曲を再現していくことになる
 って云うか・・、ベートーベンって、ピアノ、上手かったの?(笑)
ぼくは案外、ジミー・ペイジのギター・レベルだったんじゃないかと推測している


 つづく

※本文中、その名まえで生計を立てていられる公人の敬称は略させて頂いております