社労士試験本試験“後”の思い出 ~2年目~ | jakeのブログ 

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夫・父親・会社員・社労士有資格者・アマチュアミュージシャン・・・

いろんなキャラをこなしながら日々思ったこと・感じたことなんかを書いてみます。

今日は2年目の話。

2年目は「ギリギリの点数で合格すればいい」というコンセプトで勉強をしていました(このコンセプトに至った経緯などは、そのうち書いてみようと思います)。




で…自己採点の結果は。





択一は、合計点が前年の合格点数並みで科目毎でも足きりをくらいそうな科目は無し。という状況。


選択は、「労災」「社一」「厚年」の3科目が(も)、2点で、俗に言う救済待ち。


自分で打ち出したコンセプトを体言するかのように、「ちょっとビミョーな合格瀬戸際」状態でした、(^^;)




ただ、「労災」と「社一」については、かなりの確率で救済があるだろうな…なんて思ってたんですよね。


帰り道でも「あの労災と社一の問題はないよな~」なんて声が、あちこちから聞こえてたし、各校の合格予想でも、この2科目は「2点救済される可能性があるかも…」が大半でしたから。


だいたい、社一に至っては、試験中に問題解きながら「あ、この問題は2点救済になるわ…」なんて思ってたもんなぁ…(^^;)(よかったら、社労士試験当日の心境について書いた過去のブログもご覧下さいませ…。ちなみに、選択式・社一については去年の7月初旬に書いています。)


僕が一番危惧していたのは「厚年」。

試験が終わった直後は、最低でも3点は絶対取れている…と信じていたんですよね。だから、解答速報をもらって、2点しか取れなかったことを知ったときのショックや、やるせなさ…は、今でも覚えてますね。

帰宅してから試験問題と突合せしながら確認したのですが…実は、問題を読んで最初に出した答えが「正解」。書き換えて「不正解」にしてしまったという最悪の失点パターンだったことで、さらにショックを受けまして「たら・れば」が通じない世界だとわかっていても、「もし、あれを書き換えていなかったら…」なんて言葉が何度も何度もアタマに浮かびました・・・ね。



ちょいと話がそれますが…



ちらっとしか見なかったのですが、今年の選択式の「厚年」の問題って、僕が受験したH18年の問題と酷似…というか、そのままじゃん!なんて問題じゃなかったっけ?H18年の過去問をしっかり抑えておいた方だったら、得点できたんじゃないかな…。



話を戻して。



選択の「厚年」について救済の可能性を出した学校が皆無だったたので、望みは薄いかもしれないと思いながらも、 



「大丈夫!救済あるよ。合格してるって!」 



なんて自分に言い聞かせる…合格発表日までの2ヶ月間は、そんな感じ。 


そんな状況下で、何をしていたかと申しますと…




“再”就職活動 してました…(^^;)


何かの折に書いたような覚えがあるのですが、2年目の本試験前に、諸般の事情(早い話、勤め先で色々あったわけです)で離職したので、当時は、“無職”だったんですよね。

試験結果が「合格瀬戸際」状態だったので、勉強は続けなきゃ…とは思っていたのですが、その前に生活基盤がしっかりしてないとね。


いつまでも、「妻有り」・「子有り」・「収入無し」…というわけにゃ、いきませんから…(--;)


そんなわけで、携行品を、テキストから求人票&就職情報誌に持ち替えて再就職活動してました。(おかげで健保・国年・雇保あたりは、“勉強で覚えた知識”を実体験することができました…^^;)。


11月の合格発表を経て、再就職したのは翌年の1月16日のことでした。その間も色々ありましたが、その“色々”は、いずれまた気が向いたら。

ところで、各学校の予想を見ていると、今年も救済対象になりそうな科目がありますね。この救済の有無によって、結果が左右されそうだ…という方も多いのかもしれません。



そういう「微妙」な気持ち…は、自身が経験したことなので、多少なりともわかるつもりです。


1年目にはスッパリ合格を諦めた(あの結果じゃ当然だけど)僕が言うのも何ですが…少しでも可能性を感じている方、



合格発表のその日まで、諦めちゃだめですよ。



結果が出るまで、何が起こるかは、わかりませんからね…。