*中欧の旅(11)ースロヴァキア、チェコ⑤ー* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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8月11日(土)、今日は先ずプラハ城の中の聖ヴィート大聖堂の見学
です。

プラハ城

プラハ城はかつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在
はチェコ共和国の大統領府のある場所です。世界で最も大きな城の一つ
で、その歴史は9世紀に遡り、10世紀にはほぼ現在の規模の大きさにな
り、14世紀カレル4世の時代にほぼ現在の形になったようです。

敷地内には旧王宮や宮殿、修道院があり、なかでも圧倒的な存在感を示
しているのが聖ヴィート大聖堂です。


$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-プラハ城全景(カレル橋から)
カレル橋から望むプラハ城全景


聖ヴィート大聖堂

この教会の起源は10世紀に遡ります。
ボヘミア公のヴァーツラフ1世(聖ヴァーツラフ)によって、925年、
初期ロマネスク様式の円形建築(ロトンダ)で教会として建てられ
ました。
聖ヴィートが守護聖人として選ばれたのは、ヴァーツラフがドイツ王
ハインリッヒ1世から「聖ヴィートの腕」と呼ばれる聖遺物を与えら
れたからだそうです。さらに、ヴァーツラフは、民衆がキリスト教へ
の改宗に抵抗を感じないように、スラブの太陽神スヴァンテヴィト
によく似た響きを持つ名前の聖人を選んだとも言われています。

現在のゴシック様式の大聖堂は1344年の11月21日に設立され、プラハ
司教区は大司教区に格上げになりました。その後援者としては、とり
わけボヘミア王で神聖ローマ帝国皇帝にもなったカレル1世の名が挙げら
れます。彼は新しい大聖堂を、即位式を行う教会、一族の地下納骨堂、
王国で最も貴重な遺物の保管庫、そして守護聖人ヴァーツラフの最後
の休息地であり巡礼地となるよう取り計らいました。
その後、様々な紆余曲折を経て、1929年、聖ヴィート大聖堂はついに
完成。完成までにはなんと約600年が費やされたとのことです。


$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-聖ヴィート大聖堂


我々一行は、正門ではなく、二人の衛兵が守る北門入り口から
城内に入ります。


$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-プラハ城入口


場内に入ると、先ず第2の中庭にでます。
中庭中央にあるのがコール噴水

$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-第2の中庭

$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-第二の中庭コール噴水


第2の中庭を出て、第3の中庭に入ると正面に2本の巨大なゴチック様式の
尖塔を備えた聖ヴィート大聖堂が我々を待ち構えています。


$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-聖ヴィート大聖堂正面

$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-聖ヴィート大聖堂正面

$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-聖ヴィート大聖堂正面


そして、正面向かって右手に見える側面の塔。

$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-大聖堂側面の塔

$ミスター・ビーンのお気楽ブログ-大聖堂側面の塔


正に完成までに600年を要した堂々たる大聖堂でした。

では、内部の様子は次回のブログで。



ところで、モーツアルトとサリエリの確執を描いた映画「アマデウス」
のロケは全てこのプラハで行われたそうです。
最後に、モーツアルト交響曲第38番「プラハ」の第1楽章をアーノン
クール
の指揮で聴いてみます。