*異邦人 翻訳*(第一部 第二章) | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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アルベール・カミュ
$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-一部 第1章①


26分57秒から36分36秒まで




「異邦人」(1942)

第1部

第2章


目覚めしなに、何故社長が二日の休暇を願い出たとき不満な顔をしていたのか分かった。今日が土曜日だからだ。僕はあのとき、それを殆ど忘れていたのだ。でも、起き抜けにこんな考えが浮かんだ。当然、社長は日曜も含めて僕が4日の休暇を手にすると考えたのだ。それが面白くなかったのかもしれない。しかし今日ではなくて、昨日母さんを埋葬したのは僕のせいじゃない。それに、どっちみち僕は土曜と日曜は休んでいただろう。勿論、だからと言って社長の気持ちも分からないわけじゃない。

昨日のことで疲れてしまって、なかなか起きられない。髭をそっている間、これから何をしようかと考え、泳ぎに行くことに決めた。市電に乗って港の海水浴場に行き、着くと細い水路に飛び込んだ。若い連中がたくさんいる。水の中でマリー・カルドナに再会した。会社の元タイピストで、当時ものにしたいと思っていた女の子だ。彼女の方も僕に気があったと思う。でも彼女はすぐに会社を辞めたので、僕たちには時間が無かった。マリーがブイに上がるのを手伝ってやる。そのとき、軽く彼女のバストに触れた。マリーはもうブイの上で腹這いになっていたが、僕はまだ水の中にいる。彼女は寝返りを打って僕の方に向いた。髪が目に入り、笑っている。僕はブイによじ登り、マリーの隣に座った。気持ちのいい天気だ。冗談めかして頭を後ろにずらし、彼女の腹に載せる。何も言わないので、僕はそのままじっとしていた。空全体が目に映り、青く金色に輝いている。項(うなじ)の下で、マリーの腹が静かに波打っている。僕たちは長い間、半ばまどろんでブイの上に寝そべっていた。日差しが強烈になると、マリーは水に飛び込み、僕はその後を追った。追いついて彼女の腰に片手を廻し、一緒に泳ぐ。マリーは相変わらず笑っていた。桟橋の上で体を乾かしている間、マリーが僕に言った。「私の方があなたより焼けてるわ。」僕は彼女に、今晩映画に行かないかと誘う。マリーはまた笑って、フェルナンデルが出てる映画が観たいと言った。着替えが済むと、僕が黒いネクタイをしているのを見てひどく驚いている様子だ。そして僕に喪中なのかと訊いた。僕は、母さんが死んだのだと言ってやる。いつから喪中なのか知りたがったので、昨日からだと答えた。彼女はちょっと後ずさりしたが、何も言わなかった。僕のせいじゃないと言ってやりたかったが止めにした。それはもう社長に言ったと思ったからだ。何の意味もない言葉だ。いずれにしろ、人はいつも少々誤りを犯すものだ。

晩には、マリーはそんなことはすっかり忘れていた。映画はところどころ面白かったが、実際、ひどく馬鹿げていた。マリーは片脚を僕の片脚に押し付け、僕はマリーのバストを撫でていた。映画が終わる頃、僕は彼女にキスした。不器用なキスだ。映画館を出ると、彼女は僕のアパルトマンに来た。


第一部 第2章①

目が覚めると、マリーの姿はなかった。そう言えば、叔母さんの家に行かなくちゃと言っていた。今日は日曜日だと思うとうんざりする。日曜は好きじゃない。そこで、ベッドで寝返りを打ち、長枕にマリーの髪の潮の残り香をさがし、10時まで眠った。それから、相変わらず寝たまま正午までタバコを吸う。僕は、いつものようにセレストの店で昼飯を食べたくはなかった。店の連中にあれこれ質問されるに決まっているからだ。そんなことはまっぴらだ。自分で卵を焼いて、大皿からじかに食べた。が、パンは無し。もう家に買い置きは無かったし、パンを買いにわざわざ下に降りて行く気はしなかったからだ。

昼食が済むと、少し退屈になってアパルトマンの中をうろついた。母さんが居た頃は使い勝手が良かった。でも、僕一人では広すぎる。そこで、ベッドルームにダイニング・テーブルを持ってこなきゃならなかった。今はもう、ベッドルームだけを使って生活している。クッションが少しへこんだ藁椅子、鏡が黄色くなったワードローブ、化粧台、それに銅製のベッドに囲まれた生活。あとは全部打っちゃってある。少しすると、手持無沙汰(てもちぶさた)になり、古い新聞を手に取り読んでみる。そこに載っていたクルッシェン社の入浴剤の広告を切り抜き、古いノートに貼った。新聞で面白いと思ったものをいつも貼っているノートだ。手も洗い、僕は最後にバルコニーに出た。

ベッドルームはその地区の大通りに面している。午後はいい天気だった。でも、舗道はぬらぬらしていて人通りも稀(まれ)、おまけに通る人は急ぎ足だ。最初にやって来たのは、散歩に出かける家族連れだった。水兵服を着た男の子が二人、膝下までの半ズボンを穿き、ごわごわした服で少し歩きづらそうだ。それから女の子が一人、大きなピンクのリボンを着けて、黒いエナメル靴を履いている。子供たちの後ろには図体(ずうたい)の馬鹿でかい母親、栗色の絹のワンピースを着ている。それに父親、顔見知りの男で、かなり華奢な背の低い男だ。麦わら帽子に蝶ネクタイ、手にはステッキを持っている。妻と歩いている姿を見て、あの男は品があるとこの界隈で言われている理由が分かった。それから少し遅れて、街の若い連中が通り過ぎた。整髪剤で髪を固め、赤いネクタイ、上着のウェストがきゅっと締まり、胸ポケットには刺しゅう入りのハンカチ、つま先が角ばった靴を履いている。街の中央にある映画館に行く途中なのだろう。だからこんなに早く出て、大声で笑いながら市電の方へ急いでいるのだ。

彼らが通り過ぎた後、通りは少しずつ人影が少なくなった。きっと映画や芝居があちこちで始まっているのだ。通りにはもう商店の親爺と猫しかいない。空は澄んでいるが、沿道のイチジクの上空には輝きが無い。真向かいの歩道では、タバコ屋の親爺が椅子を一つ出し、店の玄関の前に据え、またがる。そして両腕を椅子の背にそえ、身体を支えた。ついさっき満員だった市電も殆ど空っぽだ。タバコ屋の隣のカフェ、「シェ・ピエロ」では、客のいない部屋でボーイがおが屑を掃いている。いかにも日曜らしい。

僕は椅子をくるっと廻し、タバコ屋の親爺の真似をして椅子の背を前にした。その方が具合がいいと分かったからだ。タバコを二本吸い、チョコレートを取りに部屋に戻る。それから窓辺に戻ってチョコレートを食べた。少しすると空が暗くなり、にわか雨が来るなと思った。けれど、少しずつ空は明るくなった。でも、雲が通り過ぎたせいで通りには雨の予感のようなものが残る。それが通りを一層暗くした。僕は長い間、じっと空を眺めていた。


第一部 第2章②

5時になると、街の喧騒の中を市電がやって来た。郊外のスタジアムから帰る観客が乗っている。ステップや手すりは観客で鈴なりだ。後に続く市電には選手が乗っていた。小型のスーツケースでそれとわかる。クラブは不滅だと声が嗄れるほどがなりたて、歌っている。合図を送る奴もいて、そのうちの一人は僕に向かって「やっつけたぜ」と言った。僕は頷(うなず)きながら「おお」と応えた。その後は、通りに車が溢れてきた。

日がまた少し傾いた。屋根の上の空が茜色になる。夜になりかかると、通りは賑やかになった。散歩に出かけた連中が三々五々戻ってくる。その中には例の上品神士もいた。子供たちは泣いていたり、手を引っ張られたりしている。ほぼ同時に、この地区の映画館から出てきた観客の群れが通りに溢れた。若い連中は普段より勇ましいジェスチャーをしている。アクション映画でも観たのだろう。少し遅れて、市の映画館から戻る連中がやって来る。彼らはもっと深刻な顔をしている。ときどき笑いはするが、疲れてもの思わしげな様子だ。通りに残り、正面の歩道を行ったり来たりしている。この界隈の娘たちは帽子も被らず、お互いに腕を組んでいる。若者たちは上手くすれ違うようにして、冗談を浴びせかけるが、娘たちはそっぽを向いて笑っている。知り合いの娘たちのうち、僕に合図を送ってくるのもいた。

そのときだしぬけに、街灯が点いた。夜空に昇っている最初の星々が街灯の光で色あせる。人と光で溢れた歩道を眺めていたせいで目が疲れてきた。街灯の灯りで濡れた舗石が光り、等間隔でやって来る市電のヘッドライトにきらきらした髪、微笑、銀のブレスレットが浮き上がった。程なく市電も間遠になる。木々や街灯の上は深い闇だ。知らぬ間に人通りは少なくなり、再び人気のなくなった通りを最初の猫がゆっくりと横切る。夕食を食べなきゃと思った。長いこと椅子の背にもたれていたせいで少し首が痛い。下に降りてパンとパイ生地を買う。夕食を自分で作り、立ったまま食べた。窓辺でタバコを一本吸いたかったが、風が冷たくなり、少し寒い。窓を閉め部屋に戻ろうとすると、鏡にテーブルの一部が映っているのが見えた。テーブルの上にアルコールランプとパンが隣り合わせに並んでいる。相変わらずの冴えない日曜日、母さんは今は土の下だし、明日からまた仕事。結局、何も変わっていないと思った。



第一部 第二章③


(ミスター・ビーン訳)

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