*サン=テグジュペリ年表 ②* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

ミスター・ビーンのお気楽ブログ

好きな音楽の話題を中心に、気の向くままに書いていきます。

≪サン=テグジュペリ年表②≫

1905年
10歳まで、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)は、ヴァール(Var)県のラ・モール(la Môle)に母方の祖母が所有していた城(le château de la Môle)とアン(Ain)県のサン・モーリス・ド・レマン(Saint Maurice de Rémens)に叔母の一人が所有していた城(le château de Saint Maurice de Rémens)でその幼年期を過ごします。特にサン・モーリス・ド・レマンの城では、子供たちはアントワーヌを中心に「部族(tribu)」を組織し遊びを通して公園、城、周囲の自然を発見したり、動物たちを飼いならしていました。


le château de Saint Maurice de Rémens
$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-le chateau de Maurice

1909年
夏の終わりに、一家は父の出身地であるル・マン(Le Mans :24時間自動車耐久レースで有名)に居を定めます。アントワーヌは10月7日からノートルダム・ド・サント‐クロワ学院(le Collège Notre Dame de Sainte-Croix)に通いますが、空想癖のある注意散漫な生徒だったようです。
学院は規律に厳格で、アントワーヌはしばしば、学業怠慢、素行不良のかどで罰を受けます。

1910年
母マリーはサン・モーリス・ド・レマンに戻り、アントワーヌとフランソワの世話は叔母のアナイスとマルゲリットに任せます。
アントワーヌにとって学院の雰囲気は相変わらず陰鬱なものでした。

1912年
この年、アントワーヌにとって最初の人生の転機が訪れます。
12歳になった彼は、母のいるサン・モーリス・レマンの城で夏休みを過ごすのですが、城から数キロの所にあるアンベリウ飛行場にすっかり夢中になります。
飛行場へは自転車で通い、何時間も居座っては飛行機の仕組みや操縦について整備士や飛行士に質問をするのです。

ある日彼は、パイロットのガブリエル・サルヴェに声をかけ、「母が飛行機の初乗りを赦してくれた」と言い張ります。そしてまんまと飛行機の初乗りを果たしてしまいます。
彼が乗った飛行機は単葉機のベルト・ロブルスキー3号( Berthaud-Wroblewski3)、ヴィレルバヌ(Villeurbanne)のピエール&ガブリエル・ロブルスキー工房で製作された飛行機です。アントワーヌの初飛行でパイロットを務めたのはおそらくガブリエルでした。
この飛行体験はアントワーヌを大いに感動させ、以後彼の飛行機への情熱は生涯続くことになります。





≪サン=テグジュペリの言葉≫
« Aimez ceux que vous commandez. Mais sans le leur dire. »
(Extrait du Vol de nuit)


「部下を愛するがいい。ただし、口に出さずにだ。」
(夜間飛行より)


« Si tu diffères de moi, mon frère, loin de me léser, tu m’enrichis. »
(Extrait de Citadelle)


「ねえ君、君が僕と違っていてもだ、僕を傷つけるどころか逆に豊かにしてくれるのさ。」
(城塞より)


(ミスター・ビーン訳)

ペタしてね