シャーロック・ホームズ  ワトスンの災厄 / アン・ベリー 他 | jakeのブログ 

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いろんなキャラをこなしながら日々思ったこと・感じたことなんかを書いてみます。

先日読み終えた1冊です。


原書房から出版されているホームズ・パスティー傑作集の第4弾『シャーロック・ホームズ ワトスンの災厄』。全400ぺージ、というボリュームの本書には、パスティーシュ10編にエッセイ3編が収められています。

サブ・タイトルは、ワトスンを中心に展開する物語が多く収録されていることに由来しているものと思われます。
実際に収録されている物語では、精神的に追い詰められた上に巨額の詐欺にあいかけたり、忌まわしき戦時の思い出に苦しめられたり、身内(義弟)を謀殺されたり、危うく命を落としかけたり…と、まさに災厄。

ある意味でロンドン一危険な男(ホームズ)の、最も身近なところにいるわけですから、多少のリスクは仕方ないのでしょうけど…って、それじゃあんまりか(^^;)。

その埋め合わせというわけではないと思いますが、例えば忌まわしき思い出に苦しんだエピソードでは再会した命の恩人の危機を救っていますし、命を落とす危険を伴いつつも、彼の勇敢な行動は、さる高貴な方を守り通すことができたりと、その活躍もしっかり描かれています。


そんなワトスンの身を挺した勇敢な活躍が登場するエピソードが『ハイランドの虚報事件』。
この作品で彼らが対峙する相手は、ホームズの最大ライバルである、
あの教授
ワトスンの活躍もさることながら、物語がしっかり作りこまれているし、あの教授らしい狡猾さと執念深さが、しっかりと表現されていて、非常に読み応えがありました。
ただ、本作はライヘンバッハの滝での最終決戦を描いた『最後の事件』の前に起きた設定になっているのですが、ワトスンは『最後の事件』の際、あの教授のことをホームズから問われて「知らない」と発言しているんですよね…・。
そうなると
ドイル作品との繋がりに支障が…?いや、この事件は高貴な方との約束で「語られざる事件」にしたもの。その約束を果たすべく『最後の事件』では、あえて知らないフリをしたのか…?
な~んてことが気になるということは、僕もシャーロキアンの端くれになったのかな…(^^;)


変化球的なアプローチで面白かったのが、『
うろたえる女優の事件』と『“冒険”の始まる前』


「うろたえる女優の事件」は、元祖・ホームズ役者とも言うべきウィリアム・ジレットを主役にした作品で、僕の手元にあるパスティーシュには、登場していないパターンなので、非常に斬新な印象を受けました。「イヤイヤ、オレはホームズじゃないんだから!」と言いつつも、やるべきことはキッチリやってるところが、微笑ましく、かつ格好いい(^^)。
ちなみに、物語の最後に子役俳優
後の喜劇王抜擢するシーンが出てくるのですが、本作に描かれたような経緯で抜擢されたわけではないと思いますが、彼がウィリアム・ジレットの舞台に立ったことは事実。虚実のブレンドの妙に、思わずニヤリ。


『“冒険”の始まる前』は
コナン・ドイルがストランド・マガジン編集部に宛てた手紙で、ドイル自らがシャーロック・ホームズの物語が誕生した背景やホームズのモデルについて赤裸々に語るという大変貴重な資料…なのですが、これは完全に創作。

「制作秘話」という、ありそうでなかったところをネタにしたセンスが、お見事!内容の“それっぽさ”も、かなり楽しいものがありました(^^)。



エッセイでは、
ホームズとワトスンの関係を考察した『ホームズとワトスン ― 頭脳と心』が印象的。ワトスン自身がこのエッセイ読んだら「よくぞ言ってくれました!」なんて涙流すんじゃないかな…(^^)。ただ謙虚な彼のことですから、それを口には出さないでしょうけど…。
ホームズとワトスンの関係性、あるいはワトスンの人物像は、グラナダTV版『シャーロック・ホームズの冒険』や、ガイ・リッチー監督の映画版『シャーロック・ホームズ』、『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』、BBC制作の『SHERLOCK』シリーズの描き方が、僕にとって一番しっくりくるものなので、このエッセイで語られていたことは、おおいに賛同できるものでした。



このシリーズ、ここまできたら…既読も含めて、揃えちゃおうかな(^^;)


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※本のタイトルにあわせ、今回のブログでは「ワト“ス”ン」に統一しました。どっちが正しいのか…という議論に参加する気はないのですが、僕は「ワト“ソ”ン」に馴染んでいます(^^)。