人間の情報処理の「力学の等価原理」に相当する所が核心だろう。 | ジャギオ@Ameba

物理学の力学の「等価原理」は

「重力質量と慣性質量は同じ」

「【重力による運動】と【力を加えて生じる加速度運動】は区別がつかない」

等価原理


この事実は人間の情報処理の仕組みにも似たような類推を与えてくれる。


法律による犯罪と合法も似たような性質があるだろう。

最近、「最高裁が旧統一教会が認知症患者の高齢者から財産を騙し取る事を【合法】と判決した」ニュースを見て確信したけど、

あんなのは「誰がどう考えても、特殊詐欺グループが認知症患者を騙して詐欺で財産を騙し取る事と何ら変わり無い」にもかかわらず「合法」という解釈に最高裁が判断した。

そう言うことだろう。


これと同様に「お金」や「株」や全ての「財産」と呼ばれる「人間の判断する価値」という「情報」の本質も同様に「考え方によっては価値が高い」が「考え方によっては価値が低い」と大きく異なるものだ。


そこには「人間」という「動物」が「生き残り」をかけた生存競争の中で「集団力」を高める仕組みとして、「個人の力を集約や総合や上手く組み合わせる事により、他の動物や他の人間集団には無い【強さ】を手に入れる本質的な機能」なのだろう。


人間の「生き残り」は「個人」より「集団」として意識される事が多い。

「人間の国家が争い滅亡するのは国家」だから、「個人」が多少の犠牲になっても、

生き残った「国家」か繁栄する事により、

同じ「遺伝子」や「文化」を持つ「集団」が生き残り、繁栄する事が「人類」の「生き残り」戦略の基本的価値となるから。


こういう「人類」内部の生存競争でも「力学の等価原理」のように、人間の「個人」と「集団」の間には何らかの「力学関係」みたいなものが「人間の情報処理機能」の結果として実現化しているはず。


人間「集団」の中で「価値が有る」のか「価値が無い」のか?また「価値が高い」のか「価値が低い」のか?という情報処理の仕組みや結果が人間の個人や集団の行動を左右するのだから、その部分が大事である事は言うまでもないだろう。



以上です。#####