今日は「眠れる奴隷」でのミスタのトーク・"草食と肉食の動物の違いから考察する人の味"みたいな話をします(つまり雑談)。


難しいテーマで悲しい終わり、でも自分は好んで繰り返し見ているエピソードがあるんですがなんでかな…と。

自分が見返すバッドエンドな作品でパッと思いついたのがジャミラの「故郷は地球」。

一体どこが好きなのか。
やっぱり実相寺監督の演出が刺さるのかな…
謎の妨害者→見えない壁→見えない宇宙船→ジャミラと呼ばれる怪獣→その正体 と興味を引き続ける作りも秀逸だと思うし…


考えた末に出た答え、
「故郷は地球」で僕が好きなところ、
それはズバリ"癒される"ことです。

あの悲劇になんで癒されるんだと怪訝な顔をする方も多いでしょう。しかし僕は確かにジャミラの回を見ることでどこか癒される部分があるのです。

そもそも癒しってなんでしょう。
整体で身体をほぐしてもらったり可愛い動物を見て癒されることもありますが、僕はよく映画を見て泣いて癒されることがあります。
なぜ泣くかというと、登場人物の言動に共感し感動しているからです。
この"共感"ってやつはつまり自分の中に似たような体験・想いがあり それが相手とシンクロしているわけです。その体験・想いがハッピーなものであれば他人の事でも嬉しくなりますし、悲しいものならば他人のことでも涙が出てきます。
また、他人が自分の体験・思いに共感してくれたとき、人は癒しを感じることができるそうです。ひとに相談をしたり悩みを打ち明けたとき、話しただけなのに心が軽くなったりするのは共感してもらえたことによる癒しの効果なんだそうです。

…と、胡散臭いことを書いたあと恥ずかしげも無いことを言いますが、映画を見て泣き 癒されるというのは、自分の中にある辛い悲しい心を慰めてもらっているということなのでしょう(=´ - `)


さて 前置きが長くなりましたが「故郷は地球」を見て僕が共感しているのはこの回の主役・イデ隊員です。

今更あらすじも無いかもしれませんがざっと紹介すると…
【国際平和会議に出席する要人を暗殺する"見えない円盤"、乗っていたのは怪獣ジャミラだった。平和会議妨害に憤るイデ隊員をはじめ科特隊はジャミラを攻撃するが、その正体は人間だと知らされる。某国の宇宙船打上げ失敗を隠蔽するため見捨てられた宇宙飛行士ジャミラは不時着した星の環境にあわせて身体を変化させ生き延び、復讐のため地球に戻ってきたのだ。かくして科特隊パリ本部からジャミラ抹殺の指令が下るがイデ隊員は……】というお話。

恐ろしいですよね…科学の発展の貢献者は国の保身のため見殺しにされてしまうという…

あまりにも悲劇的なジャミラの境遇、彼は被害者に間違いないのですが、要人を暗殺したり村を襲ってしまったり、その巨躯や火炎はまさに怪獣のソレで、止めなきゃいけない=倒さなくてはいけない存在になってしまっているのが辛いところです。

知らない国の 顔も知らない宇宙飛行士
しかも身内の科特隊員というわけでもない…
絶対元の姿に戻ることもないだろうビジュアルも相まってか、キャップやその他隊員も誰も倒すことには反対しません。科特隊の使命としても倒す以外道はないんですよね。
でも、イデだけは最後までジャミラを想って反発する。ここがいいんですよね。

「バッカヤロー!!!」
どうしようもなくて行き場のない心をぶつけるように叫ぶところもいいですし。
「人間らしい心はもうなくなっちまったのかよぉー!!」
怪獣化してなおジャミラに人間として接しているようにも思えて。そこが美しいというか..。

そして、パリ本部からの抹殺指令または科特隊の任務を放棄するように「やめた!」と言うところだったり、何度も呼び掛けられてるのに墓碑の前で立ち尽くしたりする、、これって体制/大勢に反発してるってことじゃないですか。
体制/大勢の意見と相反しながらも、なにも知らず武器を開発し攻撃していた自分を許せない…多数の人間を活かすためジャミラが葬られたことに怒りがおさまらない…多くの人が「仕方ないか」と飲み込んでしまうところを絶対に曲げないその姿勢、心……
こういうところが、普段自分を納得させるために自分に嘘をついたり 見て見ぬふりをしてしまっている自分に響いたんだと思うんです。
できない自分に代わり 最後まで反発して立ち尽くすあの姿が慰めになり、癒しを感じているんだなぁ……などと思いました。

けっこう吐き出したな…


***


「人間の優しさ美しさ」を描くとき、優しいもの美しいものをそのまま描くより 汚いもの・醜いものを描くからこそ見えて来る優しやや美しさの輝きってあると思うんですよね。
この場合某国の所業と、使命に準ずるしかない科特隊の境遇も醜いもの…になるでしょうか。それがあるから 普段はお調子者のイデ隊員の反発する心に美しさを感じるんだと思います。

「怪獣使いと少年」で言えば いじめをする子供たちや暴徒と化す村人たちは紛れもなく人間の"醜い部分"ですが、その中でパン屋さんのお姉さんの心意気が光りますし。
心情的には"自業自得じゃないか"と変身しない郷さんの怒りにも共感するし、それでも弱い人間を守るため変身する郷さんのヒーローとしての美に涙が出ます(醜い人が混じっていたとしても、命は尊く守らねばならない、綺麗事だけどそれを実行するのは美しいと感じます)。
夕暮れの中、殺されたメイツ星人の宇宙船を掘り続ける佐久間くんの姿も反骨心溢れるラストで胸にきます。
世界がギジェラの虜になる中、倒すことを決意するダイゴもいいし。
ネガティヴ回ではないけど、「金星の雪」で最後まで諦めず周りを巻き込んで突き進むアスカも好きですね。

どうも自分は、どうしようもない状況において反体制/大勢的な 反骨心溢れる動向が好きみたいです。

反体制…ロックですね
ロック好きです。
自分が好きなバンドはQUEENです…←
異色回にはロックな心が欲しい…


ところで「故郷は地球」を監督した実相寺さんの著者『ウルトラマン誕生』では、開発競争の犠牲者であるジャミラを描くにあたりウルトラマンが敵役にならないよう注意を払っていたことが記されています。

視聴者からすればジャミラの肩を持つだろうと。。

そこで戦うことを拒否する役にイデ隊員をあてたそうですが、"イデ隊員のドラマはウルトラマンのものでもあった"とのことで、、うーん難しい

戦う者たちにとってそれぞれに葛藤があり ウルトラマンも例外ではない… やはりウルトラマンも決して神ではないのですな

深く考えるとウルトラマンの価値観やヒーローの存在意義にまで発展しそうですが、作品としてみるとドラマをイデ隊員のものとしたのは超ファインプレーだった気がします。
ウルトラマン=ハヤタが主役なら正義と悪の論議になってしまっただろうし、フジ隊員ならもっと悲観的に、アラシ隊員ならプロ意識の話になったのでは…、
イデ隊員だからこそ感情に訴えかけ、僕なんかが癒しを感じるエピソードになりえたと考えます。(なんかの本で似たようなこと書いてあったな)

……しかし シーボーズ回でチラ見せしたけど、苦悩を見せず頼もしいヒーロー像を見せてくれていたマン兄さんの背中が本当大きく見えるし、メビ兄弟でのセリフが重く感じるのでした。。