“心頭滅却すれば火もまた涼し” | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 新設した“哲学”なるテーマではあるものの、
 まあだいたいはぼく自身のオリジナル造語ではなく、
 何らか(まんがやアニメ、特撮番組、ロックなど)からの引用である
 父親の言葉を借りれば、つくづく“梶原 一騎な”生涯だぜ・・(笑)

“心頭滅却すれば火もまた涼し”

>無念無想の境地にあれば、どんな苦痛も苦痛と感じない。
>1582年、甲斐の恵林寺が織田信長に焼き打ちされた際、
>住僧快川(かいせん)がこの偈(げ)を発して焼死したという話が伝えられる。
>三省堂提供『大辞林 第二版』より(※出典:goo辞書)

 とあるが、ぼくの場合はやっぱし『アストロ球団』である

 このバイブルとも云える全20巻が、現在、
 LED ZEPPELINのブートレッグなどを年代順に並べておく都合に依って、
 手狭になった本棚から段ボール箱入りしてベッドの下に追いやられているため、
 この言葉が登場人物のだれに依って発せられ、
 どんなシーンで使われていたのか、実はよく思い出せないでいる

 が、まんがにはやはり絵という視覚伝達手段が伴う

 宇野 球一主将だか、球七だか、或いは球四郎だかリョウ坂本だかが、
 この言葉を必要としたときの状況や心情は、
 オリジナルの快川和尚よりもずっとリアリティに富んでいた
 快川和尚はたぶん、豊かに死ぬためにこの言葉を発したものと思われるが、
『アストロ球団』では強く戦い生き抜くために使われている

 40過ぎて初めて“肩こり”などというものを経験した(している)
 40過ぎるまでは“そんなもん、ジジイがなるもんだ”と、まじで信じていた

 身体はいたって健康なほうである(と思われる)
 野球とかソフトボールで云われる“肩”もわるくない(と思われる)
 思想はともかく姿勢もそれほどはわるくない(と思われる)

 しかし、絵を描くにしろ、文字を書くにしろ、キーボードを叩き続けるにしろ、
 そー云った机上に於ける仕事や作業をかれこれ約20年・・
 いや、その前の趣味で描いていた“まんが”とか“べんきょう”などを含めると、
 たぶん人生の半分近くを机の前で過ごしていると思われる

 早いやつだと高校ぐらいで既に“肩こりだあ~”などと嘆いていた
 それなのにぼくは、つい最近までそれがどんなものかも知らない幸福者だったのだ
(それほどまじめに“べんきょう”なんかしていなかった、とか、
 既にジジイになっている、という説ももちろんある・笑)

 結果があれば、その原因があるものだ

 何故いままでになったことがない肩凝りに、いまはなっているのか?
 以前はやっていたのに、いまはやっていないことは何か?
 反対に以前はやっていなかったのに、いまはやっていることは?
 などを分析、究明に努めてみたところ、あった!

 半身浴だ

 ガキの頃、我が家の子どもの入浴の分担は、父親が妹、母親がぼくを担当していた
 ぬるい、と云うかふつうの温度の風呂に入る父親に対して、
 母親は“ぬるいお湯なんか入った気がしない”などと云って、
 まあ、だいたい夏でも42~3度・・
 しかもアゴまで浸かる全身浴だ
 しかもそれをぼくにも強要する

 たかが風呂の入りかたまで個々の自主や自由を尊重する父親に対して、
 母親は実にキビシイひとで、湯船に浸かるときに、
 ぼくが湯面からあたま(アゴの骨から上)以外の部分を浮上させていると、
“肩まで浸かりなさいっ!”などと云い、場合に依っては、
 はみ出してる部分(腕や肩など)を、ぐいっ!と湯の中に沈められたものだ

 お陰さまで、お湯の温度に関しては、
 ぼくはいままでずっと夏でも42度、冬は44~5度・・(笑)
“身体にわるい”と云われることが多いと云うか、ほとんどのひとに云われるが、
 それ以下だと湯船から出たときに寒気がしてしまう

 正月に実家に帰った際に、母親のあとに風呂に入ってみたところ、
 相変わらず“丁度いい”温度だった(笑)
 その母親は長嶋と同イ歳なのに脳梗塞にもならず、まあ元気なほう故に、
 これは遺伝的な体質でもあると云えるだろう

“39度以下が適温です”などと、Cuber Agentの荒木 優が、
 マクロ的に云ってるようなことをハナっから信じないほうがいい・・
 ひとにはひとぞれぞれの特質や体質があるのだ

 で、温度のほうは40年来ずっとそのままでよかったんだけど、
 ここ数年“くびまで浸かるのはヨクナイ”などと荒木 優etc.に云われ、
 また自分自身も42~45度の湯に数分浸かる(中学、高校ぐらいが3分×2、
 現在は2~3回に分けた合計が15~20分になるようにしている)体力が、
 落ちてきているようにも思われ、
 ここ2~3年ぐらいはずっと半身浴に切り替えてきた

 が!これだ! ここ数年の大きな変化は!!!

 早速、全身浴に戻してみたら、んー、やっぱ効く効く・・
 ただし、さすがに全身浴で20分はキツいので、
 10分、5分、5分の3回に分け、現時点ではそれぞれのラスト2分が全身浴で、
 残りを半身浴にしている・・
 けど、それでも結構キツイ(笑)
(このラスト2分の分けかたはボクシングの練習法から・・
 学生ボクシングは1ラウンドが3分なので、ラスト1分とラスト30秒に、
 力を振り絞れるようなペース配分があらゆる練習に盛り込まれている)

 ぼくは母親などとは一緒に入らずに、
 ひとりでお風呂に入れるようになったのが、比較的早かったが、
 それでもズルすることはなく、それでもちゃんと肩まで浸かって3分・・
 当時の風呂にタイマーなどはないから、自分の呼吸数で時間を計っていた
(実際には1分間に16回ぐらいだが、浸かっているうちに呼吸自体が早くなるため、
 20回×3=60回=3分の計算でだいたい合う
 これも現在でもほとんど変わっていない)
 お湯の温度も、寒気がしない程度まで追い炊きなり何なりしていたから、
 それでもちゃんと42~45度(笑)

 その3分がキツイときに、常に思い浮かべていたのが、
“心頭滅却すれば火もまた涼し”であり、
 求めていたのが無念無想の境地でもあった(笑)

 お風呂とは、体力ではなく気力で入るものなのである

 TVジョッキーの熱湯CMで、確かほとんど際限なく、
 半永久的に50度のお湯に浸かっていた、
 最近は観なくなったタレント坊主の織田無道然り・・
 それなりの精神鍛錬の賜物であろうと思われる

『アストロ球団』の原作者は遠崎 史郎氏であるが、
 その後の『朝太郎伝』などの作品から、このテの古風な言葉の引用は、
 どうもまんがを描いていた中島 徳博氏の発案と思われる
 ぼくはそのまんがに使われていた言葉に依って、
 無念無想の境地を求める精神鍛錬や、肩こりの克服や、
 母親のような長寿に現在でも挑み続けているのだ

 ね?梶原 一騎(じゃないけど・笑)も捨てたもんじゃないでしょう、お父さん