昨日までのブログ「残業代0制度を考える②」(以下②)は社員の能力評価の話、「残業代0制度を考える③」(以下③)は法律上の給与計算の話で、本来なら個別に考える話。
まして③のエンディングでやった
「100」という仕事を8時間で終わらせるAさんの給料は、200,000円でした。
「100」という仕事を10時間で終わらせるBさんの給与は、262,520円でした。
なんて比較は、我ながらかなり下司い(^^;)表現です。
おそらく学者さんとかなら、「能力評価の話と給与計算の話を一緒にすること自体がおかしい!ましてあんな比較なぞ…下司にもほどがある!」なんてバッサリ切ってくれるでしょう。
そんなことは、わかってます。
僕だって。
ところが、我々実務屋は“別の話”なんて言えません。仮にAさんから「なんで僕よりBさんの方が給料多いんですか?」って質問されたら…。「君ね、そもそも論点が違うんだよ!質問が下司いッ!」な~んてバッサリやったら、職場崩壊します(^^;)。
でも、だからと言って「いいかいAくん、労働基準法ではね…」なんてことを…なんだったら池上彰さんか林修先生ばりに(^^;;)…わかりやすく懇切丁寧に説明したところで、Aさんがよほどの人格者(あるいは給与に興味がない人)でない限り、たぶん納得しないでしょう。
仮に僕がAさんの立場だったら、やっぱり納得しないでしょう。「生産性でいったらこっちの方が効率いいのに、なぜそうじゃない方の給与が高いんだ?」なんて…。
労働者という立場ですらそう思うのですから、経営者の立場になったらなおさら、そう思うことでしょう。だからこのテーマを扱い始めた一番最初に「法令だから仕方ない」なんて割り切る自信が、ない。と書いたのです。
でも、僕がBさんだったら…。
自身の効率性の反省はしつつも「でも、頑張って残業したんだから、その対価はほしい!」なんて思うことでしょう。ヘタしたら「オレに「100」を課す方にも責任はある!残業代が出るのは当然だ!」くらいのことを思うかもしれません。
追記:
こういうお金の話をすると「労働=お金ばかりがすべてじゃない!」という、美しい話が出てきそうですが、「すべてじゃない」かもしれないけど「重要な要素」のはず。我々は労働して、その対価を得ることで生活しているのですから…。
そしてその対価は、特にこのご時世、少ないよりは多いほうがいいだろうし、同じ仕事をしていて対価が違う…というのは、そうたやすく理解できるものでは、ないと思います。