ウィーン大学を出ると、そろそろ日が傾き始め、僕ら夫婦はチョット心細い気分になりながら堂々たるゴシックの尖塔がそびえる教会に向かいます。
教会はウィーン大学から道ひとつ離れたところにやや細長い公園がありその奥にあります。
そこへ向かう途中、女房殿がおかしな話を始めました。
「実はねパパ、私、国会議事堂のところで若い西洋人にナンパされちゃった(笑)」
と満更でもない顔つきでのたまいます。
よく話を聞いてみると、国会議事堂前で二人とも写真を撮るのに夢中になり離れ離れになっていたときに、30前後の白人が女房殿に近づいて来たそうです。
そして、たどたどしい英語でしきりに話しかけてきたので、少し相手をしていると、挙句の果てに「もしお一人でしたら、近くでお茶でもご一緒しませんか?」と誘って来たというのです。
女房殿はさすがにビックリして、「いえ、私、主人がおりますから」とほうほうの体で逃げてきたのですが、これには思わず二人とも大笑い。
彼女は僕とは一歳違い。確かに見かけが若いので日本でも10以上は若く見られますが、なんぼなんでも日本では有りえない話です。
「日本人て、西洋人から見ると余程若く見られるのね(笑)」
「まあ、ドイツ人やオーストリア人は真面目そうだから、その眼の悪い外人さんはフランス人かイタリア人だぜ(笑)」
そんな愚にもつかない話をしながら歩いて行くと、眼前に二本の巨大な尖塔が聳える教会が現れます。これが、フォーティフ教会(Votivkirche)です。
![$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-フォーティフ教会](https://stat.ameba.jp/user_images/20120913/17/jaimeen/dd/c8/j/o0800120012185886135.jpg?caw=800)
さて、この教会の由来ですが、時の皇帝フランツ・ヨーゼフが暗殺されそうになり、危うく助かったことを感謝して建てられたものという話です。フォーティフは「奉納」の意味で、神に対する「捧げもの」ということらしいです。
フランツ・ヨーゼフはヨーロッパ各地で革命の嵐が吹き荒れた1848年、弱冠18歳で皇帝に即位したのですが、その治世は最初から波乱含みでした。
1849年にはハンガリーでコシュートたちが蜂起して、オーストリア帝国からの独立を求めます。
オーストリア皇帝軍は早速これを鎮圧してしまいますが、フランツ・ヨーゼフはマジャール人(ハンガリー人)から深い恨みをかうことになります。
1853年12月18日、ケルントナー門の保塁を散策していたフランツ・ヨーゼフに向かって、「コシュート万歳!」と叫んで一人のハンガリー青年がナイフを持って突進してきます。青年の名前ヤノシュ・リベーニ。幸い皇帝は軽い怪我ですみ、皇帝に同行していたアイルランドのオドンネル武官と近くを通りかかった肉屋の親爺、ヨーゼフ・エッテンライヒの二人が青年を取り押さえ、暗殺は未遂に終わりました。
皇帝の弟、マキシミリアン大公は、これを神のご加護と感じ、兄フランツに教会の建立を提案。そこで、コンテストの結果選ばれた弱冠25歳の若き建築家、ハインリヒ・フェルステルが設計を担当し建立したそうです。
![$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-フォーティフ教会](https://stat.ameba.jp/user_images/20120913/17/jaimeen/29/1f/j/o0800120012185886140.jpg?caw=800)
正面右側の尖塔。正面部分は工事中でした。
![$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-フォーティフ教会側面](https://stat.ameba.jp/user_images/20120913/17/jaimeen/55/ee/j/t02200165_0800060012185886136.jpg?caw=800)
![$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-フォーティフ教会](https://stat.ameba.jp/user_images/20120913/17/jaimeen/c2/9e/j/o0800053312185890402.jpg?caw=800)
![$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-フォーティフ教会](https://stat.ameba.jp/user_images/20120913/17/jaimeen/20/16/j/o0800120012185890400.jpg?caw=800)
![$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-フォーティフ教会](https://stat.ameba.jp/user_images/20120913/17/jaimeen/57/7c/j/o0800120012185890401.jpg?caw=800)
教会側面部分
さて、大分夕闇も迫り脚もかなり疲れてきたので、環状道路(リンク)沿いの見学もこれで終了。我々二人はもと来た道を国立オペラ座まで引き返し、その辺りで夕食を食べようということで相談がまとまります。
では、最後に一番ウィーンにふさわしい曲モーツアルトの
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
の第一楽章を聴いてお別れします。