*幸福 D433 (Seligkeit D433)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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≪最期のとき③≫
シューベルトが、当時恐れられていた腸チフスに感染したと聞き、多くの者は感染を恐れて近寄りませんでした。
それでも次兄フェルディナントは看病を続け、バウエルンフェルトとラッハナーはシューベルトを見舞い元気づけます。

1828年11月17日、バウエルンフェルトが見舞いました。
シューベルトは午前中は衰弱して苦しそうに床に就いていましたが、午後には完全に意識を取り戻しうわ言の兆候もなくなります。
ところが夕方になると再び激しくうわ言を言い始め、意識不明になります。
そのときの様子をバイエルンフェルトは次のように述べています。

「再び夕方に、病人は激しくうわ言を言い始め、もはや意識は戻らなかった。とても重いチフスが発生したのだ。(中略)ほんの一週間前には夢中になって私とオペラについて語り合い、どんなにすばらしいオーケストレーションをしたいか語っていたのに。全く新しいハーモニーとリズムが頭の中にいっぱい詰まっていると断言していた彼が… それらを秘めたまま眠りに就いてしまったのだ」

翌18日にはラッハナーがシューベルトを見舞います。そのときシューベルトは壁に顔を向けて寝ており、ひどく熱にうなされていました。高熱性の妄想のためうなされて何回も歌を歌い、当時「チフス狂躁」と呼んでいた激しい状態に陥っていたのです。

1828年11月19日、次兄フェルディナントにシューベルトは真剣な声でゆっくりと「これで最期だ」と言い、死を覚悟します。そして午後三時、永遠の眠りにつきます。

彼の直接の死因は腸チフスでしたが、1823年以来、梅毒に悩まされていたこと。モーツアルトと同じく、当時チフスの治療として行われていた瀉血も決定的にシューベルトの体力を奪い回復を不可能にしたようです。




今日は1816年5月、シューベルト19歳のときの作品

「幸福 D433 (Seligkeit D433)」

です。

作詞は、ルートヴィヒ・ハインリヒ・クリストフ・ヘルティ
8分の3拍子の心弾むようなワルツで、楽譜には「楽しげに」の指定があります。女性歌手たちにより短くて成功確実なアンコール曲として利用されているようです
(笑)


シューベルト


Seligkeit D433 幸福
Freuden sonder Zahl
Blühn im Himmelssaal
Engeln und Verklärten,
Wie die Väter lehrten.
O da möcht ich sein
Und mich ewig freun!


限りない喜びは
天国の広間で花開く、
天使たちや変容した人々も
昔の人々が教えたように集まる。
ああ、そこに僕もいて
永遠に楽しみたい!


Jedem lächelt traut
Eine Himmelsbraut;
Harf und Psalter klinget,
Und man tanzt und singet.
O da möcht ich sein
Und mich ewig freun!


誰にでも打ちとけて
天国の花嫁は微笑んでくれる。
竪琴が響いては、
皆踊ったり歌ったり。
ああ、そこに僕もいて
永遠に楽しみたい!


Lieber bleib ich hier,
Lächelt Laura mir
Einen Blick, der saget,
Daß ich ausgeklaget.
Selig dann mit ihr,
Bleib ich ewig hier!


だけどそれより僕はここにいたいんだ、
ラウラが僕に微笑んで
視線で、僕に教えてくれる、
僕の嘆きもお終いだと。
だから僕は彼女と一緒に幸福に、
永遠にここに留まるんだ!




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