日本一長いトンネル | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 父:北陸トンネル
 母:丹那トンネル
 私:大清水トンネル
 妹:回答拒否
 弟:青函トンネル(正解)
 
 1976年の初夏に完成した実家のダイニング・キッチンにはTVがなく、それ以前のお茶の間に5人家族が揃ってTVを観ながらしていた食事から一変して、常に誰かが議題を挙げて、お互いの意見を述べ合う、今で云うディベートが繰り返されるようになっていた。
 表題はその日の議題で、白熱していた〝議論〟は、それまで発言を控えていた弟の「青函トンネルじゃないの?」の一言で呆気なく一件落着した。
 
 青函トンネルを含む鉄道路線の〝開業〟は1988年で、私は実家を出ていて、こんなディベートに参加していたヒマは既になく、トンネルそのものは1985年に貫通しているため、弟の見解が正解。また、1985年から1987年のゴールデン・ウイークまでは、私もまだ実家に棲息していた。
 
 議題の提出者は父だったと思う。いつもの如く、軽く、さり気なく、
「日本一長いトンネルは北陸トンネルだよなあ?」
「何云ってんだよ?そんなの、おれが小学生だった頃のハナシだ。」と私。
 そこに、
「丹那トンネルじゃないの!?」の母が加わって三つ巴の論争となった。
 
 当時、父は現役の小学校教諭だったが、いいのか?こんなんで・・。(笑)
もっとも、教師故に、特に小学校の教師故に、正解を知っていながら、それを自身では述べず、我々に考えさせたり、調査や研究のきっかけを示すのが常だった。
 但、この時ばかりは「何だよ?北陸トンネルじゃねーのかよ?違うのかよ?」と何度も繰り返して、かなりマジっぽかったが。(笑)
 
 そこに〝議論〟の複雑化と遅延に拍車を掛けたのが母で、1,000%圧倒的に間違えているのに、「でも!丹那トンネルを造るために大勢の方が亡くなってるのよっ!?」と、自分本位の印象を主張して譲らない。
 
 だが、待てよ?
 
 日本一(※2005年時点では世界一でもある)〝距離が長い〟トンネルは確かに青函トンネルだが、〝工事期間が長い〟トンネルだとすると・・。
 調べてみた。

 青函トンネルは何と!昭和39年(1964年)に着工。そんなムカシから掘り進められていたのだ。そして本坑の貫通は先述の通り1985年だから、それだけでも21年もの長い歳月を要している。
 
 一方、丹那トンネルは大正11年(1918年)に着工して、昭和9年(1934年)に完成しているため、16年。それでもやっぱし青函トンネルだった。また、丹那トンネルは完成した昭和9年(1934年)でも上越線の清水トンネルに次ぐ2番目の長さで、〝かつて日本一だった〟ことさえない。
 
 昭和11年生まれの母には、知識や情報をどんどん吸収していた年頃に得た丹那トンネルの印象がよっぽど強烈だったのだろう。
 
 因みに、
・青函トンネルの工事の犠牲者:21年間で34人、年間約1.6人・・
・丹那トンネルの工事の犠牲者:16年間で67人、年間約4.2人!
 
 印象だけでもあながち的外れではない。
 
 
※参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※画像:丹那トンネル1934