*ペスト 翻訳 III (1)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

ミスター・ビーンのお気楽ブログ

好きな音楽の話題を中心に、気の向くままに書いていきます。

アルベール・カミュ


la peste 翻訳



「ペスト」(1947)



III  (1)

こうして、一週間の間ずっと、ペストの囚人となった市民たちは、それなりに悪戦苦闘していた。そして見ての通り、その中にはランベールのように、自分たちの行動はまだ自由であり、選択の余地があると未だに想像している者もいた。しかし実際には、8月半ばのこの時期には、ペストが全てを覆い尽くしてしまったと言えるのだ。もはや個々別々の運命などというものは無く、あるのはペストという集団的な出来事、市民全員が共有する感情だけだった。中でも最大のものは、別離と流刑の感情であり、それには恐怖と反抗の念が含まれていた。それ故、暑さと病が頂点に達した時期に、全体の状況を詳述し、その具体例として、生き残っている我が市民たちの暴力行為、死者たちの埋葬の様子、別れ別れになった恋人たちの苦しみを詳述するのがふさわしいと語り手は信じている。

その年のさ中、風が起こり、数日にわたりペストに汚染された都市の上を吹き抜けた。風はオランの住民たちには特に恐れられている。というのも、この都市が建設されている台地には風を妨げる自然の障害物は何一つ無く、風はそのままの勢いで街路に吹き込んで来るからだ。一滴の雨も都市を潤すことのなかった長きにわたる数か月が過ぎると、都市は灰色の塗料のような埃の層に被われ、風が吹き抜けることでそれが剥がれるのだった。こうして風は次々と押し寄せる波のように埃と紙切れを舞い上げ、それが以前よりは疎らになった通行人の両脚を叩くのだ。今や、ハンカチか片手を口に当て、前屈みになって通りを急ぐ人々の姿が見られた。晩には、最後の一日になるかもしれぬあの夏の日々を出来るだけ引き延ばそうとするかのように人々が路上に群れ集まる代わりに、急ぎ足で家路に向かう、あるいはカフェに入る人々の小さな群れに出会うばかりだった。そこで、数日の間、この時期はるかに早く訪れる黄昏時(たそがれどき)には、街路に人影は無く、風だけが絶えずすすり泣くような音を立てて吹き抜けていた。相変わらず目には見えぬが波立つ海からは、海藻と塩の香りが漂ってくる。この人気(ひとけ)のない都市は、白い埃(ほこり)にまみれ、海の香りが充満し、風の叫びが響き渡り、今や不幸な孤島の様に呻(うめ)き声を上げていたのだ。

これまで、ペストは都市の中心部よりも人口過密で快適さに欠ける周辺地区で多くの犠牲者を出してきた。しかし突然、ペストはオフィス街にも近づき腰を据えたように思えた。オフィス街の住民は病原菌が運ばれたのを風のせいにしていた。「風が事を面倒にしているのです。」とホテルの支配人は言っていた。しかしいずれにせよ、中心地区は、夜間、ごく間近に、しかもますます頻繁に、窓の下にペストの陰気で物憂げな呼びかけを思わせるような救急車のベルの響きを耳にすることで、自分の順番が回ってきたことを知るのだった。

都市の内部そのものに、特に被害のひどい地区を隔離し、その業務が必要不可欠な人々のみ外に出ることを許可しようという考えが生まれた。それまでそのような地区で暮らしてきた人々は、このような措置は殊更(ことさら)自分たちに向けられた嫌がらせだと思わざるを得なかった。いずれにせよ、そんな自分たちの身の上に比べれば、他の地区の住民は自由に暮らしていると考えるのだ。一方、他の地区の住民は、困難に見舞われると、自分たちよりもはるかに不自由な住民がいると想像して心を慰めるのだ。「常に自分よりも不自由な人が他にいる」、これが当時、唯一心に抱き得る希望を要約する言葉だった。


la peste III ①

これとほぼ同じ時期、火事もまた増えていた。特に、都市の西門の辺りの歓楽街だ。いろいろ調べてみると、それには隔離期間を終えて家に戻って来た市民が関わっていた。彼らは肉親を失った悲しみと不幸で半狂乱になり、これでペストを根絶やしに出来るという幻想を抱き、自宅に放火していたのだ。市当局はこうした企てを止めさせるのに大いに苦労した。こんなことが繰り返されれば、強風のせいで地区全体が常に危険に晒されることになる。感染の危険を全て取り除くには市が行う家の消毒作業で十分なのだと証明してみせたのだが上手く行かず、こうした悪意のない放火犯に対しても厳罰を下すという条例を公布せざるを得なかった。そしておそらく、こうした不幸な人々を怯(ひる)ませたのは刑務所に入れられるという思いではなく、市監獄で指摘されていた極端に高い死亡率故に、禁固刑は死刑に等しいという住民全体が共通に抱いていた確信のせいだった。無論、こうした確信は根拠に欠けるものではなかった。当然のことながら、ペストは普段集団生活を送る人々、つまり兵士や修道士や囚人に特に激しく襲いかかるように思えるからだ。独房に入れられて孤立している囚人もいるが、刑務所は一つのコミュニティーである。その証拠に、我が市立刑務所では囚人だけでなく看守もまたこの病気に対して死という代償を支払っていたのである。ペストという一段高い視点から見れば、刑務所長から最下等の囚人に至るまで、全員に死刑の判決が下されていたのであり、おそらく初めて、刑務所の中で完璧な正義が支配していたのだ。

市当局は、殉死した看守に勲章を授けることを思いつき、この平等な状況に序列を持ち込もうとしたが無駄だった。戒厳令が下され、見方によれば、看守は召集兵と見なすことも出来たので、死後に下士官や兵士に与えられる戦功勲章を彼らに与えたのだ。しかし、囚人からは何の文句もでなかったが軍関係者は快く思わず、当然のことながら、このような措置は公衆の心に嘆かわしい混乱を引き起こしかねないと指摘した。当局は軍の要求を認め、最も簡単なのはこの先看守が亡くなったときには防疫勲章を授けることだと考えた。しかしすでに亡くなってしまった看守については、もう済んだことなのだから、彼らから戦功勲章を取り上げるなど思いもよらぬことだった。そこで、軍の不満はくすぶり続けていたのである。他方、防疫勲章にも不都合な点があった。つまり、戦功勲章授与で得られたような精神的効果を上げることが出来なかったのだ。というのも、疫病のさ中にこのような勲章を貰ってもいかにも月並みだったからである。つまり誰もが不満を抱えることになった。

それに、刑務行政は宗教界の幹部や、宗教界ほどではないが、軍幹部のように行動することは出来なかった。というのも都市に二つしかない修道院の修道士たちは、信仰心の厚い家族の家に一時的に分宿させられていた。同様に、可能になり次第、軍の小部隊は兵舎から出され、小学校や公共の建物に駐屯させられていた。こうしてこの病は、表向きは包囲された人々が抱く連帯感を押し付けていたのだが、同時に、人々の伝統的な繋がりを断ち切り、一人一人を孤独へと追いやったのである。それが人々の心に混乱を生み出していたのだ。


風に加えて、こうした諸々(もろもろ)の状況が一部の市民の心にも火を点けたと思われる。夜間、再び市門が、それも立て続けに、襲撃された。しかも、今度は武装した小グループによってだ。銃撃戦が有り、負傷者と数人の逃亡者が出た。衛兵所が強化され、このような試みはかなり急速に終息した。しかし、これらの試みは都市の中に騒乱の気運を芽生えさせるには十分であり、幾つかの暴力沙汰を引き起こすことになった。火事に見舞われたり、あるいは衛生上の理由で閉鎖された家々が略奪されたのだ。実を言えば、このような略奪行為が計画的であったとは考えにくい。たいていの場合、突然何かのきっかけで、それまではまともだった人々が怪しからぬ行為に及び、たちまち模倣者が現れたのだ。こうして凶暴な連中が現れ、悲しみのあまり茫然自失している家主の目の前で、まだ燃え盛る家の中に飛び込んで行った。家主が何の反応も示さぬのを見て、多くの野次馬がその連中に倣(なら)い家の中に飛び込んだ。そして薄暗い通りでは、火事の明かりに照らされて、消えかかる炎と肩に担いだ品物や家具のせいで形が歪(ゆが)んだ影法師が四方八方に逃げ去っていく姿が見られた。こうした事件のせいで、市当局は、ペストのこのような状況は戒厳令相当と見做(みな)し、それにふさわしい条例を適用する事態に追い込まれた。二人の火事場泥棒が銃殺されたが、それが他の市民に印象を与えたかどうかは疑わしい。何故なら、これほど死者が出ている中では、二件の処刑などは見過ごされてしまったからだ。それは大海の一滴にすぎなかった。そして実の所、同じような場面が頻繁に繰り返されたのだが、当局が介入するそぶりは見られなかった。全住民に唯一印象を与えたかに見える措置は、夜間外出禁止令の制定だけだった。11時以降、漆黒の闇に浸る都市は、石と化していた。

月明かりの下に、ほの白い壁と真っ直ぐに伸びた街路が一直線に並んでいた。街路には黒々とした木の影一つ見えず、歩行者の足音一つ、犬の吠え声一つ聞こえない。この沈黙に包まれた大きな都市は、そのときもはや生気の通わぬ重々しい立方体の集まりにすぎず、その立方体の間には忘れ去られた篤志家たちや古代の偉人たちの物言わぬ彫像が佇(たたず)んでいた。そしてブロンズの中で永遠に窒息させられた彼らだけが、石や鉄でできたまがい物の顔で、かつては血の通った人間であったものの落ちぶれ果てた姿を伝えようとしていた。これらのみすぼらしい偶像が、濁った空の下、生気のない十字路に君臨し、まるで非情な獣のように、我々市民が入り込んだ不動の支配体制、少なくともその究極の秩序、ペストと石と、そして闇が結局は如何(いか)なる声をも押し殺してしまうであろう広大な墓場の秩序をかなり上手く象徴しているのだった。


la peste III ②

(ミスター・ビーン訳)

ペタしてね