それは12月のある土曜日のことでした。
私は翌週の水曜日に帝王切開を控えていました。

長男の出産が予期せず帝王切開になり、次は予定帝王切開をすることになっていたのです。
(この経緯については、また今度書きます)
→書きました!

翌週火曜日に入院して水曜日に手術ということで、その前に長男ポンちゃんといっぱい遊んでおこうと計画していました。

当時3歳だったポンちゃんの好きなテレビ番組は、「きかんしゃトーマス」と「いないいないばあ」。
そこで、明日はトーマスの映画を見に行って、帰りにイオンモールにユウナちゃんを見に行くぞと意気込んでいました。

ところが、その前夜。
37週0日にして陣痛が始まってしまったのです。

実はその前の晩、つまり金曜日の晩から前駆陣痛がきていました。
でも、前駆陣痛が来たからといってすぐに生まれるわけではないしと気楽に考えていました。
ところが…。

土曜日の夕方頃から本格的にお腹が痛くなってきました。
あー、これ本陣痛かもと思いながらも夕食の準備をし始めました。
入院前のファイト飯ということで大好きなモツ鍋です爆笑

今晩はモツ鍋を食べて、明日はポンちゃんと遊んで心置きなく帝王切開に臨むぞー!と思っていたのに。
陣痛が来つつも、何とか意地でモツ鍋はシメまできっちり食べ切ったのですが…。

結局、22時頃にかかりつけの産婦人科へ。
診察をしてもらうと、先生が「これは今から帝王切開にした方がいいね」とおっしゃいました。

というのも、陣痛の時にお腹全体が痛むのが普通だそうですが私の場合は下の方、つまり前回切った部分に痛みがきていました。

ということは、縫った部分に圧力がかかっているということで、下手をするとその部分から子宮破裂を起こすかもしれないとのことでした。
そうなると母子ともに危険なのですぐに帝王切開が必要だということだったのです。

ところが、その産婦人科は個人クリニックで先生が1人しかいません。
予定帝王切開など前もって分かる場合は、他の病院から応援のドクターに来てもらうことになっているそうです。

でも、その時は土曜日の23時。
急には応援のドクターがつかまりませんでした。
そのため、大きな病院に搬送されることになりました。

救急車が呼ばれ、私はストレッチャーで運ばれました。
旦那ヤーマンと長男ポンちゃんは、救急車のあとを車でついて来ることになりました。

それまで大した病気もケガもしたことがなかったので、救急車に乗るのは初めてで少し緊張していました。
ところが、かかりつけの先生が当たり前のように同乗して下さいました!

妊娠中の情報を転院先に伝えるためという理由もあったのでしょうが、とても心強かったです。
その時に先生がこう言ってくれました。
「ウチで生ませてあげられなくてごめんね」

いやいや、そんなとんでもないです!
そんな風に言って下さっただけでありがたいです!
それだけ妊婦一人ひとりへの責任感と愛情を持って診て下さっていたのだと感じました。

赤ちゃんは40週くらいまでは、お母さんのお腹の中にいる期間が長ければ長いほど成長するそうです。
そのため、私の場合も正期産に入った37週4日での帝王切開の予定でした。
予定としては決して遅くはなかったはずなのに。

予定帝王切開の日は、偶然ですがヤーマンの誕生日にあたっていました。
私は、赤ちゃんの性別を聞いていませんでした。

そのため、帝王切開の予定日よりも早く陣痛が来るとは「女の子かもしれないなぁ。パパと同じ誕生日が嫌で早く生まれたいのかも」なんて思ったりしました。

私は先生に「こんなに早く陣痛が来るとは思わなくて、ビックリしました」と言いました。
すると、先生は「ビックリしますよね」と共感してくれました。

そして、「でも、今回は高血圧にならずにここまで頑張ってこられたからね。それに、何とか正期産に入ってるからそんなに心配いらないよ」と安心させて下さいました。

あ〜、いい人〜!
この先生のところで手術をしてもらいたかったけれど、仕方がありませんでした。
そして、結果として大きな病院に転院したことが私にとってはとても良いことだったのです。

転院先は大きな病院ということもあって、大勢のスタッフによってテキパキと手術の準備が進められました。
診察台の上で手術着に着替えたり、アレルギーの有無を聞かれたり。
やっぱり剃毛されたり。

術後48時間は寝たきりになるので、血栓ができないように弾性ストッキングも履かせてもらいました。
準備が整うと、念のため車椅子で手術室に移動することになりました。

すると後ろから「マ〜マ〜!」という声。
もう日付が変わって0時過ぎなのに、元気なポンちゃんが旦那と一緒にそばまでやって来ました。

看護師さんが「ずっとお利口さんにしてましたよ」と教えて下さいました。
甘えん坊のポンちゃんはきっと、看護師さんたちに優しくされてご機嫌になっていたのだと思います。

私は、手術室に入る前に「また後でね」とポンちゃんの頭をいつものようにワシワシしてやりました。
ポンちゃんは「うん」と大きく頷いていました。
かわいい奴め照れ

いよいよ手術となったのですが、その時に驚いたのは開始前に目標時間が設定されていたこと。
そして、その時は目標時間は1時間とのことでした。

旦那によると、ポンちゃんの時は手術時間は30分くらいだったそうなので、意外と長いんだなと思いました。
でも、余裕を持って長めに設定しているのかもとも考えました。

前回と同じように、麻酔をされて胸の辺りについ立てが置かれました。
今回はお腹の様子が見えちゃうなんてアクシデントはありませんでした(笑)

ポンちゃんの時は、お腹が切られるとすぐにお目見えでした。
だから、今回もそんなには長くないんだろうなと思っていました。
ところが…。

カチャカチャと金属が触れ合う音がしたり、先生が器具の名前を行ったりと、手術が進んでいる気配はあります。
それなのに、一向に赤ちゃんが出て来ません。

前回は、「はい、切った!」「はい、出たー!」みたいな感じだったのに。
感覚的には、もう15分くらい経っていそうなのに。
不安になってきた頃、看護師さんに「ちょっとお腹を押しますね」と言われました。

そして肋骨の下辺りを押されました。
お腹全体を揺らしながら、赤ちゃんをねじり出しているような感覚でした。
しばらくすると「生まれました」の声。
お〜、生まれたか〜。
と思ったのも束の間。
赤ちゃんの泣き声がしません。

あれ?ポンちゃんは生まれてすぐ産声をあげていたのに。
それに、生まれた瞬間も見せてもらえたのに。
今回は、泣き声もしないし、姿も見えませんでした。

またしても、不安が込み上げてきました。
すると、看護師さんが「男の子ですよ。今、きれいにしてますから、ちょっと待って下さいね」と声をかけて下さいました。
それで、少しほっとしたのですがやっぱり姿をひと目見るまでは心から安心できませんでした。

後で母子手帳を見ると、「臍帯巻絡1回頸部」と書かれていました。
へその緒が首に巻きついていたようです。
だから、すぐには産声をあげられなかったのかもしれません。

看護師さんが赤ちゃんをオレンジ色のタオルに包んで連れて来てくれた時は、泣きそうになってしまいました。

そして、一瞬だけ触らせてもらうことができました。
初めてみー君に触れた時、自然と発した自分の一言が「あったかい」だったのを覚えています。

普通は「かわいい」とか、そういう言葉な気がしますが。
でも、ほっぺたのその温かさで「あ〜、生まれたんだな」と実感できたのだと思います。

みー君は、保育器には入らなくて済んだものの、ポンちゃんと同じように低体重だったのですぐに新生児室に連れて行かれました。

さて、ここからが長かった。
前回同様なら、麻酔をかけられて寝ている間に手術終了のはずです。
ところが、今回は追加の麻酔はなしでした。
まあ、あとは縫うだけだからすぐだろうしと思っていました。
でも、待てど暮らせど手術が終わりません。

またしても、不安が襲ってきました。
冬場に手術着一枚なので、だんだんと体が冷えてきました。
寒さと緊張で体が小刻みに震えていたことを覚えています。

つい立ての向こうで一体何が行なわれているんだろう。
前回、手術の様子が見えていたのも怖かったけれど、見えないのもそれはそれで不安でした。

その内に先生からこんなことを聞かれました。
「前回も○○クリニックで帝王切開をしたの?」
「いえ、前は△△産婦人科でした」
「帝王切開の後、高熱が出たり、お腹が痛かったりしませんでした?」
「いえ、なかったです」
答えながらも、動悸が早くなっていくのを感じました。

当時のことを必死に思い出そうとしました。
確かに、熱は少しは出た。
それに、切ったところはもちろん痛かった。
でも、帝王切開をした人はみんなそうなんじゃないの?

頭の中は、はてなマークでいっぱいでした。
一体私の体はどうなっているの?
何がどうなっているのか分からないまま、私は延々と天井を見つめてやり過ごしていました。

その間も、ハサミでシャキシャキ切っている音が聞こえます。
何度も同じところを引っ張ったり、切ったりしている感覚もありました。
予定では1時間の手術だったのに、長引いたために麻酔が切れかけてきていたのかもしれません。

部分麻酔の怖いところは、手術中の音や会話が全部聞こえてくるところです。
先生がぼそりと呟いた不穏な一言が今でも耳の奥に残っています。
「膀胱までベッチャリ」

術後に詳しい説明を受けたのですが、実は前回の手術で切った部分が癒着していたとのことでした。
それこそ、「膀胱までベッチャリ」とガーン
自分の膀胱に他の組織がくっ付いて使い物にならなくなるところを想像すると恐ろしくなります。

手術時間は、1時間など優に過ぎて2時間近くかかったようでした。
先生たちは、癒着した部分をできる限り剥がして、今度はくっ付かないように癒着防止のフィルムを入れて下さったとのことでした。

ただ、癒着の状態はかなりひどかったそうです。
もし、今後3人目を考えるのであれば設備の整った大きな病院で診てもらって下さいと伝えられました。
その場合を想定してということなのでしょうか、術後にお腹のレントゲンを撮影されました。

やっと手術室を出て、旦那の顔を見た時は心底ほっとしました。
その頃には、もう午前2時を過ぎていました。

ポンちゃんは、パパの腕の中ですやすや眠っていました。
そりゃ、こんなに遅くまで起きていたことなんてないもんね。
でも、みー君の顔を見るところまでは何とか起きていたそうです。
やるじゃん、ポンちゃん照れ

彼も怒涛の出来事でさぞや疲れたことでしょう。
普段なら寝ている時間に病院に行き、ママが救急車で運ばれ、弟が生まれるなんて。
ビックリの連続だったはず。
よく頑張りましたキラキラ

いや〜、それにしてもこの顔がまた見られて良かった!
「妊娠は病気じゃない」という言葉はよく言われますが、「出産は命がけ」なんだなと実感しました。

救急車で搬送されることになった時は、知らない病院で大丈夫かなと不安にもなりました。
でも、振り返ってみると大きな病院で手術してもらえて本当に良かった!

無事にみー君が生まれてこられたし、無事に手術室から出られてポンちゃんの顔が見られました。

手術以降、私の場合は腰が痛くなって仰向けで寝られません。
それに、くしゃみをすると時々脇腹が引っ張られるような感覚があります。
でも、それ以外は癒着の影響は大してありません。

中には、帝王切開後にひどい後遺症に悩まされている人もいるそうです。
出産というのは予想もしなかったことが起こりうるものなのだと思います。
そう考えると、人が生まれるというのは実は当たり前のことではないのかもしれません。

私は妊娠はそのまま、当たり前のように出産につながっていると信じているところがありました。
まさか、妊娠高血圧症候群になって帝王切開をするなんて思わなかったし、その時の傷が癒着しているなんて、さらに考えもつきませんでした。

妊娠・出産というのは、大なり小なりリスクがあるものです。
でも、それを乗り越えて生まれてくるということは当たり前ではなくて、本当は奇跡のような出来事なのかもしれません。

毎日、子育てをしていると些細なことでイライラしてしまうことがよくあります。
後から考えると、どうしてこんなことで?と思うようなことで子供を叱ってしまうこともあります。

普段は忘れてしまっているけれど、そんなことも生まれてきてくれたからこそです。
だからこそ、子供たちを思いっきり抱っこしたり、柔らかいほっぺたにすりすりしたりできる幸せを忘れないようにしたいなニコニコ