*サン=テグジュペリ年表 ①* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

ミスター・ビーンのお気楽ブログ

好きな音楽の話題を中心に、気の向くままに書いていきます。

以前のブログで、アンドレ・リューのコンサートと抱き合わせで「星の王子さま」の作者サン=テグジュペリの年表を掲載したことがありました。
今回は、年表だけを独立したブログで再掲載いたします。

尚、「星の王子さま」については、本ブログでも対訳と翻訳を掲載していますが、対訳は「星の王子さま全訳」、翻訳は「星の王子さま翻訳」という題名で掲載しています。この題名でGoogleを検索し頂ければ、どちらもトップページに掲載されていますので、興味のある方はご覧ください。どちらもyoutubeによるフランス語の朗読付ですのでフランス語の勉強にも多少役立つのではないかと思います。ただ、順番が逆になっており、つまり、最終章が最初に出てきますので、ページの一番下にある「次ページ≫」というところをクリックして頂くと第1章に遡ることが出来ます。





≪サン=テグジュペリ年表①≫

1900年
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)は、6月29日、フランスのリヨンで誕生します。
父は当時、保険調査員をしていたジャン‐マリ・ド・サン=テグジュペリ伯爵(le Comte Jean-Marie de Saint-Exupéry)、母はマリ・ボワイエ・ド・フォンコロンブ(Marie Boyer de Fonscolombe)。
サン=テグジュペリ家は貴族の家柄で、父は伯爵を名乗っていましたが爵位を与えられた証拠はなく領地もなかったので、いわゆる没落貴族であったようです。5人いる子供のうち、アントワーヌは三番目の子供で上には二人の姉、マリ‐マドレーヌ(Marie-Madeleine 1898)とシモーヌ(Simone 1899)がいました。


1903年
弟のフランソワ( François)が誕生します。


1904年
妹、ガブリエル(Gabrielle)が誕生しますが、この年、一家に不幸が襲います。
父ジャンが列車に轢かれ亡くなってしまったのです。
以後、母マリ・ボワイエは女手一つで子供たちの養育にあたりますが、アントワーヌは特に母との繋がりが深く、母の繊細な感性とその教養に深い影響を与えられたようです。
二人の間にはアントワーヌが亡くなるまで膨大な数の書簡が交わされることになります。


サン=テグジュペリ家の子供たち(右から二人目がアントワーヌ)
$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-サン=テグジュペリと兄弟姉妹

≪サン=テグジュペリの言葉≫
Aimer, ce n’est pas se regarder l’un l’autre, c’est regarder ensemble dans la même direction. (Extrait du Terre des hommes)

愛するということは、お互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめるということだ。(「人間の土地」より)

(ミスター・ビーン訳)

ペタしてね