*サン=テグジュペリ年表 ③* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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≪サン=テグジュペリ年表③≫

1914年
同年の6月、他の科目の成績はお粗末だったアントワーヌですが、作文は得意で、その作品の一つが優等賞を獲得します。
第一次世界大戦が勃発すると、母マリーはアンベリウ駅に設置された陸軍病院の看護婦長に任命されます。少し生活に余裕の出てきた母は子どもたちを呼び寄せ、二人の息子、アントワーヌとフランソワをイエズス会派の有名校、ノートルダム・ド・モングレ学院( le Collège Notre Dame de Montgré)に編入します。

1915年
同年2月、アントワーヌと弟フランソワはル・マンのサント・クロワ学院に戻りますが、関節リュウマチに苦しむ病弱な弟フランソワは学年末を迎える前に自宅に戻る羽目になります。
夏休みが終わると、子どもたちの教育にことのほか熱心であった母は、二人の息子が地元のモングレ学院での学園生活を気に入っていないと判断し、スイスのフリブールにあり、マリア派修道院が経営する聖ヨハネ学院に編入します。
聖ヨハネ学院は、パリのスタニスラス学院と密接な繋がりがあり、生徒たちの創造性を伸ばす近代的な教育法を開発していたのです。アントワーヌはその学院で、リヨン時代、一家ぐるみの付き合いのあったド・ボヌヴィ家の息子、ルイ・ド・ボヌヴィ( Louis de Bonnevie)と再会、 さらにマルク・サブラン(Marc Sabran)、シャルル・サレス(Charles Sallès)とも知り合い、この三人と生涯にわたる深い友情を築くことになります。


1911年頃の聖ヨハネ学院鳥瞰図
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≪サン=テグジュペリの言葉≫
« Si tu veux comprendre le mot bonheur, il faut l’entendre comme récompense et non comme but. »
(Extrait des Carnets)


「幸福という言葉を理解したいなら、それを『目標』と思っちゃいけない。幸福は『ご褒美』と考えるべきなんだ。」
(手帳より)


« On ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux. »
(Extrait du Petit prince)


「心で見なければよく見えないのさ。肝心なことは目には見えないんだよ。」
(星の王子さまより)


(ミスター・ビーン訳)

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