*シューマンの歌曲 (18) - リーダークライスOp.39-8 異郷にて ー* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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≪ライプツィッヒ時代③≫

翌1843年は、シューマンにとって最も幸福な年になります。
彼は念願のオペラの作曲に着手しますが、台本の原作はトマス・
ムーアの詩集「ララ・ルーク」に収められている「楽園とペーリ」
でした。
ところが、その独訳をオペラ台本に移していく過程で次々と新しい
イメージが湧き、この作品は最終的にオペラからオラトリオに変更
されました。いわゆる「オラトリオの年」の始まりです。

シューマンの思い描くオラトリオのイメージは「礼拝堂のためでは
なくコンサート・ホールのための新しいジャンル」ということであ
り、1830年代にはシューマンの作品に限らず多くのオラトリオ作品
が礼拝堂ではなくコンサート・ホールで芸術作品として演奏される
ようになっていました。
シューマンはさらに、「祈りのためではなく、朗らかな人々のため
に」をモットーとして、革新的なオラトリオを構想します。

物語は、ペルシャと思われる東方を舞台に、罪を背負った妖精ペーリ
が最後には罪人の涙のうちに善なるものを見出して天国に迎えられ
るというお話です。
異国的、ロマン的な「憧れ」を背景に、キリスト教の贖罪が中心主題
となる作品です。
音楽の形式も革新的で、オラトリオの歴史において転換軸となる作品
になりました。

1843年12月4日と11日の両日、シューマンの指揮のもと「楽園とペーリ」
は熱狂的な成功をおさめることになり、この成功を伝え聞いたドレス
デンに住む義父ヴィークから和解の手紙も届けられました。
そこで、シューマン一家は晴れてドレスデンのヴィークのもとでクリス
マスを過ごし両家の和解が成立したのです。

もっとも、この年には残念な出来事もありました。
シューマン夫妻にとって掛け替えのない存在であったメンデルスゾーン
がライプツィッヒを去り、ベルリンに移ることになったのです。
11月24日にはその送別演奏会が行われました。

今日はオラトリオ「楽園とペーり」のファイナルの部分をアップしてみ
ます。英語の字幕が付いていますのでご参考までにご覧ください。



楽園とペーリ(ファイナル)






≪今日の1曲≫

今日はリーダークライスOp.39の第8曲

「異郷にて In der Fremde」

第1曲と同じ題名ですが、勿論内容は違います。

今日は、テノールのヴェルナー・ギューラ、バリトンのフィッシャー=
ディースカウ
、ソプラノのエリー・アメリンクの歌唱で聴いてみます。


8. In der Fremde 異郷にて
Ich hör die Bächlein rauschen
小川のせせらぎが聞こえる
Im Walde her und hin,
森のいたるところから。
Im Walde, in dem Rauschen,
森の中、せせらぎに包まれながらも、
Ich weiß nicht, wo ich bin.
僕は自分が何処にいるのか分からないでいる。

Die Nachtigallen schlagen
ナイチンゲールがさえずっている
Hier in der Einsamkeit,
ここで寂しく。
Als wollten sie was sagen
まるで古く美しい時代について
Von der alten schönen Zeit.
何か語りたがっているかのように。

Die Mondesschimmer fliegen,
ほのかな月の光がただよい、
Als säh ich unter mir
まるで谷にあるあの城が
Das Schloß im Tale liegen,
僕の足元にあるように見える、
Und ist doch so weit von hier!
けれど城はここからはすごく遠いんだ!

Als müßte in dem Garten
きっとその園は
Voll Rosen weiß und rot,
白や赤のバラで一杯で
Meine Liebste auf mich warten,
僕の恋人も僕の事を待っているだろう。
Und ist doch so lange tot.
けれど彼女はずっと前に死んでしまったんだ。



ヴェルナー・ギューラ(Ten.)

フィッシャー=ディースカウ(Bar.)

エリー・アメリンク(Sop.)