元ライブドア社長(今やその説明は不要か…)・堀江貴文氏と、脳科学者・茂木健一郎氏の対談をまとめたもので、リリースされたのは2011年の堀江氏が収監される直前です。
嫌われ者。
僕自身は、他人から嫌われるよりは好かれるに越したことはない…と思っているので、できることなら『Jake』という人間を好意的に受け止めてほしいと思って世間と接しているので、八方美人なヤツだと思っています(自分で言うか…^^;)。
ただ、その一方で、自分ではそう思って接した結果、結果として好意的なイメージを持ってくれる人もいるだろうけど、表面化しないだけで、好意的なイメージを持っている人と最低でも同じか、それ以上にアンチJake派もいること…特に、その影響の大小に関わらず、こちらが何かを仕掛けたり、結果的に目立つことをしたりしたときに、その傾向はより顕著になる…というのも、経験を含めて認識しているつもり。
だから、間接的にであれ直接的にであれ「あまり好意的に見られていない(らしい)…」なんて情報が入ってきても、「あ、そうですか。」わりとあっさり認めちゃいます。
もっとも、そういうときって、こちらもその人と一定の距離をおいているケース…早い話が「向こうが抱いていのと同じか、それ以上にこっちも嫌悪感を抱いている」ことが多く、「こっちはアンタが嫌いだけど、アンタはこっち好いてくれ…」ってのは虫が良すぎることは言えない…というケースも多かったりするのですが…(^^;)
とまあ、それなりの覚悟はしているものの、果たして今の対処で問題ないのかな…?なんてことをふと考えていたときに出会ったのが、その方面に長けた先輩方(^^;)の意見や経験を知ることができる本書…なんてのは、後付の理由で、単純に「この組み合わせが面白い」という理由だけで購入しました。
実際に読んでみると、彼らの「嫌われる」ことについての考えや対処というのは、その規模やレベルは違えど、普段自分が考えているようなことと、ほぼ同じで安心しました(^^)。
一方で、会話の端々から感じる表現に、あれだけ“まっとう”なことを言っているにも拘わらず、当時堀江さんがあんなに嫌われていたのかも、あらためてよくわかりました(^^;)。
その「言わんとする本質」を伝えるために彼が使用する表現だったり例示って、棘があってエグいんですよね。(本人もそういう反応が出てくることを承知の上でやっているのでしょうけど)
だから、その本質が伝わるより先に、その棘やエグみに対する拒否反応が先行しちゃって、「アイツ、何かヤダ。」というイメージを持たれちゃう。そこへメディアがその棘やエグみの部分だけを切り取って「堀江=ヤなヤツ」というトドメをさす…と。
刑期を終えて出所後に『ゼロ~なにもない自分に小さなイチを足していく』という本が出ているのですが、これ、すごく売れたんですよね。もちろん、「ホリエモン出所後第1作!」という話題性もあったのでしょうけど、「内容がすごくいい!」なんて感じで。
でも、あの本に書いてあったことって、彼の子ども時代の話や家族の話が出てくる以外は、実はライブドアの社長をやっていた頃=世間から派手に嫌われていた頃と、たいして変わってないんですよね。
だから、世間の「内容がいい!」という感想はまったく無くて(^^;)、学んだこと…というか、改めて思い知らされたのが『使う表現1つで、世間の反応が違う』という、ごく当たり前のこと。(購入時のブログでも同じ感想を書いてます)
「嫌われる」「嫌われない」って、例えばそれまでの人生というバックボーンの違いや考え方、国民性(この国民性の部分は、二人とも半ば愚痴になってて面白かった。あ、この人達でも愚痴るんだ…なんて^^;)による部分…つまりは、自分が操作したり変えたりしようがない部分に起因する場合は、どうしようもない。でも、自分が操作したり変えたりできる「表現の手法」にほんの少し気を遣えば、ある程度は嫌われずに済むのかもしれないですね。
「嫌われたって関係ないさ!」でも何ら問題ないのでしょうけど、でも、嫌われないに越したことはないですから…。
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↑ 今回のブログで触れた1冊。本編で書いたとおり、良くも悪くも逮捕・収監前と主張そのものは何にも変わっていない…というのが僕の感想。逆を言えば、それだけ人生にブレがないってことでしょうね。
☆余談
この本を読み終えたのは3月4日の0時30分頃。本の終盤に東日本大震災に関連した話が出てくるのですが、ちょうどそのあたりを読んでいるときに、あの地震がありました。
- ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく/堀江 貴文