祭りの起原?ホンの最近の話です | じゃじゃ婆なりさんのブログ

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気まぐれに書いてみるけれど
どうだろう?

終戦の年に進駐軍が見物に来たという

『妻鹿のまつり』について

 

今では『灘のけんか祭り』と言われているが、

元々は『妻鹿のけんか祭り』と言われていた。

今も妻鹿の住人はそう呼ぶ。

何故か。

 

太鼓のMさんに頂いた資料による

西暦763年 妻鹿の漁師”久津理”が海中で金色に輝く物を発見

      網で引き揚げたところ 紫檀の霊木 であり

      『宇佐八万大菩薩』の文字

   この霊木を祀ったのが、妻鹿の本宮神社

ここから東の山(お旅山)に移されます

今のお旅山

海を遠望

【蛇足】

右の鉄塔の右に見える島は『上島』

加古川には陸軍の、鶉野には海軍の飛行場があり

其々の航空隊練習生は

上島を敵艦艇に見立てて戦闘訓練をしてたそうな

 

更にお告げで

「粟が生い茂っているように 松が茂っている 場所に移せ」と

で、

西暦763年 今の場所に『松原八幡神社』が出来た

楼門

本殿

本殿の右奥に進むと『俱釣社』として『久津理』は祀られている

 

【なり的感想】

一年以内に、山の上へ移り、更に山向こうの土地へ

そりゃね、妻鹿は北と東を山に囲われ、

     西には市川が流れ

     南は播磨灘

  拡張を阻まれた地勢ですから

  拡がりのある灘浜の方が

  氏子も仰山獲得できますわな

  ということは経済的にも潤いますわな

 

さてこの西暦763年とはどんな時代だったか

令和2年 山川出版社発行の 「詳説日本史B」P51欄外記述

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 九州の宇佐八幡神が道鏡の即位を促すお告げをしたが、その神意を聞く使いとなった和気清麻呂は、逆の神意報告をして道鏡の即位を挫折させた。・・・

*****************************西暦769年の事

と、まあ、何と申しましょうか

そんな時代でした

 

日本の長い歴史から見れば、

たかだか1250年程前の、ホンの最近の話です。