今回はいよいよ最終話ということで、リスナーからプレイヤーへの道というか、その辺のことを中心に話したいと思います。
高校に進学し、それまではあまり親には逆らわない、どちらかと言えば従順だった自分でしたが、反抗期が極端な形で来てしまい、過干渉の両親との確執が急に深まってしまいました。
おまけに、この頃は、なんだか毎日、言葉に出来ない苛立ちや、落ち込みが激しくなってきて。
今までいろんなところを転々と引っ越してきて、学校でも仲間とうまくやれないことばかりで、いじめられたり外れものにされたり…。
そうしたことが深層心理でふつふつと煮えたぎってきて、なんだか世の中全体に対する怒りとか、満たされないフラストレーションみたいなのが渦巻いてきて、どうしょうもなくなってきたんです。
夜、急に落ち込んで、突然生きることが辛くなったりとか、心が強く屈折していました。
そんな不安定な僕を、癒し、勇気づけてくれたのは、やはり音楽、ロックでした。
そんな折、高校の最初のクラスで、すぐ後ろの席だったFという男が、ふいに話しかけてきました。
僕がいつも休憩中「ミュージックライフ」を見てたからだと思います。
わたしの通った高校は、ごく普通の都立普通科高校だったが、雑誌が見れるほど、ゆる~い学校ではあった。
Fはエレキギターをやっていて、それは知ってたので少し興味があったのだが、イロ男で、いかにもプライド高そうな、人生なんて余裕だぜ!的な独特のオーラがあるヤツで、鬱屈とした生き辛い気分でいた自分は、なんとなく話し辛かったのだ。
Fは、アニキがバンドをやっているらしく、そのアニキの影響から、
レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル
この二つが好きでコピーしていると言いました。
このへんは知ってる?と聞かれましたが、勿論知ってるさ!名前だけは・・・・・・・・
実はビートルズつながりで、アビーロードに変わって全米No1を記録したというZEPは、是非聞かないといけないと思い、かつてセカンドアルバムを買ってたことがあったのだ。
だがしかし、これの何がいいのか全く理解できない!!!
という感想しか持てなかった。
「胸いっぱいの愛を」「幻惑されて」「ハートブレイカー」…
うるさいし、歌がヒステリックだし、おまけにメロディーが全然綺麗じゃない。
聴き所が当時中学二年くらいで、ギターもまだやってなかった僕には全くわからなかった。
Led Zeppelin - Heartbreaker↓
僕はFに「知ってるけどあんまり好んで聴かないなぁ~」と答えた。
そしたらFが、ギターに興味があるならそういうのをもっと聴かないとダメだ!!実際おれがギター弾いてみせてあげるというので、彼の家に遊びに行った。
初めて目の前で聞いた、エレキギターのディストーション(歪んだ)サウンドには衝撃を受けた。
なんだか自分の新たな可能性の扉を見つけた…、とでも言う感じだろうか?
ひと通り弾き終わると、Fが「おまえにこのギター、5千円で売ってやろうか?」と言った。
彼はもうすぐ、フェンダーのホンモノのストラトキャスターを買うんだという。
僕は、もう完全その場の勢いと衝撃で、何の躊躇もなく5千円即決!
その無名レスポール、コピーモデルを買いました。
「とにかくこれを最初にマスターしろよ!」
考える間もなくエレキ買ったはいいが、何を弾いて良いかわからなかった僕に、Fがディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」のタブ譜コピーと、カセットをくれました。
それから僕は毎日、あの有名なリッチー・ブラックモアのソロを練習しました。
だが、最初は良いものの、中盤からの連続早弾き!あれが一向に上手く出来ない。
あれ、なんでみんなできるの????
僕は結局、これを最後までマスターすることができなかった。
他のみんなは、難なくコピーするのに、オレだけ挫折…。
今でも自分、ギターソロに苦手意識があるが、実はこれが強烈なトラウマになっているのだ。
変わりに僕がコピーし始めたのが、先のレッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズだった。
Fが、「次の文化祭で、ツインギターでツェッペリンとかストーンズをやろうぜ!おまえはコード中心のリズムギターな!」なんて言って来たので、僕はジミー・ペイジやキース・リチャーズのコピーを始めました。
元々、クラシカルなディープ・パープルより、ブルース風のフレーズを多用する、レッド・ツェッペリンや、ストーンズのギターのほうが、好みと言えば好みだった。
高校一年、1983年夏のことです。
わたしのミュージシャン人生で、こんなに真面目にコピーしたのは、これが最初で最後かも…。
わたしのエレキギタリストとしてのルーツは、なにを隠そう、
ちなみに、このFと組んだ、僕にとって初めてのバンド、そのバンド名は、レッド・ツェッペリンの曲名から、
「モビー・ディック」(笑)
そう名付けました。
リーダーは当然、言い出しっぺでギター歴が長いF。
しかし、かれはプライドが高く、人を誘うような面倒なことはしない男だった。
別に彼に命令されたわけではないけれど、他のメンバーをチマチマ集めたのは僕である。
で、メンバーですが、ボーカルとベースが、他の高校に行った僕の中学時代の友人。
キーボードはそこの軽音楽部にいた人。
しかし、ドラムがなかなかみつからなかった。
ある日、高校の軽音楽部の先輩ドラマーが、「おれがやってやるよ!」と名乗りをあげてくれました。
但し!
うちの「RCサクセション」コピーバンドのベースがいない。
交換条件に、お前ベースやれと…。
僕はものすごく嫌でしたが、文化祭に出演するためには仕方ありません。
「トランジスターラジオ」「雨上がりの夜空に」なども同時に練習始めるしかなかった。
勿論、ベースなどきちんと弾けるはずもなく、なんとなくルートでいいというので、コード流していただけだと思う…。
ちなみに、このバンドの出演が先だった都合で、僕の初ライブは、不本意にもベースを弾くことになってしまった訳です。
というわけで、モビーディックですが、デビューライヴはFの宣言通り、高校一年の文化祭でした。
セットリストは、
1.ロックンロール (レッド・ツェッペリンのコピー)
2・ジャンピン・ジャック・フラッシュ (ローリング・ストーンズのコピー)
3・ゲット・イット・オン (T・REXのコピー)
4.サマータイムブルース (ザ・フーのコピー)
5・コミュニケーション・ブレイクダウン (レッド・ツェッペリンのコピー)
6・天国への階段 (レッド・ツェッペリンのコピー)
確かこんな感じだったと思う。
当時は、巷では、ラウドネスとか、アースシェイカーとか、日本のヘヴィメタル(ジャパメタ)全盛期で、そんな中、僕らモビーディックは、非常に渋いバンドだった。
勿論、師匠的存在だったFがリードギターで、スポットライトの当たるソロは全部彼が弾く。
僕は初心者で、ギターがそれほどまだ弾けないので、リズムというかリフとコード専門…。
具体的にどういう形になってたかというと、例えば、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」では、最初のアルペジオから全部Fがプレイし、後半ドラムが「ジャカジャーーン!」と入るところで、ようやく僕が弾けるというありさま。
当然そこから始まる華麗なソロはFがプレイ。
僕はバックでコードを「ジャージャ ジャージャ♪」と刻んでるのみだ。
はっきり言って「おれ必要?」というレベル。
天国への階段
しかし、その後の初ライブでは、これが思いも寄らない意外な展開となっていった。
初ライブ当日、僕は見られるのが怖くて、朝からひたすらおびえていた。
じゃ、やるなよ!と言う感じですが、まさしくそのとおり!
僕自身、なんてアホなことにクビを突っ込んだんだろう!明らかに自分の性分ではなかった…このまま逃げようか…そう思うくらい、直前になってもう後悔しまくりになった。
しかし、実際逃げるわけにもゆかず、無残にもいよいよ本番!
サイドとはいえ、ギタリストである!
ステージに立つと、やはり、思った以上に目立ってしまう位置である。
おまけに最悪なことに、客席…、というか教室は満席で、最前列には、当時いいなと思っていた女の子、ミキちゃんが座っているではないか!
僕は、緊張が極限に達したあまり、もうまともに弾くことが出来なくなり、それをごまかすというか、自分自身が忘れてしまうために、ひたすら動きまわった。
じっと立って真面目にプレイなんかしたら、食べたものが全部戻りそうな感じで、とにかく暴れることで緊張をごまかす作戦に出たのだ!
そしたら、なんと、それが思わず大うけしてしまったのだ。
ギターはどう見てもFの腕が高いのだが、見てる人はみんなギターやってるわけじゃないし、特に高校生なんて、テクニックのうんぬんより、視覚的にどう面白いかだけなのだ!
で、みんなが盛り上がると、どうも関西の血が騒ぐのか、嬉しくなっちゃってますますエキサイト!
これ、考えてやってた訳ではないので、元々僕にそういう面があったのだと思う。
自分でも知らなかった自分自身という感じです。
ライブが終わると、
「おまえ、良かったよ!!」
とみんなが声をかけてくれました。
その後もライブを重ねるごとに、「ファンになりました!」と、他校の女の子が話しかけてきたり、他のクラスの女の子に誘われたりと、ついこないだまでは、あまり想像しなかったことが起こった。
ませた友人が、当時気になる女の子と会話するのに四苦八苦してるのをいままで見てきて、僕は面倒くさいと思ったので、あまり女の子と付き合うとか、そういうことは考えなかった。
なのに、向こうからこんなに来てくれたよ~!みたいな…。
だがしかし、演奏より、目立つ意識ばかりの僕と、ファン独占状態みたいなのに、Fを始めメンバーは不満を抱きはじめたようだ。
それに、僕が集めた他のメンバーは、元々、当時流行のL.A.メタルや日本のメタルに傾倒していて、半ば無理に参加してもらっていたというのもあった。
F自身もツェッペリンなどから、この頃には何故かヴァン・ヘイレンや、アイアン・メイデン、はたまたメタル全般に興味が移ってきていて、どうもオレ抜きで陰で別行動を始めたらしい。
急にスタジオに入らなくなったので、おかしいと思いFに連絡すると、みんなやる気ないみたいだとかなんとかグダグダ言っていて、らちが明かない。
「また再開したいならさ、おまえがまたメンバー集めろよ!そしたらスタジオ入ってやってもいいよ!」
しかし、その後別の友達から、Fが他のメンバー達と、やっぱり僕を除いてスタジオ入っていたことを聞いた。
ということで、結局僕一人がバンドから追い出されたことに…。
ここから先は、本格的な、